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招魔の祈り ~law distorters~     作者: 平山コウ
1.~異端の少年~
2/71

【1】-1  とある少年

 都市シレンティア。この世界に残る数少ない都市の一つである。それは、だだっ広い荒野の上にぽつんと存在していた。

 その都市の中央区、この都市のシンボルとしてそびえ立つ高い灯台のような建造物―――『物見塔(ものみのとう)』の傍に控える全四階建ての建物。その内にある一室で、


「レヴァン」


 そう呼びかける声がした。しっかりとした、厳しさが感じられる女性の声。しかし、それに答える者はいない。


「起きろ。レヴァン・グラフェルト」

「………んぁ?」


 先程より大きくなった同じ声で、ようやく一人の少年が目を覚ます。

 レヴァン・グラフェルト。色が落ちたような淡い水色のぼさぼさ髪に澄んだ碧眼を持ち、幼げな顔つきを弛緩させ、起きていてもどこか別のところを見ているかのように目が緩んだ少年である。『イレーネ浄法院』に通うただの生徒だ。


「気持よさそうだったな、レヴァン」

「……おはようございます、エルゼ教官」


 視界を照らす陽光の眩しさに目を細めながら、レヴァンは顔を上げた。すると目の前には女性が腕を組んで彼を見下ろしていた。

 コンパクトに結い上げられた茶髪に、凛々しい顔立ち。身長は高いほうで、男性の中でも低くはないレヴァンに並ぶ。この学校最凶の教官と名高いお人である。

 いまだ寝ぼけ眼をこすっている状態のレヴァンを見て、エルゼ教官と呼ばれた女性がニヤリととても平和には見えない笑みを浮かべながら言った。


「よくもまあ、わたしの目の前で熟睡してくれるものだ」

「あ、はは……恐縮です……」


 今は講義の時間。指定の制服などはないため、各自で普段着を着て講義を受けていた。レヴァンの周りでは板書をとっているのか、カリカリとペンを走らせる音が聞こえる。

 皆、面白いほどに見て見ぬふり。それもそうだろう。下手に関わったら鬼教官の餌食なのだから。


「……まあいい。次寝たら、見せしめに正門にはりつけにするだけだ。わかったな?」

「わ、わかりました……」


 そう言って、教官は教室の前へと戻り、講義を再開する。それを見て、レヴァンはひとまずほっとため息。

 そして、横を向く。そこで笑いを必死にこらえている少女を見て、不満の言葉を口にする。


「……なんで起こしてくれないんだよ、フロル?」

「ふふ。だって、つついても起きないんだもん」


 そう言って答えたのは、美しいスカーレットの髪を持つ少女だ。

 年はレヴァンと同じ十七歳。腰まである髪をゴムで簡単に束ねている。華奢な四肢に整った顔立ち。ほっそりとした顎を手にのせ、フロルは丁寧に板書を写していた。


「楽しそうだな? レヴァン?」

「は、はい! 教官の講義はためになります!」


 再び叱責されたレヴァンの隣からくすくす、と。


「……笑うなよ」

「ふふっ」


 止まらないらしく、堪えてはいるものの、笑い続ける。そんな様子にレヴァンは憮然とした顔になるが、それがまた少女の笑いを誘う。

 はあ、とため息をつきながら、レヴァンは笑い続ける少女から意識を逸らし、青い空を窓から見上げた。

 明るく、見ているだけですっきりするような青空。そんな光景を見て、レヴァンの心はずっしりと重くなる。さんさんと輝く太陽は昼寝をするには最高であろうが、身体を動かすとなると話は別だ。

 今日も大変そうだ、とレヴァンは思わずため息をついた。


「よし、今日の講義は以上だ。各々準備をして来い。出来次第、第二修練場に集合しろ。いいな?」


 はい、とクラスメイト皆が声を揃える。それに満足したようにうなずいた後、教官は教室を出て行った。その瞬間、教室の空気が一気に弛緩する。そして直後、どんよりと皆のテンションが下がった。その理由はこの学校では主に一つしかない。


