第四話 その人は
――魔法界リベリア――
レイバ国・王都メリゼル。
魔法教会協議会の最深部にある議会場は、殺伐としている。
広々とした空間の真ん中に、等間隔で円形を描き、中心を向くように並べられた九つの椅子があるだけ。
二つの空席を残して、他七つの席はそれぞれレイバ国の協議会メンバーである騎士団長達が着席していた。
漆黒のローブにフードを被った七人。
おおよそ光の無いその空間で、協議会を統括するバジル・イエーガー騎士団長は、老人の重々しい声で口を開く。
「………地上界へ行ったリエラ・アマギは、無事に彼と合流出来たようじゃな、オルゴート騎士団長……」
「はい。昨晩のうちに報告があって、そこから護衛の任に着いたようです」
「ずいぶんと早いな…………昨日任務を受けて、その日のうちに着いたのか……」
クレリアの返答に、苦笑いを浮かべた中年男性の声が漏れる。
「ククク、アマギはあの方にご執心だからね。むしろ、よく一年半の間我慢できたものだよ」
すると、前とは別の男性の声が、楽しそうに口を挟んだ。
「あと、護衛の件とは別にして、リエラが彼の所へ到着したときの話なんですが。魔法士と『狩人』が交戦していたそうです」
だが、続いて発せられたクレリアの言葉に、議会場が静まる。
僅かな沈黙があって、やがて一人がひきつった声を出す。
「おいおい、まさか……彼を狙って襲撃してきたのか?」
「ええ、一応、魔法教団からの報告では、そうなっていますが……」
「…………あの方に危害を加えるとは、命知らずもいたものだね」
「というより、アマギさんがいる前で彼を襲うなんて、もはや命を捨てるようなものでしょう」
何かを思い出すような初老の女性の声は、背筋に寒気を感じているようだった。
「まあ、彼や地上界のことは、今の体制で置くとして。魔法界の問題があまり芳しくないのう」
会場の空気が微妙な暗黙に包まれそうになったところで、イエーガーは分かりやすく話し合いの内容を逸らした。
「現在、アロード騎士団長が隣国と協力した魔法調査団を動かしてくれていますが。アテナ国が完全鎖国体制をとっている状態では、調査の進みも難航しているようです」
空席の一つを見ながら、本来そこに座る騎士団長のことを話に出すクレリア。
「第三次魔法界大戦以降から、鎖国体制を強いている国は多い。特にアテナのような、王都を持つなかで魔法戦力が劣る国はな」
「下手に介入するには、時期が早すぎるわね」
「連中の本当の目的も、いまだにわからんしな」
「とは言え、これ以上 魔法界のことで地上界の人間に被害をだす訳にはいかんからのう。場合によっては、戦争になることも覚悟しておかねばならん」
イエーガーの言葉に、騎士団長達はフードの奥で、顔を歪めた。
◇ ◇ ◇
リエラ・アマギにとって、如月秋人という存在は大きい。
大きすぎる、と言っても良いだろう。
―――魔法が強いのは個性みたいなもんだろ? それだけで怖がったり、避ける理由にはならないよ……。
誰もが、リエラを遠ざけるようになっていた中で、同じ目線、同じ場所に立って、始めて手を差しのべてくれた人。
二年前。
王都メリゼルの学園で、リエラは酷く孤立していた。今も大概孤立しているが、当時の彼女は、あまりに酷すぎたのかもしれない。
第四学年。十三歳だったリエラは、定期試験のときにしか学園に顔を見せず、それ以外の日のほとんどは、魔法教会から出される任務に着いていた。
学園へ行きたくないため、師に自分から任務に着きたいと頼んでいたくらいに。
別段、学園でいじめられていた訳ではない。だが、その頃のリエラは、そうせずにはいられなかった。
学園に入って最初の一、二年は普通に過ごせていたと思う。友達も、多い方ではなかったが、仲良く話せる人は確かにいた。
いたはずだった。
いつからだろう。
何かがおかしくなり始めたのは。
学年が上がり、魔法の授業レベルが上がっていくにつれて、リエラは自身の魔法の才能を開花させていった。
精霊系統魔法を覚え始める第三学年で、魔法界で希少とされる『第二種特殊系統魔法』の発現。
驚異的な魔力値と、それを制御して操る魔法コントロール。
定期試験の筆記と実技で、連続満点の学年一位。
リエラの才能は、周囲の学生達から突出しすぎていた。
そうして、
いつからか、いつの間にか、リエラを見る周囲の目が変わっていった。
通常、魔法学園に通っている生徒は、良くて魔法レベル:二。魔法学園の講師でさえ、レベル:三がやっとだ。
優秀な魔法使いが多いと言われるレイバ国は、魔法使いレベルの平均が三~四。
