【1】-2 儀式
「やべぇ!?」
厳しい修練のせいか、シャワーが心地よく感じてしまい、時間を忘れていた。とんだ不覚。レヴァンは廊下での猛ダッシュそのままで教室に駆け込んだ。二分前、セーフ。
と、同時に。
「何やってる。もう始めるぞ」
すぐ後ろに教官が入室してきていた。まだ二分前なのにと思いながらも、レヴァンはおとなしく席に着く。そこから、本日二度目の講義が始まった。
「全員いるな? よし。では、アイヤネン」
「はい」
「前回の授業内容を前に来て描け。復習だ」
そんな指示に、わかりました、と頷いて、フロルは席を立つ。そのままスタスタと前に行き、チョークを持って黒板に線を引き始めた。
「……」
いや、その表現は適切じゃない。真剣な目を黒板に向けながら、フロルは円の中に直線を織りまぜるような模様を描いていた。記号、図形など、そのどれもを用いながらも、出来上がっていくのはそのどれでもない。
魔法陣。
巨大凶暴化した獣に対抗するために用いられる技術である魔法。それを発動するために必要不可欠なものである。
ここ、イレーネ浄法院はこの都市唯一の魔法を教える学校であり、訓練施設である。都市を守る「浄魔士」になるための人材を育成し、輩出するために設立された。授業は主に講義と演習の二つで、講義では魔法などについての知識を学び、演習でそれを生かした訓練が行われるというスタイルをとっている。
しかし、入学資格が魔力親和性のため、入学者は少ない。近々、入学資格を緩和するという話も出てきているが、そのあたりはまだ噂の域を出ない。
と、そこでフロルが最後の直線を引き始める。それが端から端までゆっくりと引かれていき、魔法陣は完成する。この世の理を曲げる、力ある形が描かれ―――
しかし、何も起こらない。
「よし、さすがだな。席に戻れ」
フロルは教官の言葉に従う。それを確認した後、教官は口を開いた。
「前回この、火の出現魔法陣を教えた。が、すでに知っているように、人間は魔力を持たないために、このままでは魔法は発動しない。魔力を得るためにはどうすればいいか。レヴァン、わかるな?」
「……ふぇ?」
「魔力を持つ魔物と契約する。それが唯一。そうして契約が成功した魔物のことを『招魔』と呼ぶ。レヴァン、そのあくびの中に握りこぶしを突っ込んでみるか?」
「ひいぃ。すいません!」
呑気にあくびをしたところを注意され、ビビリ上がるレヴァン。その姿を見て教官は鼻をならし、
「……まあいい。話を続ける」
教官は一度咳払いをした。
「先程言った招魔は、体内に一定量の魔力を宿している。魔力量は個体によって違いがあるが、これに魔力を借りて人間は魔法を構築することができるということだ。そこまでは理解しているな?」
そう言って、教官はおもむろに指を伸ばすと宙で動かし始めた。
その指先はほのかな蒼光に包まれ、その軌跡を残していっている。その軌跡がかたどるのは、先程フロルが描いたものと同じもの。教官が最後の直線を描き終えると同時、ボッと音を立てて現れるのは、宙に浮かぶ炎の球体。
教官の、こういう感じだ、という言葉と全員を見渡すような視線に、生徒一同コクコクと頷いた。
「貴様らも、いつか招魔を呼ばなくてはいけない」
……何が言いたいんだろう、とつぶやく声があちらこちらからあがる。それに、淡々とした顔で、教官は告げた。
「これから、『招魔の儀』を行う。各々心構えをしておくように」
「「「…? って、はあ!?」」」
「それだけ元気なら問題ない」
まるで、明日は遠足だ、みたいに教官は気軽に言った。実際は、『招魔の儀』は浄魔士を志す者にとって生涯の一大イベントであるというのに、だ。
「というわけだ。それでは、第一修練場に集まれ。そこで儀式の用意をしている」
そうして、質問など受け付けないまま、教官はささっと出ていってしまった。あまりの早業にとり残された生徒たちは当然、
「今から? ちょっすごい不安なんだけど……」
「低いランクの魔物が出たらどうしよ~」
と、まあ似たようなことを言い合ったりして騒いでしまう。声が大きいのも不安からくるのだろう。しかし、さすが鬼教官に育てられた生徒である。落ち着いている者もいた。
