第三話 光の少女と氷の少年
肩下まで伸びた茜色の髪が、夜風に靡く。
夜の月が髪と同色の大きな瞳を照らし、無表情ながらも美しさを全体で表す容姿は、麗人と言って支障はない。
漆黒のローブに身を包んでいても、その華奢な体がよくわかる。
彼女が右手に握る黒を基調とした柄には、鍔の代わりに六枚の花弁。少女の体に合った小さく細い刀身は、鮮血のように紅黒い。
その剣、《ブレイブ・レイカー》は、魔力により紅い光を帯びていた。
「次から次へと、今度は誰だ」
苛立たし気に『狩人』が言うと、少女はあまりに素っ気なく、無表情で口を開いた。
「南大陸・レイバ国・王都メリゼル魔法教会所属《魔法騎士》リエラ・アマギ。―――レイバ国魔法教会協議会のもとに、あなたを拘束します」
透き通るように細い声だが、ハッキリと耳に響いてくる音を聞いて、驚いたのは『狩人』ではなく秋人だった。
(やっぱり……天樹リエラか……)
心の中で、確信したように呟く秋人。
その瞳には、驚きだけでなく、嬉しさと懐かしさも表れている。
魔法騎士が戦闘に参戦したことでか、秋人を囲む魔法士達の顔色が、少しだけ良くなった。
膝をついたままの相良に、魔法士の女性の一人が駆け寄る。
「相良さん、大丈夫ですか?」
「ああ、俺は良い。あいつらを頼む」
「え、は、はい」
相良は後ろで気絶している二人の魔法士を差して言うと、彼女は従って、今度はそちらに駆けた。
もう一人の女性魔法士・楠の方は、変わらず秋人の傍についていた。
秋人はその様子を横目に入れながらも、茜色の髪の少女に視線を送る。
「レイバの騎士だと? 貴様のような小娘がか?」
「………」
前に立つ『狩人』の騎士が嘲笑うように言うが、リエラは全く表情を変えない。
それどころか、奇襲に出た。
「『光の精よ――紅の輝き・我が手に槍を求める』」
叫ぶほど大きな声量ではないが、それはよく響いた。
剣を握る右手ではなく、無手の左手に紅の光が集まり、二メートルほどの『紅光の槍』を形作る。
そしてそれを『狩人』に向けて、投擲した。
「『光』の精霊系統魔法!?」
顔色が変わった『狩人』。しかし、騎士としての経験値からか、すぐに迎撃体勢に入る。
自身の剣を斬り上げるように振り、『水の刃』を発動させ、それは『紅光の槍』とぶつかった。
だが、果してこれは、ぶつかり合ったと言えるだろうか。
紅の光は、まるで素通りするかのように『水の刃』を消し飛ばし、『狩人』に直進した。
「くっ!」
魔法を破られた彼は、間一髪、体を捻って『紅光の槍』を交わす。
「『光の精よ――紅光の輝き・聖者の射手』」
リエラは構わず、追撃の魔法を発動する。
詠唱と同時に、紅の光が弾丸となって剣先から飛び出した。
「『集いし精霊の力――我が身に・その意志を伝える』」
対して『狩人』は、使用する魔法の種類を変えた。唱えられた言霊は『第三種強化魔法』。肉体強化の『加速』。
青色に輝く光を体に纏い、速力を上げた『狩人』は、リエラの魔法を次々と交わしまくる。
「『加速』魔法……」
リエラが独り言のように小さく呟いた。
その表情も、僅かに歪む。
「悪いが、先に標的の始末をさせてもらう」
「!!」
剣を握り直し、『狩人』が跳んだ。
咄嗟のことで、リエラは反応が遅れる。
「『水の精よ――剣に舞い・弾けろ・水の連刃』」
言霊を詠唱し、空中で大きく振られた『狩人』の剣から広域攻撃魔法が放たれた。
数が五十はある『水の連刃』は風を斬り、秋人達の方へ向かってくる。
相良達は、まだ動ける状態ではない。
それを理解してか、秋人の傍についていた楠は、攻撃から庇うために前へ出た。
