第二十話 黒邪VS双翼の二人
天樹リエラは、始めて空を飛んだときのことを、今でも鮮明に思い出せる。
秋人もそうだろうが。長い間、孤独の中をさ迷っていた彼女にとっては、世界が変わった瞬間だった。
肌寒い風と、僅かな恐怖の中で、
温もりを与えてくれる、繋いだ手。
これまでに無い一体感を感じ、彼女は空を舞っていた。
人も、魔物も、精霊も、女神も、誰にも入れない、二人だけの大切な場所。
心の中に、温かな光が射し込んでくる感覚。
全ての柵から、全ての理から解放され、自由な空を、二人は飛んだ。
同じ場所に立ち。同じ景色を見ることの出来る相手。自分にとって、かけがえの無い大切な人と共に得られる時間は、まさに夢のような、世界だった。
いつまでも、どこまでも……。
二人で、この世界にいたかった。
戦いが終わり、秋人が魔法界から帰還するとき、リエラは胸が引き裂かれるような思いだった。
自分の半身であり、片翼である彼。
二人の日々は、長く続かないと分かっていた。
空。
天。
二人だけの………世界。
◇ ◇ ◇
「兄さん……リエラさん……」
戦場から数キロ離れた所で、水萌は空を見上げていた。
暗黒の空に上がった敵を追い。蒼白い輝きと紅黒い輝きが翼を作って飛んでいくのが見えた。
彼女の脳裏に、二年前のことが思い出される。
帰って来ない兄。
そのまま闇の空に消えてしまうのではないかと、心に不安が募っていく。
「大丈夫です……」
震える水萌を横目に、マリ=エル・アロードは言った。
幼い少女から発せられた声には、僅かな曇りもなく。信頼というより、絶対の意志が感じられる。
「あの二人は……《双翼》の二人……」
魔法界を救ったレイバの伝説。最強の魔法使いが二人。
理由はそれだけ、
「だから、負けません」
それだけでそう言える。
「………マリちゃん」
一度、マリ=エルに顔を向けると、強い眼が返ってきた。
再び空に視線を戻し、水萌は祈るように手を組んで、遠くに浮かぶ輝きを見つめる。
遠目には一羽の鳥にも、一人の天使にも見える《双翼》の姿に、彼女は願う。
(………絶対に………無事に帰ってきてね………)
◇ ◇ ◇
舞い上がる。藍色の髪の少年と茜色の髪の少女。
空はすでに暗く、深い。少しでも油断すれば呑み込まれてしまいそうな、闇そのものだ。
しかし、浮かぶそれは、闇空の中にあってさらに、暗黒だった。
二人の表情が、険しく歪む。
空は、自由な場所だ。誰のものでもない。だが、そこは紛れもなく、二人の世界だ。
人の身にて、空を舞う。
如月秋人と天樹リエラだけに与えられた特権のようなもの。
別段、他人が昇って来たくらいで、何をどう言うつもりもないが、
「この場所に……………」
リエラが静かに怒りを吐く。
「暗闇を、持ち込むな!!」
心の叫び。
悲鳴にも近い声は、本当にリエラのものなのか疑うほど、強い戦慄を響き渡らせた。
握った手に力が入り、その思いが秋人にも直接伝わってくる。
リエラと違い、彼は冷静だった。
いつも通りの、落ち着いた様。
どんなときでも、どんな状況でも乱さない精神。静かな闘気をうちに秘め……、
リエラと同じく、彼の心は叫んでいた。
二人は《双翼》。
二人で《双翼》。
だからこそ、気持ちは同じ。
今にも突っ込んで行きそうなリエラの手を、強く握り返した。
そして言い聞かせるように、口を開く。
「戦いは二人でだろ?」
「……ッ!」
静かな囁きは、彼女の頭に雫を落とすように、ゆっくりと冷やしていく。
「…………うん」
しっかりと頷く茜色の頭。
そして《双翼》は、暗黒の空で、その敵と対峙する。
すでに彼は人ではない。
闇に呑まれ、堕ちた者。
その手に同化した『黒邪の刃』が、二人に向けられる。
秋人は瞬時に『神王の眼』を発動し、ガイファ・ラウサだった者を捉えた。
(……闇の柵が、どんどん強くなっていく……)