「第二修練場だって~」


 そうフロルが言ったとき、レヴァンの心は深海の底に沈んでいく思いだった。


「体術……か。あんま動きたくないんだけどな」

「だね」


 この学校には数多くの修練場が用意されている。その中でも、第二は体術を専門に修練を重ねるところである。


「んじゃ……行くか」

「ていっても、行くのは別々の更衣室だけどね」


 のぞかないでよ、と念を押してくるフロルに、呆れたように「するかアホ」と言い返してから、レヴァンは修練用の練習着に着替えるために教室を出た。









「ぎゃあああああああああああああああああああ!!」


 学校には似つかわしくない悲鳴。

 レヴァンは周りを一応確認するが、紛れもなくそこは学校の第二修練場である。しかし、そこに繰り広げられた光景はまさに地獄絵図であった。


「もっと早く走れ!」

「ボケボケするな!」

「ほら、最後のやつは縛り上げるぞ!」


 件のエルゼ教官がそう声を張り上げながら、へばっている生徒を自慢のトンファーで強く、本当に強く、叩いて追いやる。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!」


 ついでにこの声は叩かれた生徒の声である。


「ほら、おまえもだ、レヴァン」


 そう言って教官はトンファーを振り上げる。それを感じて、あわててレヴァンは叫んだ。


「ってちょっ……仕方ないじゃないですか!」

「何がだ?」


 そんなふうにとぼける教官にもの申すために、レヴァンは顔だけをすぐ後ろに向ける。


「こんなふうに走れば、遅くなるに決まってるでしょう!」


 後ろで紐引かれているタイヤに堂々と座っている教官に向けて言った。


「ほう? それは、私が重いということか?」

「どんなに軽い人でも、人一人は充分重いですよ!」


 そんな教官付きタイヤを引いて走っているのは、レヴァンである。いわゆるタイヤ引きをやらされているのだ。


「だが、ただランニングしている奴らがバテてるっていうのに、貴様はまだ余裕そうに見えるが?」


 教官が片眉を上げて疑問を口にする。たしかにレヴァンの息もまだそんなに上がっておらず、教官に言い返せるほど。そんなに疲れているようには見えない。しかし、


「声を出していないと、今にも倒れそうなんですよ!」


 その声に込められた悲痛さは本物だった。


「まあ、そういう事にしておこう」

「解放はしてくれないのっ!?」

「ほらさっさと行け。あいつに追いつけ」


 そう言って、教官はレヴァンの前を走る男子を示す。瞬間、その男子の顔が恐怖に染まった。それはそうだ。今までレヴァンに追いつかれた者が悲鳴を上げているのだから……。

 かわいそうだな、とレヴァンは思う。ぎりぎり追いつかないぐらいで走れば、教官の目もごまかせるはず―――


「追いつかないとおまえがトンファーの餌だ」

「……ごめん、そこの君」


 仲間を見捨てるときの、悲しい顔をしながらレヴァンは足に加速をかけた。前の男子がひっ、とおののき加速するが、むなしくも、


「ぎゃああああああああああああああああ!!」


 華々しく散った。


 本日三人目である少年を吹っ飛ばしたあと、教官は何故かさわやかな顔をしている。そんな鬼にレヴァンは最初から気になっていたことがあった。何気に速度を緩めながら、「教官、聞いてもいいですか?」と声をかける。


「何だ?」

「体重どれくらいで……ぐはっ」


 最後まで言う前に、背中に当たる強い衝撃。おそらく拳だろう。


「デリカシーの無いやつは嫌われるぞ」

「そりゃ、困りますけど……じゃあいったい何なんですか、この重さは?」


 今のところ問題なく?タイヤ引きをしているが、明らかにいつもよりおかしい。別に、先の方でスカーレットの髪の少女がこちらをニヤニヤ気味に笑いながら走っていることにイラッときたわけでは決してない。後ろで目をギラギラさせている狩人―――ではなく教官に、レヴァンは尋ねた。