しかし、当時十三歳であったリエラの魔法レベルは、上級魔法騎士に匹敵するレベル:六。
圧倒的な力量差はときに、人との繋がりさえ断ち切ってしまう。
第四学年に上がった頃には、魔法、学力においてリエラを上回る人間は、学園の講師にも、生徒にもいなくなった。
自分と同じ場所、同じ立ち位置、同じ景色を見れる人間がいない。
別に見下したり優越感に浸るつもりはないが、その事実は、まだ子供でしかないリエラの心に、陰りをあたえはじめた。
いつも独りを実感してしまう。
孤独を感じる。
寂しさが募る。
リエラはそれを振り払うように、難度の高い任務に没頭していった。
そんな時期だ。
闇の魔法使い集団が各国の抗争を激化させ、第三次魔法界大戦を起こしたのは。
あまり国同士のいざこざに関わっていなかったレイバ国も、やがて戦争の色が見え始めた頃。
リエラが任されたとある任務。
レイバ国・南の砦に現れた『迷い人』の護送。
魔法界では、『次元の重なり』によって異世界へ転移してしまった者を『迷い人』という。別世界に住む、魔力資質を持つ者が、数百万分の一の確率で巻き込まれると言われる事故だ。
だが巻き込まれても、帰還のための『世界転移』は王都にある魔法教会でしか出来ないため、そういった者を導くのも魔法使いの役目である。
任務の前に聞いた話では、『迷い人』が迷い込んで既に一ヶ月以上が経っているらしい。
南の砦の番人をしている魔法使いの所で居候中だと言われ、任務に着いたリエラ。
王都から国境である南の砦へ向かう中、通り道となった街。戦争前はただの平凡で平和な何でもない街。
そこが、始まりの場所だったのかもしれない。
国境付近であるその街に突如、抗争中の他国の魔法騎士が数名乗り込んできた。
襲われそうになった街の住人を庇って出たときだと記憶している。
リエラが、あの藍色の髪の少年に出会ったのは。
―――怪我はないみたいだな。良かった……。
悠然と剣を振るう姿。
あまりに綺麗な魔法に、リエラは魅せられた。
―――じゃあ、先を急ぐから、俺はこれで失礼するよ……。
顔もまともに合わせなかったあれを出会ったというのは、少し違うかもしれないが。その後にちゃんと対面したのだから、出会うきっかけにはなった。
―――マジ? 君が、王都まで送ってくれるっていう人……?
―――そう……。
―――護衛も兼ねてくれるって言ってたけど。もう一人いるのか……?
―――私が護衛もする……。
―――冗談だろ。女の子の君に護衛してもらって、その綺麗な顔に傷でも付いたら、責任とれないぞ。危なくなったら、俺が自分で戦うよ……。
今思えば出会った頃から、出会う前から、彼には驚かされてばかりだった。
その異世界の『迷い人』は、南の砦の番人の元で魔法訓練を受けていたという。
戦争の匂いが漂っていた当時のレイバ国にも、少なからず危険はあった。
南の砦から王都メリゼルまでは、どんなに急いでも十日はかかる。『迷い人』は、危険に対処するための手段として、砦の番人に魔法を教えられたという話だ。
たった、一ヶ月の間を。
信じられなかった。
自分と同い年の少年が、たった一ヶ月の魔法訓練で、ここまでの領域にたどり着けるものなのか。
リエラも今まで、師から、学園の講師や生徒達から、天才と呼ばれ続けてきたが、その少年は桁が違った。
規格外の才能。
魔法界の生まれでもないのに。
魔法界で育った訳でもないのに。
―――十三歳なら、俺と同い年だな。じゃあ、少しの間よろしく。アマギさん……。
始めて見つけた。
同年代で自分と同じ場所に立っている者を。
―――俺の名前は秋人……。
―――如月秋人だ……。
当時のリエラにとってその人は、心から求めていた存在だった。
◇ ◇ ◇
――地上界地球――
朝。
カーテンの隙間から入る光に、リエラは身じろぎをした。
布団にくるまって眠る彼女の顔には、普段の冷たさのある表情は無く。安らかなまどろみに浸っている。
感覚的な起床のリズムによって意識が覚醒しはじめた彼女は、うっすらと、重い瞼を上げた。
白地のワンピースのような寝巻きが、少しだけ着崩れている。
露出している白い肌、細身ながらも出るところの出た体は、男にはさぞ目の毒だろう。
リエラは視界に映る見慣れない空間に一瞬ポカンとなるが、すぐにここがどこだかを思い出して、柔らかい笑みを作った。
いや、思い出して笑みを作った、というのは違うかもしれない。リエラの視線の先、隣のベッドで眠る人物を見て、自然と微笑んでしまったように見える。
男子にしては長め、女子で言うところのショートカットのような藍色の髪は、女性的な容姿と相まって、少女らしさをだしている。
