第八話 魔法教団Ⅱ
魔法教団の訓練施設は、魔法界で使われているものをそのまま真似て作ってあるため、充実した魔法訓練を行うことができる。
といっても、魔法使いの平均レベルが大幅に下がるので、施設のレベルも比例して低くなっているが………。
「こんな大勢の人が魔法訓練をやってると、不思議な感じがする」
訓練用の黒い戦技服を着た少年少女に、興味の視線を向けながら秋人が言うと、隣に立つ魔法教団の責任者でもある魔法士長が首を傾げた。
「そうですか? 魔法訓練は、基本的に集団で行うものなんですけど……」
『狩人』について話が一段落したところで、楠に約束通り魔法訓練の様子を見せてもらうことにした。
体育館のように広い訓練場の隅で、秋人、リエラ、楠、フレデガーが固まっている。仕事があると言って相良は来なかったが、魔法士長のフレデガーが仕事をサボって来ているのを見ると、部下の苦労が伺えた。
そんなことは気にしていないのだろう、フレデガーが楽し気に言う。
「そういえば、秋人さんは地上界の出身ですけど。どこで魔法の指導を受けたんですか? やっぱり、レイバのメリゼル魔法学園? それとも、こっちの世界の教団ですか?」
「いえ、僕は……」
言葉を濁した秋人に、珍しくリエラが口を挟んだ。
「秋人はサイフォリオ先生のところで訓練してたから、一般的な魔法訓練を受けた訳じゃないんだよね」
「え、そうなんですか?」
魔法訓練が一般的なものかは別にして…………、
秋人は苦笑いで目を泳がせる。
「まあ、一ヶ月ほどですけど……」
「い、一ヶ月!?」
「たった一ヶ月ですか!?」
あまりに短い訓練歴に、フレデガーも楠も思わず声を上げてしまう。
本来、一人前の魔法使いになるためには、六年以上の鍛練と、三年以上の実戦経験が必要とされている。
年齢から考えて、通常よりも訓練期間は短いと予想していたが、いくらなんでも短すぎる。
「―――あれを訓練と呼んで良いのかは、別として……」
「?」
意味深な秋人の言葉に、フレデガーと楠、リエラまでもが疑問符を浮かべた。
「知ってるか? エレナは今まで、僕以外に弟子をとったことが無いんだ……」
視線をリエラに戻しながら、秋人が言う。
「うん。クレリア先生が、そんなこと言ってた」
「理由は?」
「聞いたことない。けど、」
―――ウソ!? あのエレナが弟子……!?
エレナの、ではなく、エレナが、と言った師に、当時は首を傾げていたが。
「サイフォリオ先生の訓練は、どんなだったの?」
「………………ごめん、思い出したくない」
正しくは、思い出すことも出来ないほどに、
「ただ……」
「ただ?」
「僕、よく生きてたなって思うよ……」
ヤバイものだった。
エレナ・サイフォリオに今まで弟子が出来なかった理由………。
彼女の訓練の過激さ。
弟子になろうとしたところで、その者は一日ともつことはない。
エレナはまだ二十歳。魔法使いとしてはかなり若いが、何度か弟子をもつ機会があった。しかし、結果は全滅。
エレナ・サイフォリオの指導についていける者はいなかった。
天才・如月秋人が、彼女のもとに現れるまでは……、
「なるほど。サイフォリオ先生が秋人を溺愛してる理由……わかった気がする」
始めての弟子は嬉しいものだ。
しかも、自分の要求に応え、成長していく存在は。
「ははは、涙ながらに感激されたよ。エレナの訓練に妥協しなかったことはな……」
それでもやっぱり、こちらにしてみれば地獄のような一ヶ月だったが。
乾いた笑いをしながら、秋人は魔法訓練をする少年少女たちを遠い目で眺めていた。
◇ ◇ ◇