鎖のように彼の体に絡む、無数の闇の呪縛。
(………ラウサ)
過去を思う秋人。
いや、そんな場合ではないと、首を振る。
相棒であり、『魔法界の如月秋人』と一番長く共にいたリエラは、その様子を横に見て表情を曇らせた。
刃の先が、確実に《双翼》を捉えている。
二人は試しに魔力弾を撃ってみたが、まるで蚊に刺されたように効いていない。闇の魔法使いを一撃で吹き飛ばす威力があっても、『黒邪の刃』は難無く防いだ。
(どうしたもんかな……)
苦い顔になる秋人。
刃に宿った闇が動く。
(……来るか)
繋がれた手をそのままに……。
「………」
掛け声はなく………。
「………」
合図もなく………。
人が認識出来る速度レベルを越えて撃たれた闇の弾丸を、二人の体は全く同じ流れで動き、舞うように交わした。
「『氷の息吹』」
「『聖者の射手』」
同時に放たれる《双翼》の魔法。
通用しないのは分かっている。無駄撃ちすればここらの大気に住む精霊を喰われてしまうが、どうにかして隙を作るには仕方がない。最低でも、撹乱するために多少の魔法は必要だ。
だが、蒼白い冷気と紅黒い弾丸は、連続で『黒邪の刃』から放たれた黒槍に阻まれる。
「!?」
その光景に、如月秋人は『眼』を見開いた。彼の『神王の眼』の眼光が鋭く光る。
黒邪から距離をとるように後ろ向きで飛んだ二人。
間合いを見ながら、
(『………リエラ、これから言うことをよく聞いてくれ……』)
(『……うん』)
通信用魔法具『心話ピアス』による会話。
刃から『精霊殺し』を遠距離へ放つには、闇の魔法にのせて繰り出すしかない。それだけなら、『神王の眼』を使った『魔法解除』で封じるくらいは出来る。
だが、『神王の眼』は魔力の消耗が激しい。使って消しての千日手の状況になってしまうと、『禁忌魔法式』が相手では部が悪いのだ。いくら秋人のように膨大な魔力値があったとしても、先にバテてしまう。しかも、刃で直接触れれば精霊を喰らうことは出来るため、こちらの魔法は依然として通らない。
精霊を宿した剣と、『黒邪の刃』を交えてしまえば、確実に折られるだろう。戦場で武器を失えば、待っているのは死だ。
だから地上では、無茶とも言える(無茶としか言えない)丸腰近接戦闘にスタイルを変えて突撃した。
それしか戦う術がなかったからだ。が、
(見つけた……)
あの刃の、『精霊殺し』を崩す方法を。
繋いだ手にこもる力。
二人の体から発する魔力が、質を変える。
秋人は左手に握る《ブリザード・マリア》を、空中で一閃。同時に、蒼白い氷雪の風が吹き荒れた。
黒邪と化したそれは、刃を起て、精霊を喰らおうとするが、
「いっけぇ!!」
秋人が声を張り上げる。蒼白い刀身の剣が煌めき、氷雪の風は、『黒邪の刃』に触れても消えず、むしろ刃を弾き返した。
闇に包まれた体が体勢を崩す。
そしてそれに、ドンピシャのタイミングで、紅黒い光の波が、弾き上がった右腕を抉った。
衝撃で後方へ吹き飛ぶ黒邪に、《双翼》の二人が迫る。
追撃は剣。
蒼白い刀身が煌めきながら、空を走り、黒邪へ向かうと、奴は傷付いた右腕を体で振り、刃を使って防いだ。
甲高く切り結ぶ金属音。
鍔迫り合いとなる前に、紅黒く輝く剣線が飛び出す。
狙いは右腕。
ここまで力が増大した刃を、魔法で『封印』するのは難しい。叩き折るなんてもっと無理だ。
ならば、これしかない。
理性は無くても本能はあるのか、察知した黒邪は大きく飛び退いた。
突如として防戦一方になる『禁忌魔法式』。
舞い踊るように空を飛ぶ《双翼》は、手を繋いだまま、まるで不自由なく互いの剣を振り回し、軽やかな動きを見せる。
これで戦うのが普通、と言うような姿。
敢えて補足するが、《双翼》は手を繋いでいなければ、飛んでられない訳ではない。飛ぶときは二人でなければダメだが、一度空に上がれば離しても落ちるようなことはないのだ。
