【1】ー11 突然の訪れ
明るい日差しに目を細めながら、レヴァンは道を歩いていた。浄法院の敷地内、校舎と各場所をつなぐ連絡道である。道の両端にはレヴァンが知らないような木が植えてあり、ちょっとした並木道になっている。
爽やかに抜ける風が木の葉を揺らし、それが柔らかな陽光を反射して心洗われるような景色を生み出していた。
しかし、そんな風景と心情が一致しているかと言われれば、必ずしもそうではない。
「最近教官が厳しくなった気がするのは気のせいか……?」
「なんか気合入れてるって感じだよね~」
「…………楽しそう、だった」
げんなりと歩いているレヴァンを挟むようにして、にこやかなフロルとアミナ。アミナは顔に感情をあまり反映させないため、にこやかかどうかは疑問ではあったが。
「それにしてもいい天気だよな」
長い間続けたい話でもなかったので、レヴァンが話を逸らす。フロルもアミナもそれが分かって、苦笑を隠しきれない様子であったが、二人とも話を合わせた。
「確かにね。気持ちいいよ」
フロルはうんっと背伸びをしながら、
「…………眠くなる」
アミナは目をこすりながら、そんなことを言った。その二人の反応にレヴァンは、そうだ、とひらめく。
「どうしたの?」
尋ねてくるフロルに、レヴァンは考えついた意見を言ってみることにした。
「昼寝をしよう」
ちょうどこの後には授業の予定はない。そして、連絡道をもう少し先に行ったところには中庭があり、そこの芝生は寝転がるのにちょうどいいのだ。
そう思って言った台詞だったが、フロルはがくっと肩を落とす。はて、とレヴァンは疑問に思う。それに応えるようにフロルは口を開いた。
「……いまここを歩いてるのはなんのため?」
「そりゃおまえ、中庭に向か――」
「違うから! 今から訓練でしょっ!」
そうやって声を張り上げるフロルにレヴァンは口を尖らせて言った。
「だって訓練っていっても自主練だろ? ほんと真面目だな」
「真面目になってよ!? もう……ほんとテキトーなんだから……。アミナからもなにか言ってあげて」
フロルはアミナの助力を請おうとする。あ、ずるいぞ、とレヴァンが言う先で、アミナはぼんやりと考えるようにしていた。
「…………昼寝、魅力的」
「アミナっ!?」
予想外の裏切りに戸惑いを隠せないフロル。それに勝ち誇った様子を見せたのは、レヴァンだ。
「はっはっは。観念するんだな。これで今からは昼寝タイム――」
胸をはって言い切ろうとしたそのとき。
レヴァンの視界の端に何かが映った。
なんだ? と思う間もなくその何かはレヴァンの視界に極力入らないように高速で近づく。フロルもアミナもまだそれに気づいていない。
そして、レヴァンは反射的に腕を掲げていた。その手のひらには蒼光。そして――
ガッキィィィィィィッとすさまじい音が訪れ、直後静寂が支配した。
その音で遅ればせながらフロルとアミナも事態に気がつく。レヴァンが襲撃を受けたのだ。しかし、遠距離からではない。超至近距離だ。
二人がレヴァンの方を向いたとき、そこにいるのはレヴァンだけではなかった。
「ち。魔力の装甲ってやつか」
「おまえ、誰だ」
襲撃者が手持ちの得物で襲いかかり、それをレヴァンが魔力を帯びた右手で受け止めているという構図だった。赤黒い髪に鋭い目。半袖の道着といった感じの訓練着を身につけている。丈夫そうな筋肉がついているが、ガタイが大きいわけではない。無駄なく引き締まった身体に、レヴァンは熟練の使い手と察した。どこかで見覚えがあるような気もしたが、今は考えないことにした。
しかし驚くべきは、襲撃者の持つ武器だ。あれだけすごい音を立てたにもかかわらず、その手にあるのはただの”木刀”だったのである。
「名前か? そんなこと自分で調べろ」
「……そうかよ」
驚いたことに若々しく、見る限りレヴァンとさほど変わらない年齢を思わせた。言葉を掛けあってから、互いに勢いをつけて離れる。一気に距離を作ったところが、二人の戦闘慣れを表していた。
「レヴァン!」
二人が離れたところを見計らって、魔法陣を描きはじめるフロル。レヴァンが離れてからということは、強力な攻撃魔法なのだろう。普段以上に速いその展開速度は並の浄魔士を上回るほどだった。
