第五章
第五章~断ち切れぬ繋がりの章~
目をあげると夜明けだった。携帯を閉じ、ソファから立つと、寝室のドアの前で魅華が見つめていた。
リビングを横切り彼女に歩み寄り、細い肩を抱き寄せる。
「どうしたの、良くない電話?」
別れた――妻からだ。と言おうとしてやめた。答える代りに、肩に落ちかかる髪をかき分け、首筋に唇をつけた。
「悪い知らせ、だったの?」
心配そうに見上げる魅華を僅かに強く抱き締めた。細い身体に巻きつけたシーツから柔らかな温もりが伝わる。
「昔の知り合いの父が……、倒れた。危ないそうだ」
涼しげな澄んだ切れ長の瞳が俄かに曇る。
「もしかして、別れた奥さんの……」
耳元で囁くように問う魅華の唇を、裕介は自分の唇で塞いだ。瞼を閉じ、魅華の吐息が漏れる。裕介は慈しむように寝室へ魅華を抱きあげ導いた。
夜がカーテン越しに白み始め、シーツが解かれ露わになった胸元に裕介の唇が伝う。
稲妻に打たれたように魅華の身体が撓る。
裕介の腕の中に身を委ね、ひとつになる悦びを魅華はその全身で伝えた。
今にも何かが崩れてしまいそうな不安を打ち消すように、自らの信念と自信、プライドを研ぎ澄まし、裕介は魅華をゆっくりと押し広げてゆく。
魅華への慈しみは猛りとなり更に奥深くへと貫き始めた。
裕介を覆い包もうとする魅華の源は、悦びの証を捧げるように憂いに充ち溢れ、覆い覆われ、包み包まれる心地よい閉塞感のすぐ後に訪れた未だ得たことのない、貫き貫かれ共にひとつとなる悦びの階段をふたりは昇り始めた。
猛りは絶え間なく強く優しく魅華を擁き貫き続ける。
薄く開かれた魅華の唇を裕介の唇が塞ぐ。荒々しくなった魅華の熱い甘美な吐息に、紛れもなく、今、魅華をかいなに擁く幸せに裕介は満たされていた。
やがて、魅華の源は激しく脈打つように震え、小刻みに魅華の全身を震えさせ始めた。
魅華は更に反り撓る。裕介の背に回した両手に自らの意思にない渾身の力を込めた。下唇を噛み、訪れる一瞬を魅華は迎えようとしていた。
熱い猛りが一瞬を貫いた――。
「ああっ…………」満ち溢れた悦びの吐息が魅華から漏れた。
猛りは震える源に導かれ、悦楽の吐息と共に奥深くにその命を放った。
甘美な気だるさがふたりを包み、真白な柔らかな羽に包まれるようにふたりは眠りに落ちていった。
カーテン越しに射し込む朝日の眩しさに裕介は目を覚ました。まどろむ思考を現実に引き戻す。はっとして、ベッドの隣を見る。
魅華の姿がない。魅華――。
飛び起きるように寝室を出ると、リビングの向こうでコーヒーを入れる魅華の姿があった。ほっとしてソファに腰を下ろす。
「あ、おはよう。はい、コーヒー」
「早くに起きたのか?」
「ううん、ついさっきよ。行くでしょう? お見舞いに。行った方がいいわ。あなたにとって大切な人でしょう。きっと」
裕介の隣に座り、両手で包むようにコーヒーカップを持ちながら魅華は云った。
「どうだかな」裕介はリビングテーブルのコーヒーを見つめた。
(今更オレはもう関係の無い人間だ)
しかしと、裕介は思った。元妻の父である前に高柳正義は自分の師でもある、と。
義父であった正義もまたかつて技術者であった。そしてその指導の下にあったからこそ今の自分があるのではないかと。
正義は自分の技術を裕介にその全てを継承させた。そして、愛娘をも託した。
かつての上司で師でもあり、同時に義父であった正義が危ないのだ。ただ単に、かつての上司であり師であるだけなら何の迷いなどありはしない。
かつての義父――。そのことが裕介を躊躇わせた。
「コンサートの会場決まりそうで良かったな」
昨夜魅華は、二カ月振りにその報告に裕介の部屋に来たのだった。
「話を逸らさないで。どういう経緯があるにしても行った方がいいわ。でないと、きっと後悔するわ。何を拘っているの? ワタシには関係の無いことだ。てアナタは怒るかも知れないけれど、それでもやっぱり言わせてもらう。危ないって言ったじゃない。関係の無い人にあんな時間に知らせる? アナタを待っているのよ。分かっているのでしょう」
何時になく強い口調の魅華だった。
「別れた妻の――父だ。オレの師でもある」
魅華には視えていたのだった。昨夜この部屋を訪れたとき玄関ドアの前に立ち尽くす影を見たのだった。そのことを昨夜言うべきかどうかを随分迷ったが結局言えずにいたのだった。悪い予感ほど嫌になるくらいに現実の事になってしまうのだ。
だから今、行かなければ、もう会えないと魅華は、はっきりと確信しているのだった。
そして裕介がそのことを今後後悔し続けることをも。
「誰でも過去の繋がりはあるわ。新しい繋がりだけで過去を断ち切ることなんて出来はしない。離婚なんて紙切れの手続きよ。ワタシだって二度も経験しているわ。だけどそれで全てを断ち切ることなんて出来はしない。築きあげた遺したモノが存在するなら今の関係がどうであったにしても、人としての繋がりまで断ち切れるものじゃないと思う……」
「お前がどうして? 関係無いとは言わない。だけど――、もしかして、魅華には何かが視えているのか? それなら今、教えてくれ。何なんだ? 魅華」
「何も視えてなんかないわ。ただ、行くべきだと思っただけ」
《彼と付き合わないで。返して――》
この部屋に来るたびに魅華には叫びが聞こえていた。
「お願いだから、すぐに行ってあげてね。ワタシはこのまま帰ります。それと、しばらくコンサートの準備で忙しくなるからごめんなさい。アナタも忙しくなると思うけど……」
ソファから立つと魅華は玄関に向かった。
「魅華――、とにかく行ってみるよ」
裕介は魅華の背に声をかけた。
「うん。お願いだから、そうして」
玄関ドアを開くと廊下に燦々と眩しい朝日が射しこめていた。その中を抜け魅華はエレベーターホールに向かった。