第一話③
生徒会室の窓から見える空は、もう少しだけオレンジ色になり始めていた。
三階の廊下の奥にあるこの部屋は、放課後になると少しだけ静かだ。校庭のほうから運動部の声が聞こえてくるけれど、ここまでは少し遠い。
机の上には資料がいくつも並んでいる。紙の束、ホチキス、ペン立て。見慣れた光景だけど、高校に入ってからはまだ数週間しか経っていない。
それなのに、なんとなくもう慣れてきている気がするのが不思議だった。
「じゃあ人数揃ったかな」
先輩の声が聞こえる。
机の向こうに座っているのは、生徒会長の三年生の先輩だ。落ち着いた雰囲気の人で、話し方もゆっくりしている。
「今日は軽く確認だけな」
「はい」
何人かが返事をする。
私はノートを開いてペンを持った。
隣では、綾香が椅子に少しだけだらっと座っている。
「姿勢」
私は小声で言った。
「う」
綾香は少しだけ背筋を伸ばす。
こういうところは昔から変わらない。
先輩が資料を一枚持ち上げる。
「まず、新入生歓迎イベントのまとめから」
それからしばらく、会議はわりと普通に進んだ。
新歓の反省とか、参加人数の確認とか、細かい話が続く。私は話を聞きながらメモを取る。
こういう作業は、思っていたより嫌いじゃない。
話を整理したり、紙にまとめたりするのは、なんとなく落ち着く。
ふと横を見ると、綾香はペンをくるくる回していた。
私は肘で軽くつつく。
「ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「ほんと?」
「たぶん」
私は思わず笑いそうになるのをこらえる。
会議はまだ続いていた。
「あと」
先輩が言う。
「次の大きいイベントは文化祭だな」
その言葉で、部屋の空気が少しだけ変わった。
文化祭。
高校生活の中でも、きっと大きなイベントだ。
「まあ、まだ少し先だけど」
先輩はそう言って資料をめくる。
「そろそろ準備の話も始めないといけない」
「ですよね」
別の先輩が頷く。
「去年はたしか六月くらいから本格的に動きましたよね」
「今年もたぶんそれくらいかな」
私はペンを動かしながら話を聞いていた。
文化祭か。
中学にも文化祭はあったけれど、高校はもっと大きいらしい。出店もあるし、ステージイベントもあると聞いた。
なんだか少し楽しみだ。
「まあ今日は細かいことは決めない」
会長の先輩が言う。
「来週くらいから本格的に考えよう」
そのときだった。
向かい側に座っていた二年生の先輩が、ふと思いついたように言った。
「そういえばさ」
「ん?」
「文化祭の目玉イベントってあるじゃないですか」
「あるな」
「今年、ちょっと大きいのやりません?」
先輩は少し楽しそうに言う。
「大きいの?」
誰かが聞き返す。
「例えば?」
少しだけ間があった。
それから先輩は、軽い調子で言った。
「ライブとか」
「ライブ?」
「バンド呼ぶとか」
何人かが「おお」と声を出す。
「確かに盛り上がりそう」
「でも呼べるの?」
「有名どころは無理じゃない?」
そんな声が続く。
私はぼんやりその会話を聞いていた。
バンド。
ライブ。
その言葉を聞くだけで、自然と頭に浮かぶものがある。
メモリア・コード。
イヤホンからよく流れるあの音。
サウズの声。
「まあ」
会長の先輩が笑う。
「そのへんはまた考えよう」
「ですよね」
さっきの先輩も笑った。
「まだ早いか」
会議はそのまま、別の話題に移っていった。
備品の確認とか、書類の整理とか。さっきの話は、本当にちょっと出ただけだった。
私はペンを動かしながら、さっきの言葉を少しだけ思い出していた。
ライブ。
もし本当に、学校でライブなんてあったら。
そんなことを考えて、自分で少しだけ笑う。
さすがに、それはないよね。
そんな大きなこと、簡単にできるわけがない。
「じゃあ今日はこのへんで終わりにするか」
会長の先輩が言った。
会議はそこで終わった。
椅子を引く音や、資料をまとめる音が部屋に広がる。
「ふー」
隣で綾香が大きく伸びをした。
「疲れた」
「まだ何もしてないよ」
「気持ちの問題」
私は笑いながらノートを閉じる。
窓の外を見ると、空はもう少し暗くなっていた。
校庭では、まだ部活の声が聞こえる。
そのとき、スマホが小さく震えた。
私はポケットから取り出す。
画面を見る。
そこに表示されている名前を見て、少しだけ口元が緩んだ。
ちと。
メッセージは短かった。
『今、少し時間ある?』
私は画面を見つめながら、少しだけ考える。
生徒会は終わったばかり。
帰り道はまだ長い。
たぶん、少しだけなら話せる。
私はスマホの画面をタップした。
そのときの私は、まだ知らなかった。
この学校の文化祭が。
そして、あのバンドが。
私の高校生活を、思ってもいなかった方向に動かしていくことになるなんて。
そんなこと、まだ想像もしていなかった。