襲撃者はそれを一瞥すると、
「うわ展開速えな、てめぇ。本当に院生か?」
そう言ってから動いた。姿が霞むほどの加速をかけて、あっという間にフロルとの距離を詰める。
「え……?」
フロルが呆然とし、その後ろでアミナが驚愕する中で、レヴァンが止めに行く間もなく、襲撃者はその木刀を振るった。
その木刀は風を鋭く斬りながら、そのまま展開途中の魔法陣を真っ二つに引き裂いた。
未完成で魔力の循環を始めていなかった陣は、形を引き裂かれたことで空中に溶けるようにかき消える。
「…………展開妨害」
敵の魔法陣が完成する前に、その形を乱すことで魔法陣を無効化する技術。そんなとても高度な身体能力を必要とされるものが目の前で行われていた。
「てめぇらには危害は加えない。だから手を出すな」
そんなことを言った襲撃者に対して、敵意をあらわにする少女二人。しかし、二人が睨みつけていると、
「そいつの言うとおりにした方がいい」
レヴァンが常より真剣な声で口を開いた。フロルとアミナは迷うような素振りを見せるが、自分たちが足手まといになる状況もありうると思いなおした。
二人が襲撃者に警戒を向けたまま離れていくのを見て、その襲撃者は満足そうにしていた。
「二人が賢くて助かる。……あれ、てめぇの連れか?」
「あれとか言うな。……そうだよ」
レヴァンが警戒色の濃い声でそう答えると、謎の襲撃者はそうかよ、と考え始めた。すでに話が聞こえるかどうかというところまで離れている少女二人を見て、ふむ、とうなずいたかと思えば、
「どっちが本命だ?」
意味のわからないことを問いかけてくる。
「……はぁ?」
思わず気を抜いたレヴァン。そこを狙って攻撃することもなく、その赤髪は至極真面目な顔をしていた。
「どっちか狙ってんだろうが」
さも当然という感じで確信しているような赤髪の様子に、レヴァンは心の底から答えた。肩をすくめて、
「いや、そんなんじゃないし」
「…………なに?」
嘘だろ? といった顔をした赤髪を呆れ気味に見ながら、レヴァンはもう一度頷いた。
「……ち、男色家かよ」
「それは否定させてもらうッ!!」
「まあいい」
「スルーッ!?」
心の雄叫びをあげるレヴァン。このまま不名誉なレッテルを貼られたままでは困る。そんな事を考えるレヴァンを、襲撃者である赤髪は見据えた。レヴァンがその目を見返すと、その眼には、
「わりーが、命令には逆らえねぇ」
温度が感じられなかった。
「……命令?」
「てめぇを叩き潰せってよ」
レヴァンの漏らすような疑問に即答すると、赤髪は勢い良く地面を蹴った。襲撃者は二歩でレヴァンとの距離を詰めると、そのまま逆袈裟の要領で木刀を跳ね上げてくる。
レヴァンは半身を反らしてそれを避けると、そのまま回転して回し蹴りを赤髪の後頭部に放つ。赤髪は前へと跳んでそれをかわす。
再び距離を取る二人。
「くそ、やるじゃねえか」
「そっちも」
赤髪は口元をつり上げて嬉しそうに、レヴァンは眉をひそめてめんどくさそうに声をかける。
「んじゃ、そろそろ終わらせてやるか」
そう口にした襲撃者のほうが息を整え終わったところで、空気が急に張り詰めた。敵が本格的に闘気を発したのだ。
皮膚が粟立つ感覚に眉をひそめながらも、レヴァンは目を離さない。目を離すと次の瞬間には命がない、なんて状況もありうることを何故か知っていたからだ。とりあえず相手の集中を乱すためにレヴァンは口を開いた。
「俺はやられたりしないって。それよりもおまえの方こそ――」
と、そこまで言った時だった。突然、襲撃者が横に吹っ飛んだ。
「――……え?」
少し遅れてレヴァンは呆然となる。あの赤髪が自ら横に跳んだのではない。強烈な衝撃が横から赤髪を襲ったのだ。そして、その衝撃を発したであろう人は、
「貴様ら、ここで何しているんだ?」
エルゼ教官だった。
「え、いや、なにしてるって言われても……」
途端に言い淀むレヴァンを興味深そうな目で見ながら、教官は自らが吹っ飛ばした少年の方へと目を向ける。倒れたままピクピクとしている赤髪のもとへと近づくと、
「原因はこいつか」
そう言って、その襟首をつかむ。