「レヴァンくん、不安じゃないのっ?」
そう、ただひとり落ち着いているのはレヴァン。フロルでさえ少し緊張したような顔をしているのにである。
レヴァンは話しかけてきた近くの女子の方へと意識を向けた。亜麻色のショートヘアをゴムで束ねて、内側の元気というものが雰囲気にまで出てしまっている活発そうな少女だ。
ぱちっとした作りをしている目を向けてくる少女に、レヴァンは少し考えるようにして口を開いた。
「んー、不安というか……ほら、俺劣等生だからさ。どうせ失敗するし……もう開き直っちゃてるんだよ」
「えーそうなんだ? でも、みんなに大人気だよね、レヴァンくんって」
否定もしてもらえないことに一抹の寂しさを感じながらも、えーそうかぁ、と言って、
「そりゃフロルのおかげだろ?」
と、レヴァンは答える。すると、その女子はとんでもないといった顔をして、
「それだけじゃないよー。男子にも女子にも人気あるんだからっ」
「えー男子に人気は嫌だなあ」
レヴァンが言うと、その女子はニヤリと笑った。
「わたしはいいと思うけどねっ」
「ははは~……マジで?」
そんな冗談に二人して笑いながら、
「じゃあ、私も開き直っちゃおっと。それじゃまた修練場でねっ」
「ああ、また」
そうして修練場に向かった女子の背中を見送る。あれだけ明るい性格なら男子どもが騒ぐ理由もわかるなぁ、とレヴァンは呑気に思う。
友達でも見つけたのか、少女は小走りで駆けていった。それを見終わった後、レヴァンは振り返った。
「で、おまえはなんでそんな睨んでんの?」
そう、隣の席の少女に尋ねる。少女は目線をわずかにそらしながら、
「……睨んでないよ」
「でも怒ってるじゃん。そうやって少し無口になるところ、昔から変わんないぞ?」
「怒ってないもん」
「いやおまえ、それは無理が……」
「怒ってないもん」
「……まあいいけどさ」
漏れてしまう苦笑をため息で隠しながら、レヴァンはよいしょっと立ち上がった。そしてフロルの方を向くと、
「姫様。ご一緒しませんか?」
芝居がかった動きで少女に手を差し出す。
「……そんなんじゃわたしの機嫌は直んないんだから」
フロルはそんなことを言いつつも、レヴァンの手を取って立ち上がる。やっぱ怒ってたんじゃんという言葉はこらえておいた。
「んじゃ、とりあえず行くか」
「そだね」
そう言って二人はまるでいつもの訓練に行くような足取りで、儀式の会場へと向かったのだった。
『招魔の儀』
それは十年ほど前、この都市の最高権力者――「監視者」である、イレーネ・セイレンが考案したものである。元は神社での祭事に用いられていた「降魔の式」という名の召喚の見せ物であったが、一時的な顕現しか出来ない「降魔の式」を改良、汎用化し、契約者と招魔の間に絆のような不可視のバイパスをつないだ方法である。これにより招魔は契約者へと魔力を供給し、その身を守ったりするようになった。
それだけ重要かつ慎重にすべき儀式であるのだが……。
なぜか連絡を聞いて十分。レヴァンたちは、修練場へと足を運んでいた。
第一修練場。ここは魔法を訓練するために用意された場所である。様々な環境での魔術戦の訓練を想定して、やけに広く、荒野や草原、湖などいろんなものがある。そのためあまり修練場には見えないという不思議な場所でもある。
「全員、一列に並べ。いいか、あまり騒がしくするなよ?」
そんな教官の言葉に生徒たちは一列に並ぶ。その行列の先にあるものは、地面に描かれた複雑怪奇な魔法陣。あまりに難しくてレヴァンにはどんなものなのかさえわからない。並んでいるのは五十人ほどだろうか、全五学年中のうちレヴァンたちの所属である第二学年しかいないようだった。
レヴァンが観察するように周りを見回しているうちに、すでに儀式は始まっていた。声の方、つまり教官がいる方へと目を向けると、そこには名前を呼ばれた一人の少女がフェレットのような生き物を抱えて、かわいー、と言いながら戻ってきていた。
「ってあれ? あの子……」
レヴァンが目を凝らしてよくみると、それは先程話しかけてきた少女だ。どうやらその子は心配するほど悪い結果ではなかったらしい。レヴァンはそのことに安堵した。