「ダメだ! 伏せろ!!」
焦ったように、相良が叫ぶ。
(伏せてかわせるなら、そうするだろうけどな)
楠の後ろにいる秋人は、内心でひねくれた呟きをすると、右腕の『ホーラの腕輪』を発動させた。
魔法『収納』の解放。
蒼白い光を放ち、純白の鞘に納まった《ブリザード・マリア》が右手に現れる。
秋人は左手で、居合い抜きのように抜剣し、放った。
蒼白い………………冷気を。
秋人の魔法の力は、言霊の詠唱など関係ないというほど、圧倒的に、一方的に、『狩人』の詠唱した『水の連刃』を氷結させる。
一撃だった。
秋人の《ブリザード・マリア》の一振りで放った第二種特殊系統魔法―――『氷の息吹』。
一瞬の出来事。
何が起きたのか。相良は状況を理解できず、上空で砕け散る氷を見ている。秋人の前に立っていた楠は、目を見開いて後ろを振り返った。
驚愕の表情は、まるで頭が真っ白になったように固まっている。
と、彼女が落とした魔力測定器が、秋人の方へ向いて、反応した。
魔力値:32000。魔法レベル:9。
表示された数値は誰の目にも止まることなく、測定器は砕け散った。
◇ ◇ ◇
リエラがここへ来たのは、ただの偶然だった。
レイバ国から、地上界の日本にある魔法教団へ『世界転移』をしてきた彼女は、任務に着くため護衛する人物のもとへ向かっていた。
その最中に入った『通信魔法』は、自分がいる付近で『狩人』が発見されたため、増援に向かってほしいという内容だった。任務を優先したかったが、無視する訳にもいかず、やむなく来た。
だから、彼女は知らなかった。知ろうとも思わなかった。この場にいた民間人が、誰なのかを。
「秋人……?」
呆然と、リエラはその名を呼んだ。
呟いた、という方が、正しいかもしれない。
その顔には、今までの無表情からは考えられないほどに、驚きの感情が表れていた。
しかし、リエラの視線の先に立つ、蒼白い剣を持った少年には聞こえなかったようで、上空から住宅の屋根に降り立った『狩人』を睨んでいる。
「バカな、なぜ地上界の民間人が魔法を使える!! 貴様いったい何者だ!!」
「ただの、民間人だよ」
驚愕する『狩人』の言葉を一言で切り捨てて、秋人は左手の剣の照準を『狩人』へ合わせると、言霊を唱えた。
「『氷の精よ――蒼氷の凍てつき・氷河の魔弾』」
蒼い光と共に、蒼白い刀身から氷の塊が撃たれる。砲丸投げにつかう鉄球のような弾丸は、高速で『狩人』に向かう。
ハッとしたように、驚愕から意識を戻した『狩人』は辛うじて、『加速』により交わした。
しかし、秋人の攻撃、もとい砲撃は続く。
後続は、無詠唱で撃ち出した『氷河の魔弾』。詠唱していたら当たらないと判断した秋人は《ブリザード・マリア》を『狩人』に向けると同時に魔弾を撃ちまくる。
彼の周囲にいる魔法士達は、完全に固まってしまっていた。秋人の魔法で凍りついた訳ではない。だが、秋人のせいで凍りついていた。
秋人が纏う、異常なまでの巨大な魔力と圧力を感じて、指一本動かせない。
「すばしっこいな…」
舌打ちするように、秋人は言った。
連続して『氷河の魔弾』を放つが、『狩人』は『加速』を駆使して交わし続ける。
当たらない。
やはり、肉体強化魔法を使われる前、最初に強攻を受けたときに片付けた方が良かった。
秋人はそう思いながら、今度は『氷の息吹』を発動しようとしたが。
「!?」
秋人の『眼』が、別の魔力を捉えた。
慌てて視線を闇夜の道へ戻すと、ようやく意識を取り戻した二人の魔法士達の奥に、漆黒のローブのフードを被り、真っ白な仮面を着けた三、四人の人影が現れた。
(これは………『第四種補助魔法』の『傀儡』!!)