「……なんでタイヤが通った後の土がえぐれてるんですかっ?」


 すると教官は、「うん?」と今気づいたみたいな顔をする。その後、自分の下にあるタイヤを見て、言う。なんでもないことのように、


「それは、タイヤにおもり用の特殊合金が仕込まれているからに決まってるだろう」

「おかしいっ!?」


 おもり用の特殊合金と言うと、握りこぶし大で数十キロの品物である。そんなモノがあったら腰が砕ける。

 そんなことを心のなかで叫び続けるレヴァンであるが、後ろで光るトンファーを見ては、走らざるをえない。


「ほら行け。次だ」


 そんな神からの啓示をきいて馬車馬は走る。もはや半泣きで走り続けた。










 結局今日は十人餌食になった。


「よし、準備運動は終わりだ。さっさと二人組になれ」


 すでに疲労が濃い顔を悲しみに染め、生徒たちはパートナーを探す。訓練が早く終わると教官が指導に来てしまうので、なるべく実力が拮抗した者がパートナーとしてはベストである。

 しかし、レヴァンは動かない。なぜなら、動いたとしても―――


「レヴァン。私と組め」


 教官からお声がかかるのだ。レヴァンはやっぱりか、と息を吐いて、声の方へと向かった。教官は生徒たちに組み手をするように指示した後、レヴァンの方を向いた。


「元気そうだな」

「……皮肉ですか?」


 そんな会話を交わしてから、どちらともなく互いに構えをとる。どちらも基本形で、喉と水月を拳で守る型だ。

 お互いに目をそらさず、同時に視野全体で相手の動きの流れを読み取っていく。空気が突如として、緊迫したものになっていた。


「……ふ」


 ふいにそんな音を聞いたかとレヴァンが思うと、教官はすでにレヴァンとの距離を半分ほどつめていた。身のひねり方からいって、右拳が来るだろう。問題はストレートかジャブか。

 そんなことを考えているうちに距離は全て埋まっていた。

 来た。やはり右。渾身のストレートらしい。それがうなりを上げてレヴァンの顔に迫る。

 レヴァンはそれに集中し、紙一重で避けようと身体を横に反らして――――


「んぎゃっ!?」


 そのまま殴られた。スクリュー回転できれいな放物線を描いて吹っ飛び、修練場の端に設置してある金網にガチャーンとぶつかる。そのままレヴァンの身体から力が抜けてしまった。

 うわあ、とか痛そ~、とか様々な同情の念が組み手をしている生徒たちから生み出されるが、教官が一睨みするとたちまち消えてしまう。まったく友達思いの友人たちである。


「おい寝るな。さっさと起きろ」


 吹っ飛んだレヴァンに近づいていきながら、そう簡潔に教官はラウンド2のゴングを鳴らす。レヴァンはうう、と呻きながら、倒れたままだ。どうみても起き上がれそうにない。

 そんなレヴァンをしばらく観察してから、教官は女神のような微笑を浮かべた。そして、


「早く起きろ」

「ぶべっ!?」


 レヴァンを蹴り上げるという悪魔のような所業をした。


「ひどいっ!? 蹴り上げるなんてあんまりだ!?」


 思わずレヴァンは怒鳴ってしまう。それに教官はしたり顔になって、


「ほら起き上がれるじゃないか。サボるな馬鹿者」


 そう言って拳を放つ。顔面に向かって飛んできたそれをレヴァンは、うあっと驚きながらも上体を反らし、避けてしまう。

 わずかに避け損ねた耳の端が、ヂッと音を立てる。拳は外れても、巻き起こされた風が頬を激しく撫でた。それだけ鋭い拳ということだ。先程のものより強力だろう。


「これはくらったら死ぬ……」

「よし。続けるぞ」

「……え?」


 どうやら教官のスイッチを入れてしまったようだ。

 そんなことを思うと同時、教官はガシッとレヴァンの襟首をつかんだ。


「今日も貴様には愛情をかけてやろう」

「え、う、うそ? や、やめてええええええええええ!」


 レヴァンがイヤイヤと体を動かすも、ずるずると引きずられていってしまう。砂が背中を削るのを感じながら、レヴァンは顔を前に向ける。すると見送っていたのは、皆の憐憫たっぷりの視線。レヴァンは泣きたくなった。

 実際、少し泣いた。









 皆に見送られ、吹っ飛ばされる前より奥まった場所へと移動した。フェンスや倉庫の影になるそこは、組み手をしている生徒たちからは見えない場所で、よく学校の職員たちが紫煙をくゆらせていたりする。