「相変わらず、お人好しなんだから」
「……サラリと人の心を読まないでくれませんか?」
後ろに並んでいるフロルに、レヴァンはもはや恐れを感じる。そんなことを知ってか知らずか、スカーレットの少女は笑顔だった。笑顔のまま、
「どうする?」
とレヴァンに尋ねた。
「……まあ、なるようになれ~って感じだな」
「いいのかな~」
仕方ないだろ、と言いつつ、レヴァンは前を向いた。
そこには次々と生涯のパートナーとなる招魔を得ていく生徒たちがいる。そして列の先頭。今から儀式を行うのだろう、背中まである艶やかな黒髪を持つ少女が緊張の面持ちで立っていた。
「よし、次」
教官が言った。名前を聞く様子はない。全員の名前を覚えているためであろう。レヴァンたちの想像を裏切って、かなり真面目なお人であった。
「…………は、はい」
こちらの少女は怯えているようで、声が震えていた。しかし、震えながらも勇気を振り絞って、やがて決意したように魔法陣の中へと踏み込んでいく。
と、その瞬間、
【……契約の資格を持つ者よ】
地面が揺れて、底から響いてくるような声が魔法陣から聞こえてくる。声自体は女性の声のようにも聞こえ、さほど恐ろしくない。しかし、聞いてしまえば動けなくなるような到底人間には出すことの出来ない、力ある声であった。
【……力を、欲するなら、祈りを、捧げよ。心を、奏でよ】
その言葉とともに魔法陣が白く、強く輝く。その中で、黒髪の少女は以前授業で習ったように膝をついて、聖女のように祈りを捧げた。すると魔法陣はさらにその輝きを増し、同時に声が再び聞こえてくる。
【……祈りは、聞き届けられた。力を貸し、与えよう】
声が言い終わると、魔法陣の輝きが少女の前方へと集中し、直視が出来ないほどに目を灼くような光となった。やがて光が収まるとそこにいたのは――
一匹の黒い子犬。
「アミナ・スピノラ、Cランク」
そう言い渡す教官の声に、わずかにがっかりしたように表情を曇らせる少女。それも仕方が無いだろう。ランクは、Sを頂点としてA、B、Cと続き、少女は最低ランクであると言われたのだ。ランクは見た目の種族と大きさを元に決められる。いくら成長で能力は伸ばせるからと言って、明るい顔はできないだろう。
しかし、それも一時のこと。可愛らしい子犬の姿を見て、少女は優しげににっこりと笑った後その場を後にした。
「へえ……子犬はCランクなのか~」
着眼点はそこか、と突っ込みたくなるようなセリフを吐くのはレヴァンである。彼が少女の表情なんて逐一見るわけないのであった。そんな様子の少年にため息をつくのは幼なじみの少女。スカーレットの髪を指先でいじりながら、苦笑を滲ませている。
「よし、次」
そんな声で次から次へと儀式は行われていく。
B、B、A、C、C、B、C……
Sランクは一回も出ない。というか、でたらおかしい。Sランクは現役の浄魔士であっても未だ四人しか存在しないためである。よって、万が一Sランク相当の招魔が来れば、成績優秀者として飛び級ぐらいはさせられるだろう。
そんな職員たちの期待とは裏腹に、生徒たちはそわそわとしていた。
「うわ、不安だよ。ど、どうしよう……も、もし……」
――招魔が現れなかったら。
そんな不安を持つものがいるようで、場が静寂になることはなかった。いつもなら友人とのたわいない雑談で騒がしくなるところを、今回は皆の顔には心配の色。教官も分かっているのか、大きくなってきた声を収めるつもりはないらしい。
「よし、次」
また一人と儀式が済んだ。Aランクの招魔が出たようで、他の生徒達にスゲーなおまえ、と言われていた。
「へえーAランクかぁ……」
といっても、レヴァンは全く興味がないようであったが。
と、そのとき、
「次のやつは来いと言っているだろうが」
そんなお優しい言葉とともに教官がレヴァンの襟首を力強くつかみ、引きずる。そう、いつのまにかレヴァンの番が回ってきていたのだった。
「レヴァン、魔法陣に入れ」
「わかりましたよ……」
首をさすりながら、レヴァンは魔法陣へと目を向ける。地面に描かれたそれはただの模様に見え、とても光り輝いたり魔物が現れたりするようには見えない。
