第七話 魔法教団Ⅰ
――地上界地球――
如月家の前に停まっていた黒いスポーツカー(楠の車)に乗せてもらい、秋人とリエラは隣街にある教会までやって来た。
住宅地の少し外れに立つ建物は、よく式場などに使われる世間から馴染みのあるものだった。
中に入ってみても、一風変わったところはない。
何人か一般の人も見受けられる。
だが、
(建物全体に結界魔法、第四種の『魔力隔壁』か……。床下に精霊や魔力が集中してるみたいだし……地下になってるのかな?)
秋人はここから感じる魔法の力を視ながら思案する。魔法界からこの教団に『転移』してきたリエラは勝手が分かっているのかあまり反応がない。
といっても普段から普通の反応を求められるタイプの娘ではないが。
「こちらへ」
楠の案内のもと、秋人とリエラはスタッフオンリーの扉を通された。
扉を開いてすぐの長い階段を下り、広々とした空間に出る。
「教会の下。ここが、私たちが所属する魔法教団となっています」
聖堂のようなホール。
いや、実際に聖堂なのかもしれない。上のホールよりも一回りほど大きな空間には、魔法使いが特有に着用するローブを纏う人々がチラホラいる。
そのほとんどが日本人ということに違和感を感じずにはいられない秋人は、思わず苦笑いをこぼした。
「どうかした?」
そんな彼の様子に、隣を歩いていたリエラは首を傾げる。
「いや、レイバではローブを着た人なんて見慣れたものだったけど、この世界で、日本の人たちが着てるのを見るとね」
可笑しい、とはさすがに言えないが、やはり目が慣れない。
すると、楠が微笑を浮かべながら口を開いた。
「確かに、最初は違和感がありますけど。すぐに慣れますよ」
(……慣れるほど、ここには関わらないと思うけどね)
秋人の言葉は声にはならなかったが、綺麗な女顔は内心を物語っていた。
「お、楠、早かったな……後ろにいるお嬢ちゃんたちか? 昨日現れた『狩人』に襲撃されたっていうのは……」
教団に入ったところで立ち止まっていると、ホールにいた一人の男が近付いてきた。
三十代半ばくらいの髭面の男性。当然のように身に纏っているローブは、似合ってるとはお世辞にも言い難い。
いや、そんなことより……、
(お嬢ちゃん………たち?)
無視できない言葉は耳敏く秋人の脳に入り込んでくる。
「柿木さん、こっちの子は男の子ですよ?」
「は!? 嘘だろ!?」
本当です。
と、口を挟もうとしたが、横でリエラが笑いを堪えた様に目がいって、タイミングを外してしまった。
「魔法士長はどちらに?」
「応接室にいるはずだ。相良もさっき呼ばれてたから、早く行くといい」
そうこうしてる間に話が進み、歩きだした楠に秋人たちが続く。
いりくんだ通路を行く中、楠が教団についての説明を始めた。
「この魔法教団には、約百人ほどの魔法使いが所属しています。いずれも魔法士クラスで魔法レベル:二ほどの者がほとんどですが」
「でも、魔法はレベルが全てじゃありませんよ。相性とか戦術とかを考えると、魔法士百人は、大した戦力だと思います」
魔法の実力はレベルで決まらない。
これは師であるエレナ・サイフォリオの教えの一つだ。
例え、自分より遥かにレベルが下の魔法使いを相手にするときも、絶対に勝てるとは思ってはいけない。
だが、楠の見解は若干の違いがあるのか、首を横に振る。
「いいえ、私たちは基本小隊の五人チームでさえ、やっと魔法界の魔法士に対抗できる力しかありません。騎士クラスが相手ともなれば、私たちでは手も足も出ないのです」
秋人からは楠の表情は見えないが、落ち込んでいく声でどんな顔をしているのか容易に想像できた。
実際、昨晩の戦いでも、魔法騎士の『狩人』に全く歯が立たなかったこともあるだろう。
「私たちを取り仕切るここの魔法士長は、レベル:四の魔法界出身者なんですが。教団の魔法使いたちは、ほんの一部を除いて、この国に住んでいる魔法の才がある人々となっています。彼らは、二十歳になる前に魔法教団側の目に止まり、魔法の戦いに足を踏み入れる覚悟をした上で、この教団で訓練を受けます」
話を歩先に合わせたのか、一行はガラス張りされた通路に出た。
ガラス越しに見える通路の下は広場のような空間で、秋人やリエラと似た年齢の少年少女たちが大勢いた。
「魔法訓練……」
リエラが広場を見ながら小さく呟き、隣を歩く秋人が続いて口を開く。
「魔力弾の的当て、か……。これまた随分と大人数でやってるんですね」
「はい。『狩人』が地上界に現れはじめてから、この教団には五十人近くの人々が保護されましたから」
「まさか、全員が魔法訓練を受けてるんですか?」
「そうですね。全員、とはいかなくとも、ほとんどの方が参加しています。学生が多いので、ご家族にキチンとした説明や許可を頂かなければなりませんけど」
「うわぁ……大変ですね」
自分の子どもが、いきなり「魔法使いになる」なんて言い出したらドン引きだ。
魔法を理解してもらえたとしても、親が魔法をどんな風に思うのか、という問題もある。
力を持ってしまった者と持たない者の壁。
自分の両親はどう思うだろうか?
