【1】ー3 寡黙な少女
「……はぁ」
「どうしたの? 今日は体術ないよ?」
『招魔の儀』の翌日。早朝から全員で自主練したり講義を受けたりして身体に疲労が蓄積され始めた頃、レヴァンは今の気分と対照的なきれいな青空を見ていた。真上に登った太陽が今日も今日で元気いっぱいである。
「ねえ、ほんとにだいじょぶ?」
思わず漏れたため息に心配してくるフロル。そんな少女に弱々しい笑みを浮かべながら、レヴァンは正直に話した。
「昨日、寮に帰るときにさ……教官にあったんだよ……」
「ありゃりゃ」
「それでな、理由を聞かれたんだ」
「理由……って、何の?」
本気でわかんないらしいフロルに内心ため息をつきながらも、続ける。
「『レヴァン、すでに契約をしてるのか?』ってさ」
「……あぁね」
ようやく納得したらしい。話したことによりさらに思い出してしまい、レヴァンは再び、はあっとため息をつく。
すでに契約をしているのか? その質問は『招魔の儀』失敗の理由を聞いていることに他ならない。
「で、なんて答えたの?」
「答えてない」
「え?」
そう、レヴァンは答えなかった。なぜなら、答える前に「いや、アイヤネンはまだしも、貴様にそんな才能があるとは思えん」と断言されてしまったからである。
「うわぁ……それはちょっと悲しいね……」
「はは、まあな」
お互いに乾いた笑い声を発し続けるが、しばらくしてどちらからともなく、はあ、とため息をついた。何に遠慮しているのか知らないが、クラスメイトたちはレヴァンたちに話しかけてこなくなり、以前に比べて周りが静かになっていた。
「ったく、コソコソと……」
「何話してるんだろね? 混ぜてもらおっかな」
「いや、無理だと思うぞ?」
そんなことを言い合いながら、ふと周りを見渡す。すると、外される視線が一、二……三……大体二十三か。
「うん。やっぱ無理っぽい」
「むぅ……。なんでかな……」
そんなことを言うフロルに微笑みながらも、腫れ物に触るかのような周りの態度や視線にレヴァンはわずかな苛立ちを感じていた。
そんなとき、がらがらーと音を立てて教室の扉が開く。
「席に着け。講義の時間だ」
いつものように二分前に来た教官を見て、生徒がそそくさと自分の席へと戻って行く。教官も教壇へと立ち、唐突に黒板に何かを書き始める。そこにはレヴァンが見てもわからないような魔法陣が描かれていく。
「では、このすでに教えた火の出現魔法陣だが……」
あれ? 習った? そんな顔をしているレヴァンに気づいたのかいないのか、
「今日中にこれに手を加えて、応用、発動してみろ。手本は見せてやる」
教官が本日の目標が立てる。と、この時点で補習者が誕生した。
「「ありゃ」」
言わずもがな、レヴァンとフロルである。魔力を借りることの出来ない二人にとって、課題は不可能なものだった。
「では、やってみせる。しっかり見ておけよ?」
そう言って教官は指を伸ばす。すると、その先がほのかな蒼色に発光し、宙に線を引いていく。教官は素早く火の出現魔法陣を描いてしまう。
が、まだ終わらない。
それを基礎として、くの字を左右対称となるように重ねて組み込んでいく。すると、
「まあ、こんな感じだ」
教官がそう言うと同時、生み出された炎が形を変え、小振りなナイフのような形へと変わった。
教官がそれを握って軽く斬り払う動作をすると、ブワンッブワン、とすごい音がなる。
「えーっと……あれって確か……」
ぼんやり覚えている知識を動かそうとレヴァンが考えようとすると、フロルがすかさず言った。
「変形陣『剣』を組み合わせた炎剣だよ。わざとくの字を小さくしてナイフにしてるみたい」
「あ、それそれ。よく覚えてるな」
「ふふ。レヴァンも勉強しなきゃ~」
そんな感じでいつもとそう変わらない会話をしている二人であったが、周りはそういうわけにはいかなかった。なぜなら、
「あれを今日中にしなくちゃなんねえの?」
というわけだからである。不安げな生徒たちを見て、教官は魔力の供給を絶ってナイフを消すと、
「変形陣の組み込みに失敗すると、魔法陣が爆発するから気を付けろよ?」
とサラッと言ったが、それは生徒たちの顔色を悪くするだけだった。その様子にうむ、と満足気になり、では始める、という言葉とともに教官は今日も教鞭をとる。
「では、今日の講義は以上だ。昼食を摂って各自第一修練場に集合。実習の後、課題をこなした者から解散だ」
