第十話④
家の中が、やけに静かだった。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、
空気がゆるんでるのに――
心臓だけは、まだ落ち着かない。
「……大丈夫?」
リビングに戻ると、お母さんが優しく声をかけてくる。
「……うん」
うなずく。
ちゃんと、大丈夫って言えるくらいには。
「強い子ね」
「……そんなことないよ」
すぐに否定する。
今日だけで、何回このやり取りしてるんだろう。
「でも、ちゃんと自分で決めた顔してた」
お母さんが少しだけ笑う。
「それは、すごく大事なことよ」
「……うん」
その言葉が、胸に残る。
お父さんは新聞を広げてるけど、
さっきより空気が柔らかい気がする。
怒ってるわけじゃない。
ちゃんと見てくれてる感じ。
それだけで、少し安心する。
「……部屋、行っていい?」
「いいわよ」
お母さんがうなずく。
「呼ばれたらちゃんと来るのよ」
「うん」
短く返事をして、
私は自分の部屋に向かった。
ドアを閉める。
「……はぁ……」
ベッドに座って、大きく息を吐く。
一気に、疲れが出た気がする。
スマホを見る。
通知は、まだ止まらない。
でも、今は見たくない。
そっと裏返して置く。
「……怖いな……」
ぽつりと呟く。
顔は写ってない。
名前も出てない。
でも。
“近い距離で一緒にいた女の人”
それだけで、十分すぎる。
もし、誰かに気づかれたら。
もし、学校で噂になったら。
綾香は知ってるけど。
他の人は――
「……っ」
考えたくない。
怖い。
すごく、怖い。
そのとき。
――コンコン。
ドアをノックする音。
びくっと体が揺れる。
「……だれ?」
分かってるのに、聞いてしまう。
「……俺」
小さな声。
ちと。
一気に心臓が跳ねる。
「……入って」
ドアが開く。
変装したままのちと。
でも、部屋に入った瞬間、
ゆっくりマスクを外した。
「……」
目が合う。
さっきぶりなのに、
なんだかすごく久しぶりみたいに感じる。
「……ごめん」
その一言で、
胸がぎゅっとなる。
「……またそれ言う」
少しだけ、むっとする。
「もういいって言ったじゃん」
「でも」
ちとが、少しだけ目を伏せる。
「怖い思いさせた」
その言い方が、
やけにまっすぐで。
何も言い返せなくなる。
「……」
少しだけ沈黙。
そのあと、
気づいたら、口が動いてた。
「……怖いよ」
本音だった。
「すごく、怖い」
声が少し震える。
「でも」
続ける。
「それ以上に」
ちとの方を見る。
「ちとが、遠くなる方が怖い」
言った瞬間、
胸がぎゅっと締め付けられる。
でも、目はそらさない。
「……」
ちとが、一瞬止まる。
それから――
ゆっくり、近づいてくる。
「……明日香」
名前を呼ばれる。
次の瞬間、
ふわっと、抱きしめられた。
「……っ」
驚く暇もなく、
そのまま腕の中に閉じ込められる。
あったかい。
安心する匂い。
でも、それ以上に――
力が、少し強い。
「……ごめん」
耳元で、小さく聞こえる。
「本当に」
その声が、少しだけ震えてる気がして、
胸がぎゅっとなる。
「……いいよ」
小さく返す。
「……よくない」
すぐに返ってくる。
「守るって言ったのに」
抱きしめる力が、少しだけ強くなる。
「守れてない」
「……そんなことない」
首を振る。
見えてないのに。
それでも、伝えたくて。
「来てくれたじゃん」
今日。
ちゃんと、逃げずに。
家に来て。
お父さんとお母さんに向き合って。
「それだけで、十分だよ」
そう言うと、
ちとは少しだけ息を止めて――
「……まだ足りない」
ぽつりと言った。
その声が、
すごく、真剣で。
「これからも」
少しだけ体を離して、
目を合わせてくる。
「ちゃんと守る」
まっすぐな視線。
「明日香のこと」
逃げない目。
「絶対に」
心臓が、大きく鳴る。
「……うん」
小さくうなずく。
それしかできない。
でも、それで十分だと思った。
ちとは、もう一度私を抱き寄せる。
今度は、さっきより少しだけ優しく。
「……大丈夫」
小さく、耳元で。
「一人にしない」
その言葉に、
胸の奥がじんわり温かくなる。
「……うん」
目を閉じる。
怖さは、まだ消えてない。
不安も、たくさんある。
でも。
それでも――
この腕の中にいると、
少しだけ、前を向ける気がした。