秋人は考えようとして、やめた。
考える意味もない。
「楠さん、あとで訓練の見学をしても良いですか?」
「それは構いませんけど……」
「ありがとうございます」
楠は特に抵抗なく了承してくれたが、秋人の申し出に驚いた顔をしたのはリエラの方だった。
「ダメかな?」
歩きながら、秋人は顔を隣に向け訊ねる。
「ダメじゃない……でも……」
「………」
リエラが渋る理由は、わからなくはない。
魔法教団が『狩人』の襲撃を受けない保障はない。現在、魔法教団に魔法使いの卵たちが集まっているということは、それだけ狙われる可能性も上がっているということだ。教団側が魔法訓練を行っている理由の一つは、標的となっている者たちに少しでも抵抗する策をあたえるためだろう。
騎士クラスが相手では、それもハッキリ言って、苦肉の策。無駄な抵抗でしかないが……。
リエラとしては、こんな敵の的のようなところに秋人を長居させたくはない。
神経質になり過ぎだ、と思う。
「リエラ……もっと楽にしてなよ。普段から気を張りすぎてると、肝心なときに動けなくなる」
「そうだけど……」
「僕なら、敵が迫って来ればすぐわかる。僕の『眼』が、信じられないか?」
秋人の言葉に、リエラはブンブンと左右に頭を振った。
「『眼』の力なんて無くても、秋人のことは、誰よりも信じられる」
「なら、良いよな?」
「……うん」
完全に納得はしていないのか、リエラは無表情の中にも僅かばかりの不満が見えている。
だが彼女も、それ以上は異を唱えなかった。
◇ ◇ ◇
教団魔法士長がいるという応接室をノックし、中から返事が返ってくると、楠は「失礼します」と言ってから扉を開いた。
テーブルを挟んで並ぶの椅子に、昨日の戦いで五人チームを率いていた坊主頭の相良。
その隣には、楠とあまり歳の変わらなそうな、ブラウンの髪を腰辺りまで伸ばした青い瞳の女性が座っていた。
「来ましたか、取り敢えず掛けて下さい」
朗らかな笑顔を見せながら、魔法士長であろうその女性は、対面の椅子を勧める。
秋人とリエラは一礼してそこへ座り、楠は相良の座っている斜め後ろに立った。
落ち着いたところで、魔法士長は柔らかい表情のまま口を開いた。
「私がこの教団の魔法士長。ケイト・フレデガーです。それとこっちは、」
「相良海藤だ。昨晩はすまなかった。助けるつもりが……」
「いいえ、気にしないで下さい。お互い、無事で何よりです」
魔法士長に続いて相良が名乗るが、謝罪の色を含んだ様子で頭を下げてきたので、秋人はやんわりと途中で遮った。
「お二人共、今日はここまで足を運んでもらって、ありがとうございます」
改めて、という風に礼を述べるフレデガー。
紹介から、何故か下手に出ている魔法士長の態度に、秋人だけでなく相良や楠まで疑問符を浮かべた顔をする(リエラは無表情)。
礼儀と言えば礼儀だが、どこか緊張してるようにも見えた。
別段、この魔法士長は、日頃から腰が低いという訳ではない。むしろ教団を仕切る姿は、女性ながら上に立つ者のそれだった。
お山の大将の威張り、などでは当然ない。教団の人々のことを考え、教団を引っ張っていく。リーダーシップを持っている人物だった。
そんな彼女が、あからさまに、最初から、腰低くしている理由は………、
「《氷翼》の秋人さんと、《光翼》のリエラさん、ですよね?」
一年半前の秋人たちを知る者だからだ。
「…………この世界の教団にも、知ってる人いるんですね」
秋人は目を逸らしながら、ため息でも吐きそうな声で呟いた。
昨晩、自分のことは教団側に口止めして欲しいと言ったのだが、無駄に終わったかもしれない。
そんな秋人の内心など知るよしもないフレデガーは、声量を上げて捲し立てるように口を開いた。
「それは知ってますよ! 魔法界の南大陸地方出身で、あなた方を知らない者はいません!!」
普段は見ないのだろう興奮気味の魔法士長の姿に、相良と楠は声が出ない様子だが、フレデガーは気にしていない。
「魔法界の英雄が二人、レイバの《双翼》。御会いできるだけで光栄ですよ!!」
「いや、そんな大袈裟なものでは……」
「とんでもない!! 英雄なんです、お二人は!!」