ではな、と言って教官はいつものようにささっと出て行く。これから実習までの間、教官が何をしているのか気になってしまうのはレヴァンだけだろうか。
「ふう……やっと飯だ……腹減った……」
息絶え絶えでなにか深刻そうだが、なんてことはない。腹が減っては戦はできぬという言葉があるように、昔から食事というのは大切なのである。
「まあ……ほんとに戦になるかも知んねえけど……」
頭の中に鬼教官を想像し、はあっとため息。最近ため息が増えてきているように感じるレヴァンであった。
「……ふぅん。魔物の中にも特別な強大種『精獣』が存在する。『聖獣』とも言い、一属性中の魔物の中で最も大きな力を持つとされている、かあ……」
「ってちゃんと授業のノートまとめてるし。すごいなぁ……」
「なに言ってるの。ちゃんと聞いてないの、レヴァンくらいだよ?」
「え、うそ?」
「ほんと」
そう言ってふふっと微笑むのはフロル。確かに彼女の言うように周りは前の講義の内容を必死でまとめているようだった。
「うわ、ほんとだ……」
しかし、自分はやろうとしない。そこまでのやる気はレヴァンにはなかった。そんなレヴァンをフロルは仕方ないなぁみたいな目で見て言った。
「せめて実習ではいい成績とってよ?」
「なんだよせめてって」
わずかに憮然とした顔になるが、レヴァンはすぐに元の表情に戻った。あまりの空腹のためだった。
「……もぅ。仕方ないんだから」
そう言って、ででんっと取り出すのはまるごと一袋の煮干。
「さあ、たんと食べてね」
「食えるかっ!?」
つまんない、とかふざけたことをぼそっと言って、フロルはすごすごと煮干をしまう。いや、そこまで気落ちしなくてもと思うところなのであるが、まさかこのためだけにあれだけの煮干を持ってきたのだろうか?
レヴァンが空恐ろしく感じていると、
「…………煮干、欲しいかも」
そんな声が聞こえてきた。
「「……?」」
レヴァンとフロルはしばらくお互いを見る。そのどちらもが喋っていないことを確認して、レヴァンは声が聞こえてきた方向、つまり自分の後ろを振り返った。そこには、一人の少女が。平均よりやや小柄な体格で、背中までありそうな艶やかな黒髪を複雑に結っている。小さく整った顔立ちが清楚なイメージを持たせるような少女だった。
その少女はほのかに笑ったかと思うとこちらへ歩み寄ってきて「…………お昼ごはん、一緒に食べていい?」と聞いてきた。
特に断る理由もなく、そして少しでも賑やかになることを望んだレヴァンは二つ返事で承諾する。するとその少女は近くのイスと机を動かした。と、ここでレヴァンは思い当たった。
「あ、黒い子犬を出してたよね?」
「…………アミナ・スピノラ、よろしく」
「そっか、こっちこそよろしく」
「よ、よろしく」
レヴァンとフロルは、突然のアミナの登場に驚いたようであったが、すぐに馴染む。二人とも基本来る者は拒まない主義であった。と、いうよりも、
「てか、俺達と話してていいのか? 周りの奴ら、遠慮してるみたいだけど」
そうである。先日の失敗のせいで、今日まで他の生徒と話すことが多くなかった。そのためしばらくはフロルと二人だけになってしまうと思っていたレヴァンであったのだが、
「…………周りに合わせたって仕方ない。レヴァンたちと一緒のほうが楽しそうだって思った」
そうやってなんでもないことのようにアミナは言った。表情を見る限り、本当にそういう考えらしい。そんなアミナを見て、
「……そっか」
レヴァンは安堵した。
「ありがと、アミナちゃん。これからよろしくね」
フロルの方も嬉しかったのか、握手をしていた。フロルの喜びが大きすぎて、アミナが振り回されている。微笑ましい物を見るように目を細めながら、レヴァンは自分のイスに深々と座った。
「良い雰囲気であるな」
「ああ、確かに。仲良くやっていけるといいんだけど」
フロルが振り回そうとし、負けじとアミナが大きく振った結果、もはや握手に見えなくなってしまっている。
「それは問題なかろう。わが主は人見知りのようだが、悪い人間ではない」
「……そうだな。あまり話したことないけど、仲良くしていきたいよ」
そうして、会話は終わる。フロルがアミナの手を取って振り回しているのを見ながら、レヴァンはふうっとイスに腰掛けていた。そして、
「……ってあれ?」
――いま、誰と話してた?