ふうっとレヴァンは軽く深呼吸をすると、気を引き締める。周りの生徒も結果が気になるのか、何故か少し静かになっている。
それを視界の端で確認しながら、レヴァンはゆっくりと足を魔法陣の中に踏み入れた。
すると魔法陣は白く、そして強く――
【……】
光らなかった。
いや、確かに反応はした。したのだが……それが声になる前に、ただの模様に戻ってしまったのだ。
そんな結果にレヴァンは、はあっと盛大に溜息をつくと、魔法陣を後にした。
「ほう、招魔の儀すらこなせないか。貴様は本当に魔法関係は劣等生だな」
「教官? 慰めもしないで、ダメ出しですか? 普通に傷つくんですけど……」
そうやって落ち込んだように下を向いたレヴァンを、教官は口の端で笑って見て、
「しかし予想はしていたんだろう?」
「……」
「前代未聞の召喚失敗をやらかしたやつが、予想もなしでそこまで落ち着いていられるはずがないだろうが」
フッと意味ありげに笑った後、教官は特に何もなかったかのように「よし、次」と言って話を進めていた。
「ていうか、次って……」
フロルである。少女はスカーレットの髪をたなびかせて、わずかに緊張した様子で前へと進む。
「アイヤネンさんって学年主席でしょ? もしかしたらSランク出すかもしれないって職員の先生たちの間では噂なんだって」
そう、近くにいた女子生徒たちが話している。
招魔の強さに何が関係しているかは、未だにわかっていない。しかし、フロルに期待が向けられるのは仕方ないことだった。
他にも、あちらこちらから似たような話が聞こえてきていた。今までのテストで満点以外取ったことないんだよな、とか、ほんと完璧な人だよね~とか。
それを聞いて、
「あちゃー、緊張してるな……。かわいそうなやつ」
そうレヴァンはつぶやいた。見ている先はフロルの横顔だ。そこにあるのは魔法陣を見つめている目の真剣さ。しかし、それは他人が見ていたらの話だった。
「……うわぁ。今の状態でからかい過ぎたら、絶対ぶっ飛ばされるな……」
長い付き合いのレヴァンが見るとそんなことを思ってしまうほど、プレッシャーを背負っている顔であった。そういうときのフロルはなにか失敗をやらかしてしまう事が多いのだが……この儀式では特にやることはないので心配はいらないだろう。
レヴァンがそうこう考えているうちに、フロルは魔法陣へと踏み込もうとしていた。一歩手前で立ち止まり、右足をゆっくりと上げる。
それにともなって辺りは静寂が支配した。
優等生の招魔が気になるのか、近くで雑談をしていた契約済みの生徒たちも集まってきていた。そんな多くの視線に、一瞬身震いしてからフロルは足を踏み出す。生徒たちの関心がぐわっと高まった。
しかし、魔法陣は光らなかった。
「……え?」
そう言ったのは誰か。それはわからないが、この場にいる全員の心の声と解釈して問題はないだろう。それほどまでに全員が事実を認識出来ていなかった。そのことは教官であっても例外ではない。
「アイヤネン、もう一度魔法陣に入りなおせ」
めずらしく焦ったような声に、フロルは言うとおりにするが……。
【……】
やはり結果は同じであった。
「馬鹿な……」
信じられないというような声音で教官はつぶやく。そんな様子を見ながら、フロルは魔法陣を後にした。そのままスタスタとレヴァンの方へと来る。
「おつかれ~」
「はぁ。優等生もここまでかぁ……」
「別に、筆記試験は一位のままじゃん」
そんな落ち込んだ様子もなく、二人はワイワイと話す。が、周りの生徒達は気を遣っているのか、話しかけてはこなかった。ただ遠巻きにこそこそと話しているだけで……。
「……なんか、感じ悪いね」
とフロルが言うほどの印象だった。
「……よし、次」
さすがというべきか、教官は気を取りなおし、次々と儀式を進めていく。
それからの結果は全員が良かった。次から次へとBランク以上が誕生し、後ろで控えていた研究職員たちも、今年は優秀だ、と小声で話し合っている。
「しかし、アイヤネンが失敗とは……」
「どういう事だろうか……?」
しかし、嬉しいことの中でも、いや、だからこそ、その場にいる全員の疑問を拭うことは出来ないまま、呆気無く儀式は終了し、各々解散となったのだった。




