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第四章

  第四章 ~導かれての章~


 心の奥底にある痛み。悲しみや辛さ、どうしようもない遣る瀬無さを誰かに聞いて貰うことが、こんなにも救われるとは思わなかった。

 何かをして貰いたい訳ではない。ただ、聞いて貰うだけで救われるのだ。この女将さんには本当に救われた。

「魅華ちゃん、久し振りだね。元気にしてた?」納屋の女将さんは変わらない笑顔で云った。

「こんばんは、御無沙汰しています。うん、お陰様で元気ですよ」

 相変わらずここは、暖かいな。と思った。

 季節の料理を手頃な値段で出してくれるこの店に通うようになってもう随分となる。

「何時ものでいいよね? 料理はちょっと待ってね」と女将さんは、返事を聞く前にお湯割りをカウンター越しに魅華の前に置いた。

 水仕事に馴染んだ、血色の良い手がカウンターの向こうで休みなく働いている。

 カウンターとテーブルが二つあるだけの小さなこの店は、勤め帰りの常連さんが多い。

 客層のせいだろうか、落ち着いた賑わいがある。騒々しくはない。

 お湯割りに口をつける。ふわあっと暖かい。

「鰹の良いのがあったから、はいタタキ」

 女将さんらしいと思った。何かを言う前にこうしてくれる。

「おかあさん、ありがとう」魅華は女将さんのことをそう呼んでいる。


 あの日、マンションを出た日、行く当ても無く、夕方近くまで公園のベンチに居た。

 柴犬を連れた女将さんが声を掛けてくれた。

『こんにちは』その声に目をあげた。すると、

『どうしたのよ、その顔、大変じゃない、付いていらっしゃい!』

 有無を言わさず雅代は魅華の手を取った。そして見ず知らずの魅華を引きずるように、自分の家に連れて行き、手当をしてくれた。

『辛いね……痛いよね……何も話さなくていいよ。だけど、心配しているひとが居るでしょ? 連絡だけはしなさいよ』

 他のことは、何も云わなかった。魅華はただ俯き頭を下げ申し訳ない思いで胸が潰れそうだった。

『お店は今夜定休日だから、ゆっくりすればいいわ。おばさんはひとりだから誰にも気兼ねは要らないよ』

『本当に、すみません……』雅代の横に座っていた柴犬が魅華に寄り添って、見上げている。透きとおり慈しみに満ちた瞳だった。


 魅華は、ゆっくりと語り出した――。


 明け方まで話を黙って聴いていた雅代は、魅華の両親に連絡を取り、しばらく自分のもとに預かると云った。戸惑いはあったけれど魅華はそれに従った。

 運送会社に勤める常連さんに、ピアノの搬送と保管を頼んでくれたのも雅代だった。


 夫に先立たれ、たったひとりの愛娘までも、血の通わぬ獣に奪われ亡くし、犯罪被害者の遺族となった雅代にとって、魅華の切れた唇、青く腫れた頬、零れ落ちそうになるものを必死に堪えた瞳に見上げられたとき、全身無数の傷跡だらけとなり、瞼を閉じた娘の姿が蘇り、見ず知らずの他人とは思えなかったのだ。

 雅代は自分の家に魅華を預かり、店に連れて行きもした。やがて魅華は自分から店を手伝いたいと申し出た。


 暖かい。もうひとりの――お母さんだ。

 店を手伝い出して、一年が過ぎようとしていた頃だった。

 常連さんに連れられて店に来たのが後に再婚の相手となった宝石商の徳寿だった。


「魅華ちゃん、ごめん、ごめん、ちょっとバタバタで久し振りなのにゆっくり話せないね。タタキどう? いけるでしょ」

「うん。凄く美味しいよ。薬味も最高! 流石お母さん」

 奥で雅代は笑顔で頷いた。


 カウンターの端に座り、こうやってお湯割りを飲みながら落ち着いた賑わいに身を置き、雅代を眺めていると暖かくなってくる。

 占い師として、様々な人たちの人生をよく訊く。

 魅華は鑑定のとき、まず先に聴くことにその時間の大半を費やす。

 自分がそうであった様に、人は誰しも聴いて貰いたいのだ。

 全てを自分の中に留めて置くことなんて出来はしないのだ。

 誰かに何かを相談し話すときには、大なり小なり自分の中では何かが決まっている筈だと魅華は思う。

 ただそこに存在する不安を払拭したいのだ。『大丈夫だよ。心配しないで。よく頑張ったね。安心して大丈夫だよ』と云って貰いたいのだ。

 そうだからと云って、無責任に誰に対しても云へはしない。だから、聴くことから始めるのだ。

 一切の邪念を無にし、心を静め、全身全霊を以て聴き入るとき、魅華には視えてくるのだ。


『なんか見透かされている様で――、だから嫌になるんだよ』

 魅華を通り過ぎて行った男たちは同じ台詞を浴びせた。

 四六時中視えてなんかいやしない。

 自分の意思には関係無く突然に視えるモノを除けば、頼まれて視ようとするモノは、まるで魅華の命を削る事と引き替えに、現れるのだ――。

 人は誰かの、何かの、尊い犠牲の上に成り立っているのかも知れない。


「魅華ちゃん、準備どう? 進んでいるの」

 ようやく一段落付いたのか、雅代はカウンター越しに立った。濡れた手を拭きながら、

「会場決まった? まだなら駅前のほら、ショッピングモール有るでしょう。あそこの三階のサロンはどうなの? 広くはないらしいけどクラシックのリサイタルもよくやってるみたいよ」

「まだ決まってないの。安宅サロンでしょう。あそこは立派よ。一流だもの。だけどワタシなんかには無理だわ……」

「それがね、信ちゃんに話したのよ。魅華ちゃんがソロをやるって。そしたら、『会場は?』て、聞いたから多分まだ決まってないよって言ったらね、安宅サロンはどうだって。オーナーの息子さんと同級生らしいよ。以前にも誰かに紹介してあげたみたいよ。会場費を売れたチケット代の半分で交渉出来るって言ってたよ。どう? ピアノも良いのが置いてあるらしいわよ」

 いつの間に作ったのか、雅代は出し巻きを魅華の前に置きながら云った。

「信ちゃんて、自動車屋さんの信ちゃんだよね。ありがたいけど無理だわ。うん。確かにあそこは最高だよ。ピアノも。だけど、買って貰えるかどうかも分からないチケット代の半分なんて、そんな勝手なこと頼めないわ」

 出し巻きに箸をつける。何時もの味だ。

「そんなことを言ってたら、何時まで経ってもソロなんて出来ないでしょ! 信ちゃんはね、応援しているんだよ、アナタの事を。もうずっと、ずっと前からだよ。魅華ちゃんがウチに来た頃からずっと。ここで知り合った彼と結婚した時も、離婚した時もね――」

(この人は変わらないなと思った。何時もどんな時も何度でも導いてくれる。背中を押してくれるのだ)

「うん。そうだよね。ありがとう」

 この日、久し振りに心地良い酔いに包まれて魅華は眠りについた。


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