第十二話 開眼
氷雪と爆風が同時に起き、水萌に刃を振り下ろそうとした闇の魔法使いは、子供のように軽々と弾き飛ばされた。
先程までランエマーが剣を振り回していた場所は、コンクリートが蒼白く氷結して冷気を漂わせている。
新たな戦闘の介入者。
如月秋人はそこに立っていた。
蒼白い刀身の剣。《ブリザード・マリア》を左手に握り、体から漏れだす冷たい魔力が、そのまま空気まで凍らせるようだ。
「《氷翼》の……秋人……」
闇の魔法使い。トリス・ランエマーはその姿を認めると、無意識に呟いていた。
かつて、対峙した敵。
自分たちの組織を壊滅させた張本人。
だが、彼女が呟きを漏らしたのは、再び見えた仇敵に対する反応ではない。
一年半前、大戦に終わりを告げさせた終結戦の場に、《マギドラバ》の一人としてランエマーも参戦していた。
理解しているのだ。彼の力を。
自分ではどうにもならないような、圧倒的実力差を。
その身に染みて、分かっている。
立ち向かうこと事態が馬鹿馬鹿しく思えるような、驚異的な力を。
その目で見て、知っている。
魔法界でさえも、桁違いを通り越して、場違いな強さを。
自分が今まで出会った者の中で、最強の魔法使いだと、彼女の心が覚えてしまっている。
勝てる訳がない。
魔法界リベリアに何十年と君臨し続けている大魔法賢者ですら、こう言った。
―――如月秋人は天才だ。勝てると思う方が、どうかしている……。
何より、《氷翼》がいるのなら、もう一人いるはずだ。
彼らは二人揃って、最強の存在なのだから。
◇ ◇ ◇
「秋人様……」
呟きを漏らしたのは、闇の魔法使いだけではなかった。
ランエマーを挟んで秋人の対面。
薄水色の髪をショートボブにした幼い少女は、髪と同色の瞳をパチクリとさせ、見間違いでないことを確認する。
戦時。共に過ごした仲間。命の恩人であり、互いに命を預けて戦ったこともある戦友を改めて認識し、マリ=エルは戦闘中だというのを一瞬忘れそうになった。
「間に合った…?」
すると、釘を刺すように、少女の後ろから聞き慣れた冷め気味の声が掛けられる。
「アマギさんまで……どうしてここに!?」
敵から目を離すことはないが、マリ=エルは現れたもう一人の《翼》に驚きを隠せない。
「秋人が、いきなり妹の名前を呼んだと思ったら、嫌な予感がするって……」
そのままここまで『飛んで』来たらしい。
リエラは肩に掛かった茜色の髪を左手で後ろに払い、右手にある紅黒い刀身の剣。《ブレイブ・レイカー》を握り直した。
すぅ、と視線を小さな少女から正面の魔法使いに上げる。
「闇の魔法使い……?」
「はい。……しかも彼女は―――」
「《マギドラバ》、か……」
マリ=エルの言葉を遮るように、茜色の髪の少女は言う。
「知っているんですか?」
「前の大戦で見たことがある。名前は忘れたけど…」
どうでもいい人の名は覚えない、というのは、リエラの話。
彼女の場合、他人に興味を持つこと事態、あまりに少なすぎるが。
「どっちにしても、秋人の敵じゃないよ」
その言葉に、マリ=エルは苦笑いをした。
苦笑いが出来るぐらいに、余裕が出来たのは、二人が来てくれたからだろう。
幼い少女は言う。
「アマギさんと二人なら……なおさら、ですね」
レイバの《双翼》。
魔法界に在って、最強のツーマンセルのことを、魔法使いたちはそう呼んだ。
◇ ◇ ◇
「兄…さん?」
彼女の場合は、呟きというより、問い掛けに近かった。
如月水萌は、如月秋人の背中を、まるで夢でも見ているかのようにボーッと見つめる。
「ごめんな、水萌。こんな危険なことに巻き込んじゃって………」
巻き込んでしまったのは、決して秋人のせいではない。だが、藍色の髪の少年は、女の子染みたその容姿を暗くして謝った。
「え? どうして? …………本当に、兄さん………?」
「…………ああ」
水萌は、すでに分かっているはずだ。『指輪』が自分を守ってくれた、その時点で……。
だがそれでも、実際目の当たりにしてしまうのは違うようで、兄の介入は、妹の心の中に、不安と困惑の波を広げていく。
「―――話は後で、ちゃんとするから、」
背中ごしに妹へそう言って、彼は正面の敵に全意識を集中する。
普段は温厚な少年が生み出す、激しい感情を魔力に乗せて、
「久しぶりだな、トリス・ランエマー。そのゲスな性格は、昔と何も変わっていないようだ…」
凍えるように冷たい怒りを、声に乗せて、
「僕の妹にちょっかい出して……ただで済むと思うなよ……」
ゆっくりと、如月秋人はその『眼』を開いた。
「!!!」
始めて見る兄の姿に、妹は息を呑んだ。
そして、対峙していたランエマーの表情が凍り付く。
まるで秋人の魔法が直撃したような固まり具合は、それだけで隙が出来たと言えるかもしれない。
危うくも集中を保った彼女だが、その顔はすでに、恐怖で打ちのめされていた。
ただ、如月秋人が、『眼』を開けただけで……、
「ッ!!!」
その瞬間。トリス・ランエマーの脳は、逃げるために、全力を注ぐ選択をした。
「『闇の帳よ――闇に集え』」
不意をつき、僅かでも逃げる隙をつくるため、握った剣に魔法を使う。だが、
ギィィン、と、甲高い金属同士を打ち鳴らしたような音が、辺りに響いた。
刃に宿った暗黒はしかし、振り下ろされる前に消え去った。
「!!?」
消えた? 無くなった?