 その場所で立ち止まると、教官はレヴァンに無言で構えを促した。レヴァンがおとなしく構えると、教官もまた若干腰を落とす。

 これといった合図もなく、”本当の”組み手は始まった。

 レヴァンは嫌がりながらも反応せざるをえない。教官が放つ右腕の初撃を自らの左腕で擦りながら受け流し、その反対から攻めに転じ、拳を突き出す。それは教官に躱されてしまう。

 相手の動きを読み、予測をしながらも、とっさに動けるように緊張感を保つ。時にはフェイクを混ぜ、相手の反応を探る。


 しばらく打ち合っていただろうか。最初のうちは互角と思われた打ち合いも、だんだんと教官が押すような形になっていった。そしてやがて、


「詰みだ」


 激しく攻防していた二人の動きがピタっと止まる。教官の右手がレヴァンの喉、左手が水月に鋭く突くような形で配置してあった。


「……さすがです、ね」

「当然だ。教官だからな」

 そういって、二人は離れる。それにともなって両者の間の緊張の糸も緩んだ。レヴァンは、ふうっと息を吐き出した。

 教官は関節の柔軟をした後、腕時計を見る。


「もう時間だな。……レヴァン」

「はい?」

「他の者に、もう授業は終わりだと伝えておけ。次の講義に遅れるなよ」

「……はーい」


 そんなだらけた声に、教官は片眉を吊り上げ、


「返事は?」

「はい! 短く一回で!」

「わかればいい」


 うむっと満足そうにうなずいた後、教官は職員室へと戻ろうとする。


「と、そういえば」


 そんな言葉とともに教官が思い出したように歩みを止め、半身だけこちらを振り向いた。その顔には不敵な笑みを浮かべていた。


「次は手を抜くなよ?」


 それだけ言って今度こそ教官は去っていった。その背中をレヴァンはしばらくぼーっと見送ってから、ブンブンと頭を振って深呼吸。気分をすっきりさせてから、皆のもとへと戻る。

 律儀にも組み手を続けていた生徒たちに授業終了の旨を伝えて、解散させた。今日の演習授業も疲れたな、とぼんやり思っていた。


「レヴァン、おつかれっ」


 だからそんな声が聞こえてきたとき、苛立ちすら湧いたのも仕方ないんじゃないかと思う。視界の端からスカーレットの色。現れたのは、昔からの友人であるフロル・アイヤネンである。華奢な体からは考えられない運動能力と、優秀な成績でこの学年の代表を務める少女だ。学年と言ってもクラスが別れているわけではなく、というより、一学年が五十人ほどしかいなかったりする。


「おまえ、ずっとニヤニヤ笑ってただろ」

「ふふ、最後の方はさすがに苦笑が混じったけどね」

「それは言うなよ。悲しくなる……」


 そう言って二人は並んで男女更衣室への道のりを歩き出す。なにかと仲は良かったりする。


「結局、教官と組み手?」

「……さすがにわかってらっしゃるね~フロルさん。なんでニヤニヤしてるのかな~?」

「別に笑ってないよ~」


 説得力のない言葉を聞きながら、レヴァンは今からの予定に意識を向けた。となりの少女に確認するように尋ねる。


「今から講義?」

「うん。そうだよ」

「……やだな」

「勉強しなよ~」

「うるさいな。俺は優等生じゃないんだよ」

「……」


 流れで出た言葉であったが、フロルは顔を悲しそうにして、口をつぐむ。そんな、レヴァンの言うところの優等生である少女を見て、レヴァンはしまった、みたいな顔をした。少女は、優等生という言葉を快く思っていないのだ。


「……ごめん。言い過ぎたよ」


 レヴァンは謝った。それにフロルはにこっと笑って、


「いいよ。でも、頑張ろうね?」

「……わかった」


 仕方ないな、と言った感じでうなずくレヴァン。それにまたフロルは笑顔になった。


「じゃ、またあとでね」


 いつのまにか到着していた女子更衣室の中へ入っていく。結局頑張るって言ってしまったなとか思いつつ、見送ったあと、レヴァンも、


「さっさと汗流すか」


 と、男子更衣室に入った。



話がまだ続きであっても、区切りが入れやすい場所で話を切る場合もあります。というよりもそのほうが多いかもしれません。そのあたりはご容赦を。

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