秋人に有無も言わせぬ勢いに、いい加減リエラも顔をしかめる。
「……リエラ、あんまり嫌そうな顔するなよ?」
「………わかってる」
対面に聞こえないよう小声で囁きあう二人。
しかし、フレデガーは余程感激しているのか、止まる気配がない。
「レイバ国に攻め込んできた数百の竜軍を、たった二人で食い止めた英雄。戦争の発端となった『闇の魔法使い』の集団、《マギドラバ》を壊滅させた伝説の魔法使い」
「………そ、そんなに有名な魔法使いだったんですか!?」
ようやく声を出せるようになったのか、楠が驚きを顔に書いた様で言うと、感激中のフレデガーが更にエキサイトして言った。
「それはそうよ! たった半年で、数多くの功績を残した歴戦の勇士なんだから! 特に私みたいなレイバ生まれからすると、憧れみたいな存在なのよ!!」
「ははは……、こりゃ、昨晩戦闘に割り込んだのは、迷惑だったかな」
フレデガーのべた褒めを聞き乾いた笑いを漏らした相良は、どこか申し訳なさそうな表情をしていた。
◇ ◇ ◇
魔法界から地上界への『世界転移』は、基本的に魔法具『転移鏡』を使わなければ行うことが出来ない。
魔法界にある教会の『鏡』から、地上界の教団の『鏡』まで。必ず転移する場所を指定してから行うのが一般だ。
もちろん、例外はある。
事故で『迷い人』として魔法界に来た場合、帰還するには教会にある『転移鏡』を使わなければならないが、『転移』する場所は迷い込んだときと全く同じ場所になる。
また、魔法界の教会で用意した『転移鏡』を、予め地上界に用意しておくことも出来るし、その気になれば地上界で『転移鏡』を作ることも出来るため、わざわざ地上界の魔法教団に『転移』することはない。
よって、『狩人』達が何人この世界に入り込んでいるのかは、教団側には把握出来ないのである。
「相手の居場所も、戦力もわからない状況か……」
秋人はフレデガーが広げた『狩人』の件の資料を見ながら呟く。
あの後、本来の目的であった事情聴取とは大幅にズレ、何故か資料を見て事件調査に加わっている秋人に、周囲は誰もツッコまず真剣な顔で様子を見ている。
「襲撃にあった人の人数とかは、わかりますか?」
「あ、はい」
フレデガーは並べられたファイルから一冊を引き抜き、秋人に手渡す。
「後ろの方に、まとめが載ってます」
言われ、後ろのページを開いた。
日本を含め、世界中でおよそ五百人前後の被害件数を目にして、秋人は絶句した。
その約八割が重傷を負っているが、不思議なことに死者や行方不明者は十数名しかいない。地上界教団側の対応が迅速だったのだろうか。
…………いや、
(目的は、殺すことじゃないな。少なくとも「魔法は魔法界にあってこそ」なんて言う奴等が、重傷にまで追い込んで仕留めない訳がない。対象を殺すより重要な何か、か………)
力が弱い民間人とはいえ、これだけの数が世界中で襲われてるとなれば、敵の戦力はかなり大規模なものだ。
一国の魔法使いの大半を送り込んでも、ここまでのことは出来ない。何より、王都があるとは言っても、アテナは南大陸地方の中で魔法戦力が整っているような国ではなかった。
(関わってるのは、アテナ国だけじゃないな……)
この嫌な感じは、以前どこかで……。
「なあ、リエラが持ってきてくれた方の資料には、魔法界のことも書いてあったよな?」
「うん」
「アテナ国についての資料はあるか?」
「ちょっと待って……」
リエラは左手首にある、白い魔法石を埋め込んだ銀の『腕輪』に右手をやった。
小さく紅黒い光を放ったそれは、資料の束を『収納』から解放した。
「え~と、はい」
「ありがと」
目当ての一部を隣から手渡され、秋人は勢い良く読み込んでいく。
(第三次魔法界大戦の影響で、大きな傷痕を残された国の一つか…………鎖国体制をとって、他国との接触をほとんど断っている。騎士団長クラスが動いてるってリエラが言ってたけど、これじゃあ、調査が進んでるとは思えないな……)
思っていたよりずっと悪い現状にため息を吐きそうになる。
(さて、どうしたもんかな……)
秋人の心の不安を感じ取ったリエラは、少し表情を曇らせて、言葉もなくじっとその姿を見詰めていた。