第九話 ホーム
伽耶岬支部は昨日までとなんら変わらぬ紅茶の甘い匂いと、朝倉と柿谷の声と、久しく戻ってきた間宮と稲村に魔法を教わる真希の荒れた呼吸と。それは平穏そのものだった。
「……って言うかなんなのさ城落としって‼︎ 結局また経営本とにらめっこだしさぁ!」
「あぁっ⁉︎ お前はそもそも魔法商女としてまだ未熟なんだから基礎を鍛えろ基礎を!」
そこに緊張感が無いわけではなかったが、張り詰め過ぎた空気は全て取っ払われ五人とも活き活きとしていた。
「もぉーーっ! そればっかじゃんか…………そうだっ!」
睨み合いいがみ合う朝倉から逃げ出すように、柿谷は間宮の元へと走った。
「間宮さん間宮さん! あたし間宮さんに教えて貰いたいです! そもそも間宮さんが直接の先輩だし、あの人正直苦手だし……」
「にがっ……おい待てこの野郎!」
ケンカに巻き込まれるような形になってアタフタする間宮も、それを見て笑う稲村も、真希にとっては新鮮味のあるものであった。
だからであろうか、真希もボールペンをポケットにしまい込み、間宮に教えを乞いに混ざっていった。
「ええっ円さんも……⁉︎ そう言うのは私より京子さんの方が得意だし……ほら、私より京子さんの方が凄いんだから……」
「ほらっ、いいからこっち戻ってこい! お前もお前で今更何を教わろうってんだい!」
もうそれは子供の喧騒だった。真希にはそれが新鮮で、柿谷にはそこが居心地よく、間宮はそれを愛おしみ、朝倉はそれに憧れを抱いていた。
何の事はなく団欒と呼べるその時間だったが、その空気にメスを入れたのはそれの美しさを取り上げられた稲村だった。
「……いい加減にしなさい。遊んでいる場合では無いはずよ」
ピリッと張り詰める空気。心に浮つきなど持つまいとしていた筈だった朝倉さえ緩んだ空気を一変させる。
そして彼女は間宮に歩み寄り再び口を開いた。
「さ、早く教鞭をとってもらえるかしら。私としても貴女の知識や能力に興味があるし、私自身も経済学はしっかり学んだわけでは無——」
「——お前も混ざりたいんじゃねーか」
そう、朝倉さえ緩んだ空気というのは何も稲村明美を取り残したりはしない、漏れなく彼女をも好奇心に駆り立てさせる空気の事を指していた。
「年末に真希さんとも話してたんですけど広告の費用対効果って媒体次第で変わるもんじゃないですか。今じゃスマホもあるしそっちの広告の方が良いとも思うんですけどあれって非表示にも出来るし、かと言って駅の掲示板とか借りると大きい企業ならともかくうちに来るのってそこまで大きく無い企業とかも多いし——」
「——それよりも基本完全中立であるべき魔法商女とゲーム理論の齟齬の方に疑問があります。どうやっても競争相手と言うのは存在する訳でその両方を受け持つ可能性も……いえ、寧ろ競争相手の取引仲介を受け持ったからこそ依頼してくる企業も少なからず存在する訳ですので。私達魔法商女は双企業に営利をもたらす事が目的であり経済全体への干渉程度を把握して——」
その後朝倉の口から三人に告げられることとなるのだが、間宮智恵には経済学、経営学及び付随するべき知識や教養は備わっていないのであった。