第五話⑤
文化祭二日目の朝。
校門をくぐった瞬間、昨日よりもずっと賑やかな空気が私を包み込んだ。
模擬店の呼び込みの声。
焼きそばのソースの匂い。
どこかで鳴っている軽音部のリハーサルの音。
――文化祭だ。
昨日も同じ景色を見たはずなのに、今日はまるで違う日みたいに感じる。
理由はわかってる。
今日。
このあと。
メモリア・コードのライブがある。
しかも、ここ。
春野ヶ丘高校の文化祭で。
「明日香ー!」
背中を思いっきり叩かれて、私はびくっと振り向いた。
「わっ、綾香」
「顔やばいよ。完全にオタクの顔してる」
「え!?してない!」
「してるしてる。
“サウズ生歌聞ける…”って顔」
図星すぎて何も言えなくなる。
綾香はケラケラ笑った。
「まぁわかるけどねー。
あのメモリコだもん」
「だよね……」
私は校庭の方を見る。
まだステージは静かだけど、周りにはもう人が集まり始めていた。
昨日よりも多い。
絶対。
SNSとかで広がってるんだと思う。
文化祭にメモリア・コードが来るって。
「生徒会の巡回終わったら、私たちも見に行けるんだよね?」
私が確認すると、綾香は頷いた。
「うん。ライブのときは運営でステージ横待機だけど」
「近っ……」
「むしろ一番いい席じゃん」
確かに。
普通ならチケット争奪戦のライブを。
文化祭で。
しかもステージ横で。
私は急に緊張してきた。
「やばい……心臓うるさい」
「早い早い」
綾香が笑いながら私の肩を押した。
「ほら、まず巡回。生徒会仕事」
「う、うん」
そうだった。
今日は文化祭。
私は生徒会なんだ。
ライブだけに浮かれてる場合じゃない。
――とは思うけど。
心臓はずっとドキドキしていた。
午前中。
文化祭は昨日以上の盛り上がりだった。
「恐怖の廃病院」
――私たちのクラスのお化け屋敷も、行列ができている。
「すごいね」
「昨日より並んでる」
「口コミじゃない?」
クラスメイトたちが嬉しそうにしている。
私は生徒会腕章をつけたまま列を見て、少し誇らしくなった。
文化祭って、こういう空気がいい。
みんな楽しそうで。
学校全体が、少しだけ特別になる感じ。
だけど。
時間はあっという間に過ぎていった。
そして――。
午後。
ついにその時間が来る。
校庭。
特設ステージの前には、人、人、人。
「……やば」
綾香が小さく呟いた。
「これ文化祭の人数じゃない」
本当にそうだった。
多分、外から来た人もいる。
スマホを構えてる人。
グッズのTシャツを着てる人。
みんな同じ方向を見ている。
ステージ。
メモリア・コードのステージを。
私と綾香は、運営スタッフとしてステージ横に立った。
こんな近く。
こんな距離で。
メモリコを見る日が来るなんて。
ステージが暗くなる。
歓声。
そして――。
音が鳴った。
ギター。
ドラム。
ベース。
そして。
あの声。
透明で。
まっすぐで。
胸の奥に届く声。
サウズ。
狐の面をつけた五人が、ステージに立っていた。
歓声が一気に爆発する。
私はもう言葉が出なかった。
ライブは、最初の一曲からすごかった。
CDで何度も聞いた曲。
でも。
生の音は、全然違う。
ギターの振動。
ドラムの重さ。
そしてサウズの歌。
言葉が空気を震わせて、直接心に入ってくるみたいだった。
観客もすごい。
手を上げて。
声を出して。
みんな楽しそうで。
私はただ、夢みたいだと思っていた。
曲が終わるたびに歓声が上がる。
何曲やったかもう覚えてない。
ただ。
時間がどんどん過ぎていった。
そして――。
最後の曲が終わった。
「ありがとう!」
サウズの声。
大きな歓声。
メンバーが手を振る。
そして。
ステージのライトが消えた。
メモリア・コードは舞台袖に下がる。
私はぼーっとしたまま立っていた。
でも。
すぐに、客席から声が上がる。
「アンコール!」
「アンコール!」
「アンコール!」
手拍子が始まる。
どんどん大きくなる。
校庭全部が一つのリズムになっていた。
私は胸を押さえた。
すごい。
本当にライブだ。
少しして。
ステージのライトがまた点いた。
歓声。
そして。
メモリア・コードが戻ってきた。
サウズが、マイクの前に立つ。
少し静かになる客席。
サウズは、少しだけ間を置いてから話し始めた。
「今日は……」
その声は、さっきまで歌っていたときより少し落ち着いていた。
「春野ヶ丘高校のみんな。
文化祭に呼んでくれて、ありがとう」
拍手が起こる。
サウズは続けた。
「アンコールの前に……一つ、話したいことがあります」
ざわっと空気が揺れる。
私はなぜか、胸が少しだけざわついた。
「俺たちは今まで、ずっと顔を隠して活動してきました」
狐の面。
ステージのライトに照らされている。
「理由はいろいろあります。
音楽だけを聞いてほしかったとか、そういうのも」
少し間。
サウズは、ゆっくり言った。
「でも……」
声が、少しだけ柔らかくなる。
「最近、思うようになったんです」
客席は静まり返っていた。
「大切な人に、隠し事をするのが……つらいって」
私は息を止めた。
なぜか。
その言葉が、胸に引っかかった。
「だから今日」
サウズは言った。
「ここで」
「俺たちは――顔を出します」
一瞬。
校庭が、完全に静かになった。
え。
誰かが小さく声を漏らす。
私も、理解が追いつかなかった。
顔を出す?
メモリア・コードが?
サウズが、ゆっくり狐の面に手をかけた。
「これが、俺たちの本当の姿です」
そして。
狐の面が外れた。
私は――。
呼吸を忘れた。
そこにいたのは。
見慣れた顔。
優しい目。
少し不器用そうな笑い方。
私が、二年間ずっと一緒にいた人。
私の彼氏。
小柴千都世。
マイクを握ったまま、少し困ったように笑っていた。
「……明日香」
小さく。
本当に小さく。
そう呼ばれた気がした。