「……っつ、いてぇ。誰だよ……」
自らを吹き飛ばし、現在自分の首の部分をつかんでいる者を確認しようと、赤髪が首だけで振り向いた時だった。
「……って師匠!?」
レヴァンは聞き捨てならないことを聞いた気がした。
「レヴァン、こいつがいきなり襲ってきたってことで間違いないな?」
「え? あ、はい……」
なんで知ってるんですか? この疑問は心の内にしまっておくことにした。教官はそうか、と言ってから赤髪の襟首を後ろ手に引きずり始める。
「来い。何処の誰かは知らんが、楽しい目にあわせてやる」
「はあ? ちょっ待て師匠! 話がちげぇ! コイツをやれば一人前として扱うって話じゃ――」
一生懸命反論する赤髪であったが、虚しくも引きずられていくだけ。なんだか実習の時間の誰かを見ている気がした。
「……なんだったの、あれ?」
危険な空気が感じられなくなったからか、いつのまにかフロルもアミナも側に来ていた。「…………レヴァンみたい」というアミナの言葉を訂正させ、レヴァンも教官たちが去った方を疑問符の浮かぶ表情で見続ける。なんとなく事情はつかめたものの、あの赤髪の正体は謎のままである。訓練着らしきものを身につけてはいたが、浄法院の生徒ではないことは確かだ。
しばらく考えた後、レヴァンはくるっと身体の向きを変えた。
「ま、どうでもいっか。それよりも早く行こう。昼寝の時間が――」
そう言いながら歩き始めた時だった。レヴァンの口が止まる。ポカンと開いたまま、教官が向かった方と反対を向いて固まっていた。
その視線の先には、一人の少女。
陽光をキラキラと跳ね返す薄金色の髪。くっきりした目鼻立ち。スラリと伸びた足と、全体的に華奢な印象を与える身体。一言で言うなら、とんでもない美少女だった。
きょろきょろと何かを探している様子の少女がこちらに気がつくと、小走りで走り寄ってくる。
「すみません、少しいいです?」
「は、はい……?」
本能的に緊張してしまうことにレヴァンは自分で恥ずかしく思っていると、金髪の少女は綺麗に微笑んでから、尋ねてくる。
「このあたりに赤い髪の、目つきの悪い人がいませんでした?」
その質問を何度か反芻するレヴァン。提示された特徴が、とても覚えのある物だということを自分の中で確認してから、レヴァンは頷いて返した。
「それっぽい奴なら見かけましたよ」
「本当ですか? どっちへ向かったか、分かります?」
「あっちの方です」
レヴァンは教官が去った方を指さす。
「あー、そうですか。ありがとうございます」
それでは、と丁寧にお辞儀をしてから、その少女は場を後にする。去り際に微笑みを残していくのも忘れずに。
レヴァンはしばらくぼーっと見惚れていた。周囲への注意を疎かにするこの状態は、レヴァンにとってかなり珍しいことだった。
だから背中に刺さる二つの視線に気づくのが遅れた。
「……何見てるの」
そんなフロルの言葉にハッとなり、
「…………えっち」
「なんでっ!?」
アミナの言葉にツッコミせずにはいられなかった。
「発情するな、小僧。躾がなってない」
「いきなり現れたな、おまえ……」
ミグルスがいつのまにかレヴァンの足元に顕現していた。自分が見下ろしているにも関わらず、見下されているように感じてしまうミグルスの視線。レヴァンははあっと息を一つ吐き、自分の調子をリセットした。
「よし、行くか」
心機一転。そう言ってから歩き出すレヴァンの後ろから、
「あ、逃げた」
「…………逃げ、た」
「敵前逃亡か」
三者三様異口同音でハモったのを、レヴァンは聞かなかったことにした。
ぶーぶー文句をいうレヴァンと心なしか肩を落としたアミナを有無をいわさずフロルが引き連れ、結局三人は訓練へ参加した。
その途中、フロルとアミナが組み手をしている最中に他の生徒の失敗魔法が発動し、目的を誤った追尾性雷撃の槍が辺りへ散開する。
そこで迷わず発動されたフロルの囮魔法――最難と言われている行動干渉を行い、対象物の目的を強制的に移すというものだ――によってそのほとんどがレヴァンの方へと向かった。
「ちくしょうッ!」
そう叫んで必死に逃げる姿は、いつかの実習を皆に思い出させるには充分だった。




