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双翼の舞う世界 ~魔法界からの帰還者~  作者: 低系
~魔法界からの帰還者~
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第九話 迫る危機

 南大陸地方の戦闘で用いられる種別魔法とはまた別に、魔法戦技に部類される『魔法返し』は、相手の詠唱に割り込み、発動途中で集まっていた精霊を、自分のもとに奪い取って放つものだ。

 発動中の相手の魔法を横取りするため、自分にかかる疲労や魔力消費が極端に少ない。

 自分より実力が下の者を複数相手にするとき、体力を温存するために使う技術の一つとされているが、相性や役割分担を考慮した五人一組の集団戦を主流とする近代の南大陸魔法戦闘では、使用する者がほとんどいない珍しい技だ。

 訓練生(荒木)の『火炎の弾丸』程度なら、放たれた後に消し飛ばすのも容易いが、どこに飛んでいくか分からない危険なものは、使わせるのも気が引けた。

 かといって、無駄な体力を使いたくなかった秋人は、荒木の魔法を自分の魔法に変換し、適当に安全な場所に飛ばす。という方法をとった。

 結果、手を前に突き出したまま、声の出せない口をパクパクするバンダナの男と、沈黙した訓練場が出来上がってしまった。

 鳩が豆鉄砲よろしく、唖然とした顔で立ち尽くす魔法士長とその部下。


(う~ん、少し大人気おとなげなかったかな……)


 やってしまってから自己嫌悪する秋人だが、中学を卒業したばかりの十五歳である彼は、まだ子供だ。

 沈黙した空間の中、はあ、と再びため息を吐いて、項垂れようとしたところで、


「秋人……あの人、殺しても良い?」


 平淡な声で囁かれたとんでもないセリフに、秋人は勢い良く顔を上げた。

 そのすぐ隣から、華奢な体を前に出してきた茜色の髪の少女。

 光彩の消え失せた髪と同色の瞳はしかし、鋭く、固まったままのバンダナの男を睨みつけている。


「ダメ!! てか、何バカなこと自然体で口にしてんだ!!」


 叫んだ。

 思わず叫んだ。

 そうしなくては、マジで殺ってしまいそうだったから。


「秋人に牙を向けた者は……誰であろうと……私が許さない……」


 だが、リエラはすでに、秋人の言葉ですら止められないレベルのスイッチが入っていたようで、紅黒い魔力の輝きが、少女の全身から漂い始める。

 しかも、いつの間に『腕輪』から取り出したのか、彼女の右手には《ブレイブ・レイカー》が握られていた。

 ヤル気満々。

 殺る気満々。


「!!」


 ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 以前。秋人がまだレイバ国にいた頃、何度か見せたことがある姿。


 マジ切れリエラ。


 レイバ国の頂点に立つ魔法使い。九人の騎士団長の一人が、思わず気圧されたほどの殺気と怒気。

 如月秋人に危害を加えた者は、天樹リエラの制裁が下る。

 死の法則だった。


「あの、すみません! うちの教団の者がとんだご無礼を…………お怪我はありませんか!!」


 と、死神の鎌が振りかぶられる少し手前で、フレデガーがハッとした顔で慌てて近寄ってきた。


「は、はい。全然平気です」


 リエラの両肩に両手を置いて、その姿を体で隠すようにしながら、秋人は背中ごしに答える。

 心なしか、顔が引きつっていた。

 いろんな意味で、平気じゃないのは目の前の相棒の方だ。

 魔法騎士団長でさえ後ずさる今のリエラとまともに目が合ったら、並みの人間は腰を抜かしてしまうかもしれない。

 というか、秋人が自分の魔力を使ってリエラの魔力を抑え込んでなかったら、この訓練場にいる全員、凄まじい殺意の魔力に間違いなく意識を飛ばしていたはずだ。


「リエラ、抑えろ……」


 背後に聞こえないよう、耳もとに顔を近付けて小声で囁いてみる。


「……無理」


「無理じゃない! 頑張れ!!」


 この場合「頑張れ」と言うのが正しいのかどうかは分からないが。


「いいか、リエラ……取り敢えず今は大人しく……、」


 していない奴がもう一人いた。


「この野郎……ふざけやがって……」


 果たして、ふざけやがって、はどちらのセリフだろう。

 やっと硬直がとけた荒木は、喧嘩ごしをといていなかった。


「何しやがった!?」


(あんたはもう黙っとけ!!)


