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靴底と枕  作者: 眞木 雅
3/3

廃墟を壊す

 雨ばかり降るので、いよいよそれを理由に引きこもるのも、いけないような気がして、しかたなく出かけた。

 適当に歩いていたら、細い路地に入って、路地の隙間から隙間に抜けていくと、見覚えのある建物についた。そこはいわゆる廃墟で、南京錠やら鎖やらがあちこちにしてある。どれもこれも朽ちて、全く意味がなく私は裏口の扉を思い切り蹴飛ばして中に入った。

 中は案外綺麗で、なんだかそれにぎょっとして、もしかしたら誰かいるんじゃないかと大声を出してみた。ゆわんゆわんと声が揺れて響いた。どうやら誰もいないと、勝手に思い込んで、触らなくてもいい場所も足で壊しながら歩いた。

 この建物の構造はよく知っている。昔ここは居酒屋だった。金持ちに騙された貧乏人が、見栄を張り、しかし張りきれず潰れた店。私はその貧乏人の娘だ。

 両親が店を始めたのは小5の頃で、張り切っている二人を見て、私は憂鬱だった。そう遠くない未来に、酷いことになりそうな気がなんとなくしていたからだ。

 逐一文字に起こすのも憚られる程の暮らしが待っていた。私は何も、資金難についてだけ嘆くのではない。本当にもう、何から何までうまく行かなかった。酒乱の父には、追い掛け回され、酒瓶で殴られ、包丁を首に当てられた。客に酒を飲まされた母が、体を触れていた。その客にトイレで、私を壊された。

 私は、何でも良かったのだ。あんな思いをしない暮らしなら、今まで通り地味で、毎晩酒に酔った父親の罵声や暴力を無視し、その父親を軽蔑する母親との暮らしでも、私にとってはそれが当たり前だった。

 そんなことを一々思い出しながら、あちこち壊していると、タイル張りのひんやりした場所についた。白い便器に草が生えていた。汚いトイレなのに鏡だけツヤツヤしていて、気持ちが悪かった。そこらに転げていたドアノブを持って、鏡に投げて粉々にしてやった。砕けた鏡をじっと見ていたら、その脇にある用具入れが少し開いているのに気がついた。恐る恐る開けてみると、ヤモリの死骸の張り付いたモップが一本だけあって、それがこちらに倒れてきた。その柄に、黒ずんだ、カビだらけの長い布が引っかかっていた。

 それが何かわかった時、私は廃墟を飛び出していた。二時間近くかけてダラダラ歩いてきた道を、一気に駆け抜けて大通りに出た。

 そのままで家に帰れるような気持ちではなかった。ぼんやりあたりを眺めていたら、喫茶店から男の人が出てきて、煙草に火をつけるのが目に入った。ふうっと息を吐くと白い煙がくるくる回りながら長く伸びた。

 気がついたら私はコンビニで煙草とライターを買っていた。くだらなすぎて大笑いしながら煙草に火をつけた。今更、こんな事で狼狽えているのが可笑しい。あの場所に、あの時から今まで、ネクタイがぶら下がっていたのが可笑しい。あんまり可笑しくて涙が出て、膝が震えて笑いが止まらなかった。

 道行く人は、まるで鳥の死骸でも見た時のような変な顔をして私をチラチラ見ていた。それでやっと我に返って、周囲の真似をして、今まで自分がいた場所を睨んでから、歩き始めた。

 家に帰ってから、それとなく訊ねたらあの男は脳梗塞で死んだと知ってまた笑った。人が死んだのに笑った。

 私は、汚らわしい人でなしだ。このまま生きていく。

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