それでも手を離さない理由は、動きやすいから。
もとより、二人で飛ぶから《双翼》だ。二つの翼は揃っていないと、落ち着かない。空にいる間は、そこにいて欲しい。それが、秋人とリエラが互いに思うことだった。
さらに言えば、この繋いだ手こそが、『黒邪の刃』に対抗することの出来る力と言える。
「『氷の精よ――蒼の力・氷華の魔剣』」
秋人の《ブリザード・マリア》が蒼白い魔力を放ち、膨大な力を集約する。
「『光の精よ――紅の輝き・聖者の光剣』」
リエラの《ブレイブ・レイカー》が紅黒く輝き、その力を凝縮させていく。
二人は距離を詰め、鏡のような左右対称の動きで、黒邪に斬りかかった。
(やっぱりそうか……『黒邪の刃』が精霊を喰らうからといって……別に刃が生きている訳じゃない)
あれはあくまで、魔法式。
無作為に、欲するのまま精霊を喰らうのではなく、決められた法則のもとに喰らう力を発揮しているだけだ。
出来ることが限られるのは当然。
対応出来ない状況もある。
「ハアァァ!!」
秋人の剣が刃とぶつかる。
魔法は消えない。剣も折れない。
ただ、彼の《ブリザード・マリア》は、蒼白い冷気の魔力に、少しの紅を混じえていた。
刃を弾く秋人。
そこへ、リエラの《ブレイブ・レイカー》が飛ぶ。
紅黒い光を帯びた剣はやはり、所々に蒼が見えた。
如月秋人と天樹リエラ。
この二人―――《双翼》の二人は、手を繋ぐことにより互いを共有出来る。
それにより、リエラの操る『光』の精霊を秋人に纏わせることも、秋人の操る『氷』の精霊をリエラに纏わせることも可能だ。
そして『黒邪の刃』にある能力『精霊殺し』は、複数の精霊を同時には喰えなかった。
魔法のどちらかが、コンマ数秒でも刃とぶつかるタイミングが早ければ何事もなく喰えるだろう。だが全く同時、僅かなズレもない完璧なタイミングで迫る魔法は、対応の範囲外になってしまう。
つまり、『精霊殺し』が機能しない。
秋人とリエラは、互いの魔法や剣に、二つの精霊を混じえながら放っていた。魔法の直接干渉が出来る、第二種の精霊ならではの方法だ。
「セェアァァ!!」
振り下ろされた剣は、刃に取り込まれた右腕に斬り込む。
硬い手応え。
腕の半分を抉ったところで、リエラの剣が止まった。
そこへ、追撃が掛かる。
「フッ!!」
秋人の剣が大きく斬り上がり、ガイファ・ラウサの右腕の残り半分を飛ばした。
小さな金属音を響かせる蒼白い刀身と紅黒い刀身。
舞い散る鮮血は闇の中に。
刃を失った体は墜ちる。
飛んだ腕から外れた『腕輪』は、左右の翼の中に、蒼と紅の魔法石が合わさっていた。
◇ ◇ ◇
――魔法界リベリア――
レイバ国の王都メリゼル。魔法教会の中にある王立図書館。
二年前に起きた大戦の元凶たる《マギドラバ》のことを調べようと、クレリア・オルゴートはここに来ていた。
高い天井に届きそうなデカイ本棚に、ギッシリ詰まった史書を見ていたのだが、ふと、一冊の背表紙が目に入った。
手に取って、苦笑いする。
本のタイトルは『双翼伝記』。
いったい誰が書いたのか、つい一年半前の戦いは、すでに歴史に刻まれていた。
「リエラもついに、歴史の偉人かぁ」
あの歳で英雄となった弟子の成長を、喜ぶべきだろうか。少し悩む所ではある。
パラパラと本を捲っていくと、後ろの方には二人の活躍だけではなく、二人と共に戦った魔法使いのことも書かれていた。
「《双翼の騎士団》」
大戦の終盤。《双翼》の二人を中心に集まった魔法騎士の少数精鋭チーム。
メンバーは数人だが、いずれも強者揃い。皆、《双翼》の二人を示すような『腕輪』を身に付けて、尊敬の念を表していた。
大戦後は散り散りになってしまい、どうしているのかは誰にも分からないが、彼らもまた英雄として、語り継がれるだろう。