臨海学園中等部。二年の教室で、如月秋人の妹・如月水萌は、ボンヤリとした目を中空にさ迷わせていた。
授業中も休み時間も変わらずそうやっている水萌に、クラスメイトで友人の二人が心配そうに声を掛ける。
「どうしたの? みなちゃん、さっきからずっと上の空だよ?」
黒髪のおさげで、おっとりした垂れ目の木原舞花。
「今朝は秋人君にネックレス貰ったって、幸せ絶頂のオーラまで出てたのにね~」
秋人や水萌の幼馴染みである佐原姉妹の妹。癖っ毛のあるショートカットの茶髪に、眼鏡をかけた佐原真名。
「え? え? そ、そんなこと、ないと思うけど……」
そこでようやくか、意識を戻した水萌は、慌てたように言った。
「いや、あれを幸せオーラと呼ばず、なんと言う」
「みなちゃん、すっごい笑顔だったからね」
「男共がイチコロなくらいね」
言われ水萌は、顔を机に突っ伏した。僅かに見える横顔が赤い。どうやら、客観的視点を聞いて、とてつもなく恥ずかしかったらしい。
「ま、みなモンは超・ブラコンだからねぇ」
「そ、そんなこと……ある、かな」
ある。
と、二人は心の中で断言する。
水萌も心当たりがありすぎるのか、ハッキリとした否定ができない。
「兄さんをそばに置いとかないと不安、何て、ブラコン通り越してヤバイわよ?」
「うぅ、だって~」
先程の休み時間。迂闊にも口にしてしまった言葉をそのまま言われ、水萌は真っ赤な顔で涙目になる。
「ま、気持ちはわかるけどね」
二年前、秋人が行方不明になった事件は、臨海学園では瞬く間に有名になった。
当人がすでに学園で目立つ存在だっただけに、尚更。
残されたたった一人の妹は、それ以来全く笑うことがなくなり、心は悲しみ一色に染まっていた。何を言っても生返事で、自分から喋ろうともしない。
正直、あのときの水萌を、友人たちは見ていられなかった。
秋人の生死も所在もわからない。
水萌にとって、地獄のような半年間。
もう二度とあんな思いをしたくないという気持ちが、水萌の秋人に対する不安な感情を促進している。
舞花も真名も、それはよく理解していた。
「それで? 今回は何をそんなに悩んでるの?」
「え、えっと、笑わないでね?」
「内容によるけど…」
「あんまり過激な話は無しね」
「そんなのあるわけないでしょ!!」
仕切り直して、
「今朝ね、兄さんに頭撫でて貰ったときなんだけど……」
言葉を紡ぎ始めたその表情は、実の兄のことを語っているとは思えない。ほんのり染まった頬と、憂いを感じさせる瞳は、完全に乙女だった。
「「ケホッ、コホッ!!」」
「な、何で咳き込むの!?」
しかも二人同時に、
「いや、だってあんた……まあ良いわ、続けて…」
何やら言いかけた真名だが、言葉を呑み込んで続きを促す。
「う、うん。頭撫でて貰ったとき、何か、いつもと違ったような気がして………気持ち良かったんだけど、違和感というか、素直に喜べなかったというか……」
「ごめん、やっぱ話切って良い?」
「ふぇ? 何で!?」
「さ、さすがにこれ以上、ノロケは聞いてられないかも……」
真名に続き、舞花にまで苦笑いをされる。
「うっ……、い、いいもん。どうせ私はブラコンだもん……」
と、開き直った水萌は、なげやりにそっぽを向く。だが、隠しきれない羞恥心は、頬を真っ赤に染めていた。
「にしてもみなモン、秋人君のことには敏感よね」
「何とかは盲目って、言うんだけどね」
……………、
「その何とかの部分は埋まらないことを祈るわ。あの二人、兄妹なんだから……」
◇ ◇ ◇
魔法教団の訓練場。
しばらく隅の方で訓練を見ていると、休憩に入った訓練生の一人が、近寄ってきた。
「あれ? フレデガー魔法士長。そちらの二人は、新人ですか?」