 秋人は身の内で叫ぶ。

 懲りず、今にも殴り掛かってきそうな荒木に、目の前の魔力がさらに湧き上がっていった。


(ヤ、ヤバイ!! リエラの奴、昔より魔力ちからが……!!)


 リエラの怒りのリミッターが、外れた。


 ◇ ◇ ◇


 黒いポンチョを頭から被った少女が、街を進む。

 十歳前後の小さな歩幅で、テクテクと、テクテクと、人気ひとけの無い道を歩いていく。


 軽い足取り。


 目的地はあるのだろうか。


 ただの迷子だろうか。


 止まることなく、少女は歩き続ける。


 やけに静かな街。


 静かすぎる街。


 少女の足音以外で、この街に音はない。


 まるで世界から断絶されたような、孤の空間。


「あ~あ、失敗しちゃったみたいだね…」


 歩きながら、少女は呟く。

 静寂に響き渡る、幼くも冷えきった声で。


「こうなったら、さっさと片を付けないとダメだね」


 やがて、少女の足が止まる。

 刹那の無音。


「そう思わない?」


 再び響く声。

 辺りには誰もいない。

 いや、いつの間にか、そこに一人。

 ガッチリした大きな体に薄黒いローブを纏い、フードを深く被った男。

 ローブの胸のところには、剣の紋章。

 その不気味な雰囲気は、とてもこの世界の存在とは思えない。

 少女は口を閉ざすと、微かな笑みを浮かべて、薄水色の瞳を鋭く輝かせた。


 ◇ ◇ ◇


 魔法教団の訓練場にて。

 今まさに如月秋人の奮闘が見られた。 


(力業じゃ抑えられない……、こうなったら………)


 天樹リエラの怒りを鎮めるための方法その一。


「リエラ……あんまり聞き分けがないと。もう頭撫でてあげないよ?」


「!?」


 秋人が小声で囁いた一言に、今まさに斬りかかろうとしていたリエラは硬直した。ゆらゆらと纏っていた殺意の魔力も、瞬く間に霧散させていく。

 茜色の髪の少女は先程と売って代わり、しょんぼりと顔を俯けて、


「ご、ごめんなさい……」


 秋人に、乞うように謝った。

 

「うん……良いよ」


 大人しくなったリエラにそう言うと、目線の少し下にある茜色の頭に左手を持っていった。

 ゆっくり、あやすような撫で方をされ、リエラは気持ち良さそうに目を細めて、ほっ、と落ち着いた息を吐く。


(こっちは、鎮まった。で、あっちは……)


 背中ごしに目を向けてみると、フレデガー魔法士長の細い後ろ姿が見えた。


「いい加減にしなさい……荒木……」


 刺すような声は、鬼神の如き覇気を感じる。

 数分前まで秋人たちに見せていた揚々と人懐っこそうな態度が一変(というか豹変)。

 ケイト・フレデガーは怒っていた。


(怖ぁ~。エレナやリエラもそうだけど、女ってのは何でキレたらこんなとんでもないオーラを出すかな……)


