第五十二話 『月』の主と海上家の『華』
影のリーダーが意識を取り戻し真っ先に目に入ったのは、自らが命を狙い、逆に死の淵を味あわされた敵―――如月秋人の姿だった。
「やぁ、ようやくお目覚めか?」
その一言で状況の全てを理解した。
ここは死の街。
自分たちがアジトにしていた魔法界リベリア・南大陸の街である。
とどのつまり、自分たちは負けたのだ。
それも、あまりにも圧倒的な力で、あまりにも不様に捩じ伏せられた。もう何をしようという気にもならない。
秋人は言う。
「一応、軽い回復魔法は掛けた。顎の骨まで砕けてたからな……」
砕いたのは言うまでもなく片桐だ。手加減というものを知らないのか、殴られ続けた影のリーダーは奥歯も二、三本折れている。
だがそんな痛みも、もはや彼にはどうでもいいというような様子だった。
「何故、殺さない……」
動かない身体で、目だけを必死に秋人へ向ける影。
「生憎と、僕らは命を奪うようなことはしない。別にお前だけが特別じゃないよ……」
「…………」
「けど、聞いておくべきことがあるのも事実だ……」
「ふん、もはや貴様に抗うすべはない……何を知りたい?」
「お前たち影のバックにいる奴について………」
秋人が放ったその一言に、影のリーダーは絶句した。
声を発せられなくなるほど驚いたらしい彼を置いて、如月秋人は言葉を続ける。
「闇の魔法使い集団―――《マギドラバ》………その幹部の一人であるシュトル・ドーランとコンタクトを取る方法を知る者は、同じ組織内でも数少なかった。当然、お前たち影が知っているようなことじゃないよな……」
影のリーダーは固まったままだ。痛々しく腫れ上がった顔が、更に破顔している。
突き付けられた事実の中には、彼にとって流せないことが多過ぎた。
ようやく声を出せるようになったのか、気持ちが先走った言葉は咳き込みから始まった。
「がはっ、がはっ、な、何だと……な、何故……何故、貴様が、我らがシュトル・ドーランに今回の話を持ち掛けていたことを知っている!?」
驚愕を通り越して発狂寸前の影は、身体の痛みがなければ間違いなく飛び上がる勢いだっただろう。
そんな影の姿も構わず、如月秋人はあくまでも冷静に落ち着いた口調で、
「………ああ、そういえばちゃんとした自己紹介はしてないよな……」
そう言ったと同時に、瓦礫の山に座る藍色の髪の少年の背後に彼女は現れた。
漆黒のローブで全身を覆い、凍り付くように不気味な真っ白の仮面で顔を隠した存在。
「………な、ば、バカな………」
信じられないものを見たように、目を見開く影のリーダー。
「改めて紹介しよう……彼女の名は―――」
秋人がその手で彼女を示した瞬間、冷たい寒気のようなものが死の街に流れた。
闇の魔法使いが独特に奏でる戦慄。紛れもなく闇の使徒が放つ雰囲気は、影の存在でしかない彼の持つ闇の魔法力を遥かに超えている。
愕然とした表情でその姿を見詰めていると、彼女はその仮面を取り、目も眩むような美貌を見せた。
踊るような仕草でローブのフードを脱いで、ハラリと舞う灰色がかった黒髪。
彼女は洗練された立ち振舞いで小さく御辞儀をし、優雅な口調で自らの名を名乗る。
「我が絶対なる主人―――如月秋人様の紹介に賜りました……《月の華》海上頼華。またの名を《闇の華》シュトル・ドーランと申します………」
その自己紹介によって、今度こそ、影のリーダーである彼は絶句した。
「ま、まさか……」
―――まさか、そんな訳がない。そうだとしたら、彼女は最初から……。
「そう、最初から………シュトル・ドーランは僕の配下だよ……」
影の心を先読みし、如月秋人が笑みを見せながら言った。
「五年も前に結成された闇の魔法使い集団 《マギドラバ》が初めて大々的な動きを見せた第三次魔法界大戦……………大戦以前から、すでに楔が打たれていたことに、お前たちは気が付かなかっただろ?」
「そんな、それこそありえない!! 貴様が、如月秋人が魔法界に『迷い人』として迷い込んだのは二年前のはず、それ以上前から始まっていた大戦に、予めスパイを送り込んでいただと!? そんなこと出来る訳が……」
「そう、確かに僕が魔法界に迷い込んだのは二年前……だけどそれが、予期していた事態―――あの『次元の重なり』による事故が、最初から想定されていたシナリオだったとしたら……」
「!?」
言葉を遮られ、放たれた秋人の話に影のリーダーは唖然となる。
予期していた? それこそありえない。それ以前の如月秋人は、地上に生まれたただの一般人に過ぎなかったはずだ。