剣の主は、呆然と、魔法を失った刃を震わせる。
「そう言えば、あんたは僕と直接戦ったこと………なかったな…」
消えた魔法を感じながら……。
いや、何も感じないから……。
彼女は、動けなかった。
「悪いな……。どんなに強力な魔法でも、発動前に消せば何の問題もない」
秋人は言う。
「僕の『眼』の前で、正面からの単調な魔法が使えると思うなよ」
特殊系統と言われる第二種の魔法で攻撃出来るのは、人や物などといった物理的な存在だけではない。
秋人やリエラが使う『氷』や『光』の『第二種特殊系統魔法』は、魔法や精霊にも作用し、魔法同士のぶつかり合いをより有利に運ぶことが出来る。
昨晩の戦いで、二人が『狩人』の魔法を簡単に撃ち破れたのは、魔法に直接的干渉をして破壊する、第二種ならではの特殊性があるからだった。
魔法の発動時、使い手は必ず精霊を呼び集める。
第二種の魔法使いがその精霊を正確に見極めることが出来れば、自身が魔法を使うことなく、『魔力呼吸』で精霊を操り、相手の魔法を発動前に消すぐらいは容易いことだった。
「『神王の眼』……」
小さく声を発したのは、マリ=エルだった。
大戦時。彼女も何度か見たことがある。
白銀に染まった瞳と、その中心で輝く金色の輪。
それが、《氷翼》の如月秋人が開いた『眼』だった。
神から授かった力。
神の『眼』。
どんなに離れた場所をも見通し、どんなものでも見極める。
物体、魔力、精霊、魔法。
見えるものだろうが見えないものだろうが、この『眼』はすべてを写し出す。
だが………、
あらゆる存在を視る『眼』から直に入ってくる膨大な情報を、常人の脳が対処しきれる訳がない。
視えていたところで、いや、視えているからこそ、その『眼』を活かす動きが出来るはずはないのだ。
(でも、あの人にはそれが出来る。短期間で数多くの魔法を修得する、異常なまでの吸収力と情報処理能力。どんな状況にも対応する応用力と判断力があるから。………瞬時に相手の動きを、完全に見切って対処してしまう)
だからこそ、
それ故に、
「如月秋人は天才だ……」
尊敬と、憧れを薄水色の瞳に宿しながら、幼い少女は言い切った。
◇ ◇ ◇
トリス・ランエマーは、秋人の前から逃げ出した。
背を向けて、走り出す。
必死の疾走。
だがそこには、《天童》マリ=エルと、もう一人。
如月秋人の圧力を間近に受け、恐怖にとらわれていた彼女は、完全に忘れていた。
先程まで、自分で懸念していたはずのことを。
如月秋人がいるのなら…………、
「『光の精よ――紅光の輝き・聖者の射手』」
美しく反響する声で、その人、天樹リエラは言霊を唱えた。
それと同時に、向けられた切っ先から、紅に輝く弾丸がトリス・ランエマーへ放たれた。
意表を突かれた形になったが、奇襲に対しての訓練も受けている彼女は、思いの外冷静に、手に持った『霊剣』へ魔力を込めると、数発の光の球をその剣で弾いた。
闇の魔法使いであるランエマーの実力なら、この程度のことは容易い。
それは、リエラも分かっていた。
「『光の精よ――紅の輝き・聖者の光剣』」
続けて唱えられた言霊で、少女の右手に握られた紅黒い剣が強く輝く。その光は薄皮一枚まで凝縮されていき、巨大な魔力の塊が少しの乱れもなく一振りの刃に集中する。
「ッ!!」
大きな力を感じて、さすがのランエマーも一瞬戸惑うが、自身の後ろにいる化物を相手にするよりはマシだと思い、《光翼》に突っ込んだ。
肉体強化をしての突撃なら、上手く掻い潜って逃げられるはずだった。
「『集いし精霊の……』」
ギィィン、
しかし、魔法は発動前にかき消された。
この場に、この空間に、如月秋人がいる限り、まともに魔法は使わせてもらえない。
「チッ!!」
彼女は走りながら、苦し紛れに剣を振りかぶる。
魔法が使えないからといって、魔法使いは戦えない訳ではない。もとより、魔法使いは剣術と魔法を平行して習い、戦闘でも併用して使うものだ。