 およそ大学生ぐらいであろう荒木は、フレデガーとあまり歳も変わらないはずだが、完全に畏縮していた。


「ッ!! ―――す、すいません……でした……」


 あれだけデカかった態度が、今では小学生が先生に怒られているような縮こまりだ。


「この方たちは、教団の大切なゲストです。今後二度と、軽々しい態度で話し掛けないようにしなさい」


 重くのし掛かる言葉に、荒木は頷くことしか出来ない。

 フレデガーは止まっていた訓練の再開を示唆すると、楠にこの場を任せ、秋人たちを訓練場から連れ出した。



「すみません、せっかく見学させて頂いたのに……」


 訓練場を出てからしばらくして、言葉を探すように口を開けたり閉じたりしていたフレデガーに、秋人が言った。

 もう一度深く謝ろうとしていた矢先、逆に謝られてしまった魔法士長は、あの勇ましいまでの怒り具合はどこへやら、挙動不審に慌て出した。


「い、いえ、謝るのは私の方です。私たち教団魔法士がちゃんと訓練生たちを監督しきれてないせいで、危うく秋人さんたちに怪我をさせてしまうところでした」


 本当に申し訳ない、という顔をするフレデガーに、秋人は一度苦笑いしてから言った。


「まさか、あんなことでは……僕もリエラも、掠り傷一つ負いませんよ」


 自分の力を誇示するのは嫌いだが、ここはこう言うべきだろう。

 あの程度は、問題の内に入らない。


「僕が魔法界に居たとき何て、道中山賊に絡まれたり、魔物に襲われたり、火炎流星群が降る中で一夜を明かしたり、地雷だらけの道を突撃するハメになったり、大変なことは色々ありましたから」


「………」


 秋人が口にした想い出のアルバムの一ページに、フレデガーは思わず絶句する。

 そしてこのとき、彼女は思った。

 基準がおかしい、と。

 比べる世界観のスケールが違う。

 片や、地上界出身者の魔法使い見習いが起こした下らない騒動。

 片や、魔法界南大陸で注意しなければならない、人、魔物、自然、罠の代表的な四つの危険。

 魔法界にいた半年の間で、これだけ見事に経験してるのも珍しい。

 普通ならそれで生きてるのも奇跡だ。


「どうしました?」


「あ、な、何でもないです……」


「そうですか。―――まあ、僕らのことは大丈夫なんで、気にしないで下さい」


 言うと、隣にいたリエラが、秋人の右手を握った。

 どうやら、先の件を気にしているのは、無表情ながらも納得のいかない不満を表している相棒の方らしいが、秋人は敢えて何も言わないことにした。


(また何が起こるか分からないし……)