この無防備な寝顔を見て、彼の性別を当てられる者はいないだろう。
(本当に、女の子みたい……)
そんなことを思っていると、
「何か失礼なことを考えなかったか?」
突然、眠っていたはずの少年が、瞼を上げて口を開いた。
そのハッキリとした声は、今起きたばかりという感じではない。
「起きてたんだ、秋人」
対してリエラはあまり驚いた様子もなく、変わらず笑んだ表情。
秋人は上体を起こすと、自身のベッドの隣に敷かれた布団で、同じように身体を起こしている少女に目を向ける。
「おはよう、リエラ」
「おはよう」
「眠れたか?」
「うん」
「良かった。でも朝食は少しだけ待ってくれるかな? しばらくすれば、家の人はみんな出掛けるから」
「わかった」
頷いたリエラの頭に左手を伸ばし優しく撫でると、黒いスウェット姿の秋人はベッドから出た。
昨晩。襲撃してきた『狩人』のいざこざを終えた後、護衛としてやって来たリエラは、秋人の部屋に泊まった。
護衛任務用として、魔法教団が秋人の家の近所に住むところを用意してくれていたらしいのだが、リエラが全く秋人から離れようとしなかった。
女の子を部屋に泊めることに対してさすがに秋人も渋っていたが、リエラが頑なに一緒にいたいと目で訴えていたので、甘くも了承してしまった次第だ。
いや、辛うじて寝る布団を分けられただけ、まだマシと考えるべきか。
「あ、そうだ……」
と、秋人が再びリエラの方を見て…………その身体を強張らせた。
立ち上がり目線が上がったせいで、リエラの全身、寝起きで着崩れた寝巻きと、その所々から見える白い柔肌が視界に入ってしまった。
バッ、と勢いよく目を逸らした秋人に、リエラは首を傾げる。
「どうかした?」
「いや、リエラ………服……」
赤い顔をしながらの遠慮がちな指摘に、リエラは自分の身なりを見直し、秋人が何に挙動をおかしくしているのか気付いた。
際どいところまで捲れ上がったスカート部分から伸びる、長く綺麗なスラッとした脚。ズレて広く開いた胸元からチラチラと覗く、比較的大きめの形良い胸部。青少年には大変よろしくない絵だった。
「あ……」
今度はリエラも声を漏らした。
あまり動揺はしなかったが、恥ずかしさを隠すように淡々と寝巻きを直す。
身なりを整える気配に、秋人はほっと、安心したような息を吐いたが、
次の言葉は余計だった。
「……でも、別にこれくらいで目を逸らさなくても…………秋人は私の裸……何度も見たことあるでしょ……?」
「誤解を招くような言い方はやめてくれ。見たのは二回で、何も無かったから」
赤裸々に何を言い出すのだ、と秋人は思わず頭を抱えてしまった。
「うん、おかげでまだ処……」
「それ以上言わんでい」
少し不満げな表情で口走ったリエラのセリフを、秋人は大慌てで止めた。冷めていても清楚なイメージが強い彼女に、そんな生々しい発言は遠慮願いたい。だから無論、
「こんなこと、秋人にしか言わないよ?」
「僕にも言わなくていいから……」
秋人は疲れたように肩を落とした。
気持ちを冷静に落ち着けて、改めて口を開く。
「僕は下にいるけど、くれぐれも部屋からは出ないでくれよ?」
水萌はもちろん、子供に無関心な両親でも、この格好のリエラと鉢合わせるのは、いくらなんでも不味い気がする。
下手な誤解を受けるのも嫌だ。
「………うん」
僅かに考えるような間をあけて、リエラは頷く。
その様子に少し不安を感じる秋人だが、あんまり起きてくるのが遅いと水萌が起こしに来てしまうので、取り敢えずは部屋を出ようと扉を開いた。
閉じるときに見えたリエラの寂しそうな顔に、秋人は何となく嫌な予感がした。
◇ ◇ ◇
一階のダイニングに入ると、いつも通りに水萌が起きていた。ブレザーの制服にエプロンを着けて、朝食の準備にかかろうとしている。
「兄さん。おはよう」
「おはよう、水萌」
「………」
挨拶を交わした後で、水萌が少しだけ不思議そうな目を向けてくる。
「どうかしたか?」
「ううん。ただ、兄さんがスウェットのままで下りてくるのが珍しかったから」
「まあ、今日から春休みだからな。そういうときもあるよ」
実際は、部屋にリエラがいたので着替え辛かっただけなのだが。
「そんなことより、朝ごはんの用意しようか。水萌は今日も学校なんだし」
「あ、うん」
そうだった、と壁に掛けてある時計を見て、水萌は動き出す。
食事の用意と片付けは兄妹一緒に行うため、秋人もキッチンへ続く。とそこで、秋人は少しの違和感を感じた。
空っぽの食器乾燥機。