闇の魔法使いの中でも、ランエマーは剣術を魔法戦闘に多く取り入れているため、剣だけでも十分に戦える。
相手が……天樹リエラでなければ。
振り下ろした闇の魔法使いの剣は、刀身を真っ二つに折られた。
折られたというか、斬られたというか。リエラはただ、ランエマーの剣を、自身の剣で受けただけだ。
それだけで相手の剣の刀身を、半分吹き飛ばしてしまった。
本来、魔法使いが鍛えた『霊剣』は、その刀身に精霊を宿しているため、物理的な攻撃では折れない。が、リエラの、第二種魔法の『光』を宿した《ブレイブ・レイカー》は、その刃を触れさせるで、どんなものでも斬り裂ける。
触れれば斬れるため、力業では圧しきれない。
光を伸ばして間合いを操れるため、相手に勝機を与えない。
光速で放たれる刃はもはや、見切ることさえできない。
剣術の才能にも恵まれているリエラは、剣を主体に戦う魔法使いにとって最も戦いたくない相手と言えた。
如月秋人が魔法を封じ、天樹リエラが剣を封じる。
魔法と剣で戦うのが常識とされる魔法使いにとって、二人の戦闘スタイルはまさに天敵だった。
剣を折られ、絶望に立ち止まったランエマーへ向けて、
「『氷の精よ――蒼き力・我が手に・凍てつく息吹を』」
背後から、『氷の息吹』が追撃した。
◇ ◇ ◇
見事に氷まみれになった闇の魔法使いが、激痛に気絶したのを確認すると、少年の瞳は髪と同じ藍色に戻った。
秋人、リエラ、マリ=エルの三人は、手にしていた剣を各人『腕輪』に『収納』し、緊張した雰囲気が解けていく。
すると、
「秋人様、エグいです……ドSですか……?」
相手の全てを封じた上でぶっ放した追い討ちは、まだ十一歳の幼い少女には見るに耐えない光景だったらしく、体を震わせて呟いた。
「やあ、マリ。ご無沙汰。背ぇ伸び……たな?」
「久し振りの会話で、あっさりスルーしましたね。そしてなぜ疑問系ですか?」
「伸びたのか?」
「……………伸びてないです」
小さくなっていくマリ=エルの声に、ただでさえ小さい身がさらに小さくなるようだ。
幼い少女の横にいたリエラはそれを見てクスッと笑った。
秋人は仕切り直すように、ここに来るまでずっと疑問に思っていたことを投げてみる。
「というか、レイバ国最強を誇る九人の騎士団長の一人。《天童》マリ=エル・アロードが、こんなところで何をやってるんだ?」
「うぅ、ちょっと事情がありまして…」
「アロード騎士団長は、アテナ国の調査をしてるってリエラが言ってたけど。まさか、『転移鏡』のトラップに掛かって、地上界に飛ばされたとか?」
「うぅぅ……」
適当に言ってみたが、どうやら正解に近かったらしい。
「あんなのズルいですよ。反則です…」
「………まあ、話は後で訊くよ」
何やらぶつぶつと呟き、落ち込みを表す幼い少女を見納めると、秋人は自分の後ろでへたり込んでいた妹に振り返る。
「水萌、大丈夫だったか?」
「う、うん…」
いまだ恐怖を隠しきれない表情は、青ざめていた。理解の範囲を超える存在に襲われた恐怖が見てとれる。だが、同じ魔法使いであるところの秋人自体を怖がっている様子はない。その事に安堵しつつ、秋人は手を差し伸べた。
キュ、と素直に兄の手に掴まったが、力が入らないのか上手く立ち上がれない。
「水萌……ちょっとごめんな」
「え?」
秋人の言葉がよくわからないまま、
「よっ!」
水萌は兄に抱き上げられた。
「ひゃあ!!」
俗に言うお姫様抱っこ。
これを兄妹でやるのも、また珍しい。
青ざめていた表情が一転、水萌は真っ赤になって身を強張らせる。
ちなみにこのとき、リエラの雰囲気が秋人の魔法並みの氷点下に達したが、その元凶たる彼は気付くことはなかった。
「教団の人間ももうすぐ来るみたいだし、あとは任せて、僕らは退散しよう」
「………うん」
「……了解です」