まるっきり気配がなかったためか、魔法士達はまだ気づいていない。
だが構わず傀儡人形は動きだし、魔法士達へ襲いかかろうとする。秋人はとっさに発動途中の『氷の息吹』を、そちらへ強引に座標修正して放った。
「何を!?」
秋人の行動に対して、楠だけが辛うじて声を上げることが出来た。
しかし構ってる余裕はない。
蒼白い冷気の塊は魔法士達の間をすり抜け、正確に『傀儡』を氷結、破壊した。
「まだ来るか!」
秋人の『眼』には視える。
住宅街の家の屋根から、仮面の『傀儡』がさらに飛び出してきた。
(あの野郎、あらかじめ時間差で発動する魔法を仕掛けてたのか……)
秋人が思うと同時に、『狩人』の魔力が視界から消えるのを感じた。だが、この状況では仕方ない。
逃げるための時間稼ぎ。
わかっていて、どうしようもないのは、中々悔しいが。
「『氷華の魔剣』」
秋人が左手に持つ《ブリザード・マリア》に、魔力を帯びた冷気が纏い、凝縮されたそれは、力を増していく。
右手の白い鞘をジーンズのベルトに差して、秋人は飛び出した。
「ハァァ!!」
雄叫びと共に振られる、蒼白く輝く剣は、 次々と『傀儡』を斬り裂き、氷の残骸に変えていく。
あまりの数の多さに、秋人は表情を歪めそうになるが、割り込むように横から放たれた『聖者の射手』によって、その顔は笑みに変わる。
紅の光を《ブレイブ・レイカー》に宿したリエラが、戦う秋人のすぐ隣に並び立った。
◇ ◇ ◇
呆気なく『傀儡』の大群を全滅させた秋人とリエラは、それぞれの剣を腰の鞘に納めた。
大群を相手したにも関わらず、全くの無傷で、息一つ切れていない。
戦闘体勢を解いて、二人は互いに視線を向ける。
「秋人、だよね?」
「ああ。久しぶり、リエラ」
「うん。最初、秋人だってわからなかった。髪が伸びてて、女の子みたいだったから」
「うっ……」
実際には伸びたというか、戻っただけなのだが。リエラと初めて会ったとき、すでに秋人の髪は、エレナに切ってもらっていたので、そう言われるのも無理はない。
「でも、秋人だね。本当に、秋人だ……」
ゆっくりと、リエラは秋人に近付き、嬉しさを滲ませた顔になっていく。
「お互い、再会を喜ぶのは後にしよう」
今にも飛び付いて来そうなリエラを手で制して、秋人はいまだ放心状態の魔法士達に目をやった。
「大丈夫ですか?」
腰を抜かしている楠と、止血を済ませて座り込んでる相良に向けて、秋人は言った。
「あ、ああ、何とか。全員無事だが、君はいったい……」
困惑した頭を落ち着かせるように、相良は言葉を発する。
「取り敢えず、この場から離れた方が良いですよ? 中途半端な発動だったので、『隔離結界』もそろそろ解けてしまうでしょうし」
「そ、そうか……」
それを聞き、相良は震える脚に鞭打って立ち上がる。
「そちらは、大丈夫そうですか?」
どうも立ち上がれない様子の楠に、後ろからズルズル歩いてきた魔法士達三人の一人が、手を差しのべる。
まだ移動に困りそうな一団に、秋人はどうしようかと思うが、前の魔法士達と似たような、新たな魔力が近付いてくるのが視えて、考える必要はないと判断した。
「どうやら、増援が来たようですね。では、僕はこの辺で失礼します」
「お、おい、待ちなさい。先程の襲撃の状況や事情を訊きたい。何より、襲撃を受けた以上は、そのまま帰す訳にはいかん」
魔法教団(保護する側)として、もっともなセリフを吐く相良。ただの民間人ならば、当然それに従うべきだが。
「今日はもう遅いですし、事情聴取は、また明日にでもこちらから伺います。それと、もしまた襲撃者が僕のところへ来るようなら…………今度は確実に仕留めますよ」
殺気を出している訳ではないが、その言葉は魔法士達の背筋を冷やした。
秋人が言葉を切ると、今度はリエラが魔法士達へ口を開く。
「私は彼の護衛として、魔法界のレイバ国から派遣された者です。これから彼には、常に私が警護にあたるので、襲撃に対する心配はありません。この国の魔法教団の場所も私は知っていますから、明日、私が彼を連れて行きます」
平坦に、平然と語っているが、その内容はとんでもないものだった。
地上界に住む人間に、騎士クラスの護衛がつくなど、全くもってありえない事だ。しかもそれが、国から出された任務であると言うのだから、地上界の魔法士としては考えられない。
さっきの戦闘といい、いったいこの少年は何者なのか?
