第六話①
「……顔、出したい」
自分の声なのに、少し遠く聞こえた。
スタジオの空気が、一瞬で止まる。
アンプの小さなノイズだけが、やけに耳についた。
「……は?」
一番最初に反応したのは、ドラムのリョウだった。
「今なんて?」
俺はギターを膝の上に置いたまま、もう一度言った。
「顔出し、したい」
今度ははっきり。
隠すつもりはなかった。
沈黙。
メンバー四人がこっちを見ている。
狐の面が机の上に並んでいる。
俺たちの象徴。
メモリア・コードの秘密。
「……サウズ、それ本気?」
ベースのカイが低い声で言った。
「ああ」
「冗談じゃなく?」
「冗談じゃない」
また沈黙。
当然だと思う。
俺たちは、顔を出さないバンドだ。
それが前提で、ここまで来た。
顔出しなし。
学生バンド。
正体不明。
それが、メモリア・コードだった。
「いやいやいや」
キーボードのミナトが両手を上げた。
「ちょっと待ってくれ」
「なんで急にそんな話になるんだよ」
そりゃそうだ。
急すぎる。
俺だってわかってる。
でも。
言わないわけにはいかなかった。
「理由は?」
今度はリョウ。
ドラムスティックをくるくる回しながら、真っ直ぐ俺を見ている。
俺は少し息を吸った。
そして、言った。
「隠してるのが、きつくなってきた」
カイが眉をひそめた。
「それは今さらだろ」
「今までも隠してたじゃん」
「そうだな」
俺は頷いた。
「でも今までは、平気だった」
本当にそうだった。
バンドを始めたとき。
顔を隠すことに、抵抗はなかった。
むしろ楽だった。
音楽だけを見てもらえる。
変な先入観もない。
それに。
俺たちはまだ学生だった。
学校にも普通に通っている。
バレたら色々面倒だ。
だから面をつけた。
ただ、それだけだった。
でも。
今は違う。
「……好きな人がいる」
俺がそう言うと、ミナトが「うわ」と小さく声を出した。
カイは苦笑い。
リョウは「あー……」って顔をした。
「そういう話?」
カイが聞く。
「ああ」
俺は頷いた。
「その子に……」
言葉が少し詰まる。
「メモリア・コードのこと、言ってない」
「……マジで?」
ミナトが目を丸くした。
「言ってない」
「え、彼女?」
「うん」
リョウが吹き出した。
「お前さ」
「なに」
「それよく二年も隠せたな」
俺は苦笑いした。
「バレないようにしてたから」
学校を休む日。
ライブの日。
全部ずらして。
言い訳を考えて。
誤魔化して。
ずっと続けてきた。
でも。
最近。
きつくなってきた。
「その子が」
俺は言った。
「メモリア・コードのファンなんだ」
ミナトが爆笑しかけて、慌てて口を押さえた。
「え、それ地獄じゃん」
「だろ」
カイも笑いをこらえている。
「推しは?」
リョウが聞く。
俺は少しだけ目をそらした。
「……俺」
「うわああああ」
ミナトが頭を抱えた。
「それはやばい」
「一番きついやつ」
リョウが肩を震わせて笑っている。
「ライブの話とかされるの?」
「される」
「推し語り?」
「される」
ミナトが机に突っ伏した。
「想像したら無理」
カイが少し真面目な顔になった。
「で?」
「だから顔出し?」
俺はゆっくり頷いた。
「このまま隠してると」
「多分、ずっと言えない」
メモリア・コードは、どんどん大きくなっている。
ファンも増えている。
ライブも増える。
もし今言えなかったら。
きっと。
もう一生言えない。
「だから」
俺は言った。
「ちゃんと話したい」
スタジオが静かになる。
リョウがスティックを止めた。
「その子に?」
「ああ」
「直接?」
「うん」
ミナトが顔を上げた。
「でもさ」
「顔出しって、バンド全体の問題だぞ」
「わかってる」
カイも頷く。
「ファンの反応も変わる」
「事務所も絡む」
「リスクもある」
「わかってる」
全部わかってる。
それでも。
「それでも」
俺は言った。
「隠したまま、歌いたくない」
言った瞬間。
自分でも驚くくらい、はっきりした言葉だった。
リョウが少しだけ笑った。
「……サウズっぽいな」
ミナトが腕を組む。
「その子ってさ」
「そんなに大事?」
俺は迷わなかった。
「大事」
即答だった。
また沈黙。
しばらくして。
カイが息を吐いた。
「……マネージャー呼ぶか」
ミナトが頷く。
「そうだな」
リョウが立ち上がった。
「この話、俺らだけじゃ決められない」
数分後。
スタジオのドアが開いた。
「どうしたの?」
入ってきたのは、俺たちのマネージャー。
早瀬さん。
「急に呼び出して」
カイが言った。
「ちょっと相談があって」
ミナトが続ける。
「サウズが」
リョウが指をさした。
「顔出ししたいって」
早瀬さんは、数秒黙った。
そして。
「……なるほど」
椅子に座った。
「理由は?」
全員の視線が、また俺に集まる。
俺は、ゆっくり言った。
「大切な人に」
「隠し事をしたくないからです」
早瀬さんは、しばらく俺を見ていた。
そして。
ふっと小さく笑った。
「青春ね」
俺は何も言えなかった。
「でも」
早瀬さんは続けた。
「その覚悟があるなら」
少しだけ真面目な声になる。
「ちゃんと考えましょう」
「どこで」
「どうやって」
「顔を出すのか」
その言葉を聞いたとき。
俺は初めて、少しだけ息が軽くなった。