今更そんなことに気づいて、レヴァンは周りを見回した。しかしいるのは、疲れて小休止している少女二人と遠巻きに見ている生徒たち。とても会話が出来る相手などいなかった。一番可能性が高いのはフロルたちのうちの誰かだが、先程の声は腹に響くような――
「む? 誰を探している?」
そう、このような重く低い声……って、
「下?」
聞こえてきたのは自分の足元。反射的にそちらを見たレヴァンの目に写ったのは、
一匹の黒い子犬。
「…………疲れてんのかな?」
幻聴でも聞こえたかと思いそんなことをつぶやくレヴァンであったが、
「我を見て疲れたとは、いい度胸だな小僧」
なんて、その子犬はレヴァンへと声をかけてきた。おまけに子犬のくせになんだか偉そうな喋り方で……
「……え? なに、おまえ。しゃべれるの?」
「馬鹿にするな。人間の言葉など容易い」
「……へぇ。で、おまえ何?」
「無知な者だな」
「余計なお世話っ!?」
「では教えてやろう。我が名は―――」
「…………ミグルス、態度、だめ」
どうやらミグルスというらしい黒い子犬の言葉を遮ってそれを持ち抱えたのは、いつのまにか来ていたアミナだった。
「む……我が主、名乗りの邪魔をするな」
「…………態度、だめ」
「確かにおぬしからは『他人に向かって偉そうにするな』と言われてはいるが……」
「…………だめ」
「いや、しかしな……」
「…………だめ」
「……………………気をつけよう」
そんなミグルスの反応にアミナは薄い微笑を浮かべて、ミグルスを床に下ろす。
「…………ごめん」
突然、アミナが謝罪の言葉を口にする。え? なにが? とレヴァンは思った。
「…………ミグルス、わたしの招魔だから」
「そういうことか。いいよ、気にしてないし」
笑ってレヴァンが言うと、少しぼんやりとした後にアミナはほんのり頬を桜色にしてありがとう、とつぶやくように言った。
瞬間、レヴァンの喉がつまった。後ろから来る圧迫感。
「レヴァン。……アミナちゃんと”仲良い”ね?」
何故であろうか。フロルの言葉をすごく裏読みをしてしまう。まるで真綿で首を絞めるような感じであった。そんな感覚に寒気すら覚えつつ、ギギギと音を立ててレヴァンは振り向いた。
「フロル、落ち着け」
「落ち着いテるヨ?」
「……オッケー。おまえはたしかに落ち着いてる。……怖ぇけど」
「怖い? ナにが?」
「あえて言わせてもらうなら、その自覚がないとこ、かな?」
そう言いながら、じりじりと下がっていくレヴァン。逃げ場がないかをさっと確認するが、壁が近いために、いい動きは出来ないだろう。なぜこんなことになったのかレヴァンは知らないが、今のフロルには勝てない。殺られる。
「…………よかった。私、人見知りだから。レヴァンとは話せる、みたい」
危機的状況にもかかわらず、アミナの言葉になるほどそういうことかとレヴァンが納得すると、
「……そゆこと」
と、納得したような声。と同時に周りの圧迫感が消失した。どうやら勝手に完結してくれたらしい。レヴァンはふーっと息と共に気も抜けてその場に脱力してしまった。
「小僧、無事か?」
自分の心配をするのが足元でおすわりしている尊大な子犬だけというのが悲しくなって、思わず空を仰いでしまったレヴァンであった。