魔法士達は、疑問を覚えずにはいられない。
「そういう訳で、詳しいことは、明日にしましょう。あと、僕のことは魔法教団側に他言無用でお願いします」
一方的に秋人が締め括ったところで、魔法教団の増援がやって来た。
「相良、大丈夫か?」
後方から駆けてきた六人のローブを纏った魔法士達に、一瞬気をとられた相良隊のメンバーは、揃って視線をそちらへ向ける。
「ああ、全員無事で、襲撃された少年も怪我はないようだ」
「そうか。それで、その少年はどうしたんだ? 魔法教団で保護することになるんだろう?」
「いや、まあ、何というか」
坊主頭をガシガシ掻きながら、説明を頼もうと再び少年達の方へ目をやったが、藍色の髪の少年と茜色の髪の少女は、すでにそこにはいなかった。
◇ ◇ ◇
見事にトンズラをかました少年少女は、住宅街の近くにある公園にいた。
「にしても、エレナ先生が『夢』で言ってた護衛が、リエラとは……」
「意外だった?」
「いいや。そうかも、って思ってたよ」
三月上旬の肌寒さを感じながらも、深夜の公園を並んで歩き、二人は一年半振りの言葉を交わす。
「本当に、久しぶりだ…」
「………うん」
感慨深い気持ちで秋人が足を止めると、リエラは数歩前で歩みを止め、秋人に振り返った。
正面から向き合う二人。
藍色の瞳と、茜色の瞳が交わり、優しく互いを見つめ合う。
特にリエラの嬉しそうな顔は、彼女の通う学園のクラスメート達が見たら「誰、あの子!?」と言うのは間違いない。
「ありがとうな、リエラ。来てくれて」
「構わない。私の任務だから、それに………」
「それに?」
「……………何でもない」
それに、私も来たかったから、というセリフは、危うく呑み込んだ。
少女は続けて口を開く。
「でも、サイフォリオ先生が秋人のところへ《ブリザード・マリア》を送っていたなら、私が来なくても『狩人』を撃退するくらい出来たよね……」
「……さぁ、どうかな」
余裕を含んだ口調ではぐらかす秋人に対して、リエラは表情に陰りを表す。
「ごめんなさい。あのとき、秋人がいるってわかった瞬間。私、少し気を抜いた……」
気を抜いたというより、実際は呆けてしまった。惚けた、とも言うかもしれない。同時に、自分はこんなにも焦がれていたんだ、ということを自覚して。
「リエラ?」
「私が気を抜かなければ、『狩人』を逃がすようなことはなかった」
うつ向いてしまったリエラは、明らかに落ち込んでいる。
そんな少女を前にして、秋人は目線の少し下にある、沈んだ頭に左手をポンッとのせた。
「秋人?」
「別に、気にしてないさ」
「……」
「僕だって、今日久々に魔法を使ってうまい戦闘の立ち回りが出来なかったし、『眼』も中途半端にしか使えなかった。そのせいで『狩人』が仕掛けていた『傀儡』にも気付くのが遅れたんだ……」
何故か自分のミスを語りだした秋人に、リエラは整った顔を上げ、しかめた。
「秋人、あなたはあくまで護衛される側。護衛対象が敵を撃ち損ねても非はない」
非はないというか、護衛される人間が堂々と敵に立ち向かうあたりで、本来は間違いなのだが。取り敢えずそこは置いておく。
「まさか、ただ護衛されてろ、何て言うんじゃないよな?」
「………」
「リエラが戦うなら、僕だって戦う。君一人には戦わせないよ。それは、絶対だ」
「……………うん」
リエラの茜色の髪をすくように、秋人は左手を動かし、優しく微笑んだ。
気持ち良さそうに目を細めるリエラに、続けて言う。
「まあ、あの程度の『狩人』……僕とリエラがいれば、何度襲われても返り討ちに出来るよ」
「襲撃する『狩人』が一人とは限らない……」
リエラの言う通り、普通に考えればそうだろう。
だが、秋人は変わらず余裕の笑みで、ハッキリと言った。
「僕たちが組む以上……負けるなんてありえないだろ? 相手が誰だろうが、何人いようが、ね」
決して、自分達の力を過信している訳ではないが、断言する。
この人が隣にいれば絶対に負けないと、互いが互いに、そう思える。
魔法界の英雄が二人、レイバの《双翼》。
一年半前に与えられた秋人とリエラの称号は、今でも魔法界では勇名を轟かせていた。