だがそれを、如月秋人の次の言葉があっさりと否定する。
「………地上で生まれた魔法一族のある少年は幼少時代……魔法界で暮らしていた………平和と言うには遠くとも、大規模な争いもなく、これからも変わらずこうあるのだろうと思わせる世界で生きていた少年は…………その頃から、魔法界の裏側で暗躍していた闇の動きと、数年後に起こるであろう魔法界大戦を危惧していた……」
例え話ではない。昔懐かしい話を語るような少年を、影はただ眺めることしか出来なかった。
そして思う。
そんなことが本当に出来るのだとしたら、人のなせる業ではない。まさにそれは、予言や予知の領域。
シナリオ。そんな生易しいレベルの予定調和では済まされない。まるで、世界の全てを見通しているような……、
そこで影は、ある一つの答えにたどり着いた。
「………如月秋人………貴様の………貴様の『眼』には……いったい、何が視えている……何処までの世界が視えているというのだ……」
ありとあらゆるもの、世界の全てを視ることが許された神の『眼』。持たない者には到底理解の及ばない神の力は、いったいどれ程の能力を秘めているのか。
仮定の無い答えは視えない『眼』。ならば仮定さえ揃えば、何処までも視えてしまう『眼』。
―――『神王の眼』。
「何もかも全て……、と言いたいところだけど。生憎、あの頃と違って今の僕の『眼』は完全に力を解放出来ない状態でね。まぁ、それでも、君たちの相手をするのに不足はなかったよ。今回のこともね……」
話が僅かにもはぐらかされたことで、それ以上の詮索を許さないと言われているようだった。
そして、他愛もなかったとばかりの侮蔑の言葉を受けて、影のリーダーは表情を苦くする。
「………だが、貴様の言うことが本当だったとしても、えげつないものだな。その《闇の華》は、貴様のシナリオに利用されて、闇の魔法使いにまで堕ちることになったのだから……」
せめて秋人のやり方を蔑んでやろうと出た皮肉を混ぜた言葉に、彼ら二人は、更なる驚愕を口にした。
「本当は、闇堕ちさせるつもりはなかったんだがな……」
「私は主人の行く道は、何処であろうとも御供する所存ですからね……」
始めは、二人が何を言ったのか分からなかった。
―――闇に関わり始めたのは、いつからだろう……。
―――闇に染まり始めたのは、いつからだろう……。
―――闇を受け入れてしまったのは、いつからだろ……。
地上を生きる、海上頼華の中にふと浮かんだ、ある複数の問い。
考えるまでもない。そんな答えはすぐに出ているのだ。
海上頼華の全ては、如月秋人のもの。
生まれたその瞬間から、彼女の運命は決まっている。
海上家の『華』。
『月』の一族に生まれた長子を守護し、身も、心も、全てを捧げる従者であり、子をなすための側室。
未来に生まれる『天の子』の母…………その一人。
彼女の主たる如月秋人がその道を選べば、彼女もそれについていく。
まるでそれが、当たり前のように。
そう、答えは簡単だ。
つまりは、そういうことなのだ。
今もなお、変わらずに。
海上頼華にとって、それが全てであって。
「如月秋人……まさか、貴様は……」
言葉が疑問になる前に、答えの言霊が死の街に響き渡る。
「『闇の精よ――黒き力・我が手に凍てつく息吹を』」
如月秋人の左手から発動したのは漆黒の吹雪のような魔力の塊。その一撃が向く先は、死の街の中に入り込んで来ていた獣人型の魔物―――『牛鬼』。
騎士クラスの魔法使いであっても一人では苦戦すると言われている魔物は、秋人の唱えた闇系統魔法一撃で氷結する。
魔法界の脅威の一つ―――魔物が一瞬にして黒の氷塊に包まれ、オブジェのように死の街に鎮座した。
「お前たちの使っている闇魔法は所詮、過去の戦乱で使われた禁忌魔法式を真似て作った系統外魔法に過ぎない。これが本当の闇系統……第二種特殊系統の一つだ……」
あまりにも普通に、あまりにも自然に、あまりにも平然と、闇系統魔法を操る秋人の姿に、影のリーダーは浮かぶ言葉が無かった。
元より、第二種系統魔法に『氷』などというものは存在しない。秋人が勝手に闇の部分を抑えて発動し、そういう風に見せているだけだ。
これが、如月秋人の保持する魔法の本来の有り方―――第二種闇系統氷結魔法。
「なぁ、影……」
その力を保持するところの意味は、
「僕が闇の魔法集団 《マギドラバ》を作った初代リーダー―――《闇の翼》如月マリアだと言ったら、お前は驚くか?」
「っ!?」
告げられた言葉は、笑い飛ばすには重すぎた。
流石に安易過ぎたと思い、最初の設定から名前をちょっと変えた。