高校生くらいの女子は、また仕事サボりか、という目をフレデガーに向けてから、その隣にいる藍色の髪と茜色の髪の二人に気付く。
「いえ、この二人は特別ゲストってところかしら」
「へぇ~、可愛い娘たちですね」
言われた瞬間、秋人の目から冷気が飛び、リエラは顔を隠すように背けた。おそらく笑うのを我慢したのだろう。
「あ、あれ?」
何か失敗しちゃったかな? と、気温の下がった雰囲気を察し、彼女は戸惑う。
「佐々木さん、こっちの子は男の子よ」
先程の聖堂のときと全く同じように、楠が示唆する。
と、数秒後、
「え!? えぇ!? ええぇぇぇ!?」
絶叫は室内全域に響いた。
訓練場にいた数十人の視線が集まる。
「男の子!? ホントですか!?」
「はい」
ウソでしょ!? と迫る勢いで訊いてくる佐々木に、秋人はハッキリと肯定する。
慣れたものだ。
………、
(……慣れたくねぇ)
いまだに困惑する佐々木を無視して、秋人は隣のリエラに言う。
「いつまでも笑ってるなよ」
「笑ってない……」
「笑ってるだろ」
顔を戻したリエラは無表情を作っていたが、秋人には笑いを堪えているのがわかった。
基本的に秋人の前以外では笑わないリエラだ。普段の日常で素直に笑ってくれるのは嬉しいことだが、秋人には笑えないことで笑うのはやめて欲しい。
「なんか、ごめんなさい」
秋人の様子から、佐々木が謝罪の言葉を述べるが、あまり立ち直れそうにない。
「はぁ、いいですよ…」
拗ね気味に顔を下に向ける。
「秋人さん。可愛いは正義ですよ」
「男が言われても嬉しくありません」
フレデガーの言葉ををバッサリ切って、魔法訓練を再開し始めた魔法使いの卵たちに視線を戻した。
「『炎の精よ――我が声を聞け・火炎の弾丸』」
言霊によって放たれた小さな火球が、二十メートルほどの距離に並んだ円形の大きな的を掠めた。
焼けた煙が上がるのと同じくして、その周囲の男たちが騒ぐ。
「さっすが荒木さん!」
「精霊系統魔法を使えるようになるなんて、すげぇよ!」
「ハッハハ、だろ? 俺は天才だからな。二年もあれば精霊系統魔法ぐらい、簡単に使えちまうんだよ」
自慢気に胸を張るバンダナの青年。大学生くらいだろうか、逞しい体つきをしている。
「おめぇらは二年以上やってんだろ? 出来ねぇんなら、コツを教えてやるぜ」
大きな笑い声を上げる姿に、秋人たちも視線を集める。
「『第一種精霊系統魔法』の訓練もしてるんですね」
「ええ、と言っても、実戦では使えないでしょうけどね」
確かに、フレデガーの言う通り、魔力の制御も精霊を巧く操ることも出来ていない上に、威力も無い。
これでは、ハッキリ言って使いものにならないだろう。
「精霊系統ね。そういえば、レイバ国の学園の訓練て………」
「うん。メリゼル魔法学園では、精霊系統魔法を中心に魔法を習う」
秋人が疑問に感じたところを、リエラが即答した。
「そうですね。レイバ国は魔法界でも歴史が長く、南大陸地方では、四大精霊系統発祥の地として有名ですから」
同じくレイバ出身のフレデガーもそう語る。
「的当てはあれより距離も長いし、的も小さいけど、私たちの学年が、最近の授業で似たようなことしてる」
「へえ~」
秋人の表情がニヤける。
「………なに?」
「まともに授業受けるようになったんだな?」
「………秋人が言ったから」
ジトりとした目を下に向けるリエラ。その顔はほんのりと赤い。
「おいおい、学生は授業受けるのが当たり前だぞ?」
「………………わかってる」
「だったら不満を顔に出すなよ」
本来は、不満に思うなよ。と言うところではないか?