 レイバ国民が怒ると、特に。


「そう言えば、もうすぐお昼ですね。よろしければ教団こちらで御一緒にどうですか?」


 思い出したように腕時計を確認したフレデガーに誘われ、秋人とリエラはお言葉に甘えることにした。


 ◇ ◇ ◇


「あ~、やっぱり秋人は来ないのかぁ」


 時刻が午後一時を回った隣街の駅前で、昨日臨海学園中等部の卒業式を向かえた女子たちが集まっていた。

 腰まである長い茶髪を左右で束ねた少女は、可愛らしく整った小さな顔を歪め、いまだにテンションの上がり切らない原因となった人物の名を出しながら一人ごちる。


「佐原……まだ言ってるの?」


 それに対して、隣に立つ長く綺麗な黒髪の美少女・間宮由利亜が若干呆れ気味に言うと、不貞腐れた佐原佳代の頬がさらに膨らんだ。


「ぶぅ~、だって~」


「諦めなさい……アキも予定ぐらいあるんだから」


 由利亜はそこで一度言葉を切ったが、卒業式の前に秋人がしていた話を思い出して、再び口を開いた。


「―――そう言えばアキ。ミナが春休みに入ったら、二人で旅行に行くとか言ってわね」


「え!?」


 初めて聞いた、と言わんばかりに、佳代は目を丸くした。


「最近のアキは、ミナに甘いからね~。私たちと遊ぶより、妹の面倒見てる感じだし」


 茶化すように続けられたセリフに、茶髪の少女は少しだけ複雑な表情を作りながら言う。


「…………なんか、不思議。だって、あの秋人が……」


「まあ、人間変われば変わるものよね。もともとアキは、ミナのこと凄く大事にしてたから、変わったというより戻った、かな」


「そう、だね。―――やっぱり……あれが原因なのかな……」


 だんだんと沈んでいく二人の声。


「たぶん……。あのときからよね。アキが、昔のアキに戻ったのは」


 如月秋人の行方不明。

 半年後。発見されてからの秋人の雰囲気が、どこか余裕を持った落ち着きのあるものになった。

 当時は、秋人が無事に還ってきてくれたことだけが嬉しくて、そのことまで気が回っていなかったが、


「何があったのかな……」


 佳代は呟く。

 秋人が話したがらないため、なるべく話題に上げないようにしていたこと。


「………」


 由利亜は佳代の言葉には応えなかった。

 応えたくなかった。この話をしたがらないのは、秋人だけではない。当時のことを思い出してしまうから、残された者たちも決して深く突っ込んだ話はしないのだ。

 佳代もそれ以上何も言わず、話が切れた。

 黒髪の少女は、まだ来ていない今日のメンバーを急かすように、視線を改札口の方へ向けた。


 と、


「あれ?」


 見慣れた女顔が……、


「あれって、」


 見慣れた藍色の髪が……、


「アキ? と、もう一人は……」


 見慣れない茜色の髪の少女と、仲良く歩いていた。


 ◇ ◇ ◇


 秋人のことで友人たちに呆れられた日の放課後。

 一人帰路にたった水萌は、寄り道なく真っ直ぐに如月家に続く道を歩いていた。

 ここ一年半の間は、秋人と一緒に登下校をすることが多かったため、胸の内に寂しさが漂っている。

 あと二週間もすれば自分も春休みに入り、休みが明ければ高等部に通い始める秋人と、再び登下校を共にできる。

 もう二度と…、互いを避けるように学校へ出ていくようなことにはならない。

 もう二度と…、一人きりで家に取り残されることはない。

 地獄のような半年間。

 あんな日々は、もう二度とない。

 それは分かっているが。

 やっぱり、一人になると、どうしても思い出してしまう。


(はぁ~、ダメだなぁ~、私……)


 本当に……ブラコンを否定出来そうにない。

 もはや開き直っているが、言い訳をさせてもらうと、一度行方不明になったことのある兄を、日頃から心配するのは当然だと思う。

 ただ、心配の仕方が自分よりになっているだけで。


(やっぱり、ブラコンなのかなぁ~)


 秋人の方はどうだろう。

 鬱陶しく思われていないだろうか? 

 もし、そう思われていたなら、ちょっと……いや、かなり立ち直れそうにない。


(それでも……)


 絶対に失いたくない、大切な人だから。


(兄さんが居たから、今の私が在るんだから……)


 あの人が何かに悩んでいるなら、助けてあげたい。

 力に成りたい。


(だって、私は……)


 胸元に光る『指輪』を握りしめながら、内なる想いに囚われそうになったとき、水萌の視界に一つの小さな影が止まった。


「?」


 水萌の正面に立った黒いポンチョ姿の可愛らしい少女は、おずおずと子供らしくもハッキリした声で言った。


「すみませぇん、道を訊きたいんですけど…」


 上目使いに見てくる薄水色の瞳には、わずかな不安が見えなくもない。

 住宅街に入ってはいるが、周囲にさほど人が溜まらないここらの道には、現在水萌と前に立つ少女以外に人影が見えない。

 加えてこの辺はかなり広い宅地なので、道にも迷いやすいのだ。

 さ迷い歩いてようやく人を見つけた、という様子に、水萌は視線を少女へ合わせるように体を前屈みにして、なるべく優しく問い返す。


「うん。どこへ行きたいのかな?」


 少女は、目的の場所を口にする。

 そしてそれは、


「はい。如月秋人さんのお家は、どう行けば良いんでしょうか?」


 戦いの歯車を、ゆっくりと回し始めた。

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