いつもなら、あるはずの物がない。
先に朝食を済ませて、洗い終わった食器が置いてあるはずの場所に………。
両親の食器が無かった。
「水萌………父さん達……」
「うん。お父さんの車はなかったけど、お母さんは…………まだいるみたい」
「………そうか」
とても、自分達の両親のことを話しているとは思えないほどに、陰りのある会話。
兄妹の表情も僅かに歪んでいる。
両親が家にいることに意外感を感じる。
意外感どころか、この二人にしてみれば違和感でしかない。
そしてそれは、気にすることでもなかった。
「…………朝食作ろう」
「そうだね」
秋人と水萌は、その会話を続けること無く話を戻した。
お米に味噌汁に焼き魚と漬物。日本人らしい純和食を作り、テーブルに並べ終えると、二人は向かい合わせで席に着く。
「「いただきます」」
食べはじめて早々。水萌が、秋人の茶碗を持つ右手に、見慣れない物があるのに気付いた。
「兄さん。そんな腕輪持ってたっけ?」
「うん?」
水萌の問いかけに、秋人は朝食にいっていた意識を顔ごと水萌に向ける。
「兄さんって、アクセサリーとかほとんど付けないのに……」
「ああ、これ? 昨日来た郵便の中に、一緒に入ってたんだ。前にお世話になった人からの………え~と、プレゼントみたいなものだよ」
「へぇ~。綺麗だね」
物珍しそうに眺める水萌。
「それに、兄さんによく似合ってる」
「そうかな?」
この腕輪は秋人にとっても大切なものなので、似合ってると言われるのは素直に嬉しい。だが、水萌の次の言葉は余計だった。
「うん。兄さんは美人だから、綺麗なアクセサリーは凄く似合うよね」
「…………」
注意しておく必要はないと思うが、秋人は男だ。水萌もそれはわかっているし、ちゃんと「兄」と認識している…………はずだ。
「水萌……」
落ち込んだような顔と声を表す秋人を見て、ようやく水萌は自分の失言に気付いた。
「あ、ご、ごめんなさい。悪気があったんじゃないの。つい口に出ちゃって」
「そっちの方がへこむよ……」
つい、で口に出てしまうのは、紛れもなくその人の本心なのだから。
気落ちした兄を見てオロオロする妹。
そんな和やかな朝の食卓に、扉を開く音が響いた。
「………」
「………」
途端に静まる室内。中に入ってきたのは、黒いスーツを着た女性。
長く艶のある黒髪と凛とした顔つきは、美人としか言いようがないほど美しいが、どこか棘があるような印象を受ける。秋人と水萌の母である彼女、如月加菜恵は、朝食を摂る子供達を見て、薄く口を開く。
「おはよう」
冷ややかに飛ばされた挨拶には、興味の色はない。
ただの形。
決めごと。
ルールに則って行うものであり、友好を表すものでは決してない。
「おはようございます、母さん……」
「おはようございます……」
対して、秋人も水萌も食事の手を止めて同じように返す。
同じような、無色の色で。
加菜恵は自分の朝食を作り終えると、秋人の隣の席へ腰をおろした。
リビングには、食事をする音だけが静かに響く。
先程まで談笑しながら食事を摂っていた兄妹も、口を閉ざして開かない。
表情も無になっている。
親子の間にも、会話はない。
そしてそれが、自然だった。
だったのだが………、
「秋人……」
「!」
隣の席からの急な呼び掛けに、一瞬思考がフリーズした。
「…………はい」
返す言葉が、思わず固くなってしまうのは仕方がない。
ここ数年。食事中に話し掛けられたことなどない。食事中どころか、普段の日常生活の中でさえも、まともな会話がないのだ。
ましてや、親の方から話し掛けてくるなんて。
秋人の正面に座る水萌も、箸で漬物を挟んだまま固まっている。
「中学を卒業したからといって、ハメを外しすぎないようにしなさい」
「は、はい?」
母から向けられたその言葉に、秋人は理解が追い付かず疑問系で返えしてしまう。
いや、言ってる意味はすぐにわかった。
親なら普通に言いそうな言葉でもあるが、この人が言うと、普通に異常に聞こえてしまう。実際に、卒業を祝う言葉も無くそんなことを言うのは普通に変だ。
結果不意をつかれたような、間の抜けた声を発してしまった。
「え、え~と……」
何を言って良いのかわからず、目の前の水萌に視線を送るが、妹は固まったままだ。
母は、さらに言葉を紡ぐ。
そしてそれは、とんでもない爆弾だった。
「女の子を部屋に連れ込むのは構わないけど、まだ学生の身なのだから子供を作るのはやめなさいね……」
しかも誤爆である。
事実も誤解も吹き飛ばすほどの大爆発は凄まじいもので、今度は秋人も完全に固まった。