フレデガーも楠も内心に浮かべた疑問はを口に出すことはなかった。
◇ ◇ ◇
得てして、不幸は突然やってくると言う。
瞬間、
訓練場から『火炎の弾丸』が飛んできた。
流れ弾は不規則な軌道を描いているが、秋人たちが立っている壁際に向かってくる。
「やっべぇ!!」
「!!」
「あ、危ない!!」
訓練場の方から声が上がったが、遅かった。
ヒュン、と風を切る音。
秋人に向かってくると判断した刹那、リエラがすでに動いていた。
一瞬で秋人の前に出た茜色の髪の少女は、素手で火球を叩き落とした。
正しくは、叩き落とそうとした。
「……秋人」
リエラはジトリとした目を背後に向ける。すると秋人は、何でもないように答えた。
「………リエラに火傷させる訳にもいかないだろ?」
叩き落とす瞬間に、背後から放たれた秋人の冷気が、炎を鎮火させたのだ。
だが、未熟な訓練生たちには、単純に叩き落としたように見えただろう。
静まりかえる場内。
「な、なんだ今の……」
「よくわかんなかった……」
「魔法を素手で叩き落としたよ!?」
呆然とする訓練生たち。
「はぁ、ビックリしたぁ~。さすが《双翼》の二人、見事な早業ですね」
見えていたフレデガーは、胸を撫で下ろし、感心の言葉を述べる。
「私も、辛うじてしか分かりませんでした」
楠は前方の二人を見たまま、固まっている。
「全く、気を付けなさい! 不用意な魔法は控えて!!」
「す、すいません!!」
「すいませんでした!!」
フレデガーの注意に、先程バンダナの青年と共に訓練をしていた二人がやって来て、深く頭を下げる。
そしてさらにその後ろから、件の青年――荒木も来るが、
「お前、なかなかやるじゃねぇか」
………謝罪の言葉はなかった。
おそらくは元凶となったその一人。
「………」
リエラに向けて言ったのだろうが、まるで反応はない。
いや、反応はしている。
秋人に危害を加えた者に対する、敵意。
普段と比べてさらに冷めた表情。
しかし青年は構わず、
「他教団から来た新人か? 可愛いじゃねぇの。よかったら、訓練に混じらないか? この俺が、魔法を教えてやるぜ」
図々しく言い寄ってくるが、リエラはガン無視。
「荒木君、訓練に戻りなさい」
やがて楠が咎めるように言う。
「良いじゃないですか。この娘、なかなかやるみたいだし、ちょっと訓練に参加するくらい」
しかし、なおも食い下がる荒木は、リエラに手を伸ばそうとする。が、触れる前に、掴まれた。
「あん? なんだテメェ」
太く筋肉のついた腕を掴んだのは、言わずもがな、秋人の細腕だ。
そして言う。
「あんまり彼女に近寄らないでくれ」
………危ないから、
「ケッ、さっき佐々木が騒いでた女男か」
「やめなさい! 荒木君!!」
吐き捨てるように言う荒木に、今度はフレデガーが注意するが、まるで聞く耳を持たない。
「…………」
秋人が荒木の手を止めたのは、荒木のためだった。
沈黙するリエラの雰囲気から、彼女が荒木の伸ばしてきた手をどうするか、わかってしまった。
(全く、切り落とされたかもしれない腕を、守ってあげたのに……)
余計なことを言ったな。
と、心で呟いて、
荒木の体が宙を舞った。
自分より遥かに細く小柄な少年に、軽々と投げ飛ばされたことを荒木が気付いたのは、床に叩き付けられ、自身の肺から空気を無理矢理押し出されてからだった。
「か、片手で……」
「ウソ……、あの体のどこにそんな力が!?」
子供が大人を投げ飛ばしたような、信じられない光景を近くで見ていた訓練生たちは、思わず驚愕を口にする。
「ゲッホ、ケホ、…………テ、テメェ!!」
床で咳き込んでた状態から立ち上がり、頭に血が昇った荒木は叫びながら、
「『炎の精よ――我が声を……』」
言霊を唱えようとした。
「やめなさい!!」
フレデガーが怒鳴り、止めようとする。
だが、
荒木の言霊より早く。
秋人に危害を加えようとした者に、激情の怒りを覚えたリエラが、動き出すよりも速く。
誰もが気付くこともないほどのスピードで、
「『炎の精よ――我が声を聞け・火炎の弾丸』」
放たれた火球は、藍色髪の少年の左手からだった。
火球は荒木の横髪を掠め、一直線の綺麗な軌道で、百メートル以上離れた訓練用の的の中心に直撃した。
再び沈黙する訓練場で一人、如月秋人はため息を吐いた。