第11話 モブ令嬢の鉄槌
城門前の広場の空気は、極限までぴんと張り詰めていた。
王家の白と金の旗が、冷たい冬の風にバタバタと煽られる音さえ、今はやけに耳障りに響く。
広場を埋め尽くす銀鎧の騎士たちは、槍を握ったまま冷や汗を流して息を殺し、城壁の上ではエヴァンズ家の精鋭の弓兵たちが、いつでも射掛けられるよう静かに弦を引き絞っている。
ほんの少しでも誰かが不用意に動けば、そのまま血みどろの戦端が開きそうなほど、危うく致死的な均衡だった。
その嵐の中心で。
私はクライヴ様にがっちりと腰を抱き寄せられたまま、馬上から見下ろしてくるアラン王子を、親の仇のように鋭く睨み返していた。
王子の美しい顔には、明確な怒りと困惑、そして「自分は絶対に正しい側に立っている」という、吐き気がするほどの傲慢な確信が入り混じっている。
ああ、もう本当に無理だ。
その顔。その腐った正義感。
私は一歩、正確にはクライヴ様の腕の中で半歩だけ、王子へ向かって前へ出た。
「……まだ、何か言うことあります?」
私の氷のように冷たい声に、アラン王子の眉がピクリと跳ね上がる。
「……リアナ嬢。君は」
「ありますよね。だってあなた、まだ自分の置かれている状況も、自分の言葉の愚かさも、何ひとつわかってない顔してますもん」
「無礼だぞ、男爵令嬢風情が!」
「無礼なのはどっちですか」
即答で切り捨てると、王子のこめかみに青筋が浮かんだ。
周囲の騎士たちがざわつく。背後に控える父と母が「ヒィッ」と悲鳴を上げる。
けれど私は止まらない。ここで私が口をつぐんで大人しく引き下がれば、また“王子の身勝手な正義”という名の暴挙で、私の大切な推しの生きる場所が全部塗りつぶされてしまう。
「“呪われた辺境伯から、可哀想な令嬢を救い出す”って、さっきから何度も自信満々におっしゃってますけど」
私は、わざとバカに言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を区切った。
「その前提、最初から全部間違ってます」
「何だと?」
「私は可哀想じゃありません。むしろ大変元気ですし、毎日おいしいご飯も食べてますし、夜もふかふかのベッドでよく眠れてます。お城の使用人たちにも、旦那様にも、実家にいた時の百倍大事にしていただいてます」
言いながら、ちょっとだけ腰に回された腕の熱が気になった。
気のせいじゃなければ、私が「旦那様に大事にされている」と言った瞬間、クライヴ様の腕にほんの少し、独占欲を孕んだ強い力がこもった気がする。
たぶん今そこを意識して照れると勢いが削がれるので、私は見なかったことにして前を向いた。
「それに。百歩譲ってクライヴ様が呪われていようといまいと、だからってあなた方が勝手に軍を率いて討伐しに来ていい理由にはなりませんよね?」
私は王子の後ろに並ぶ、数百人の完全武装の騎士たちと、無駄に数が多い王家の旗を順に指差した。
「ただの『調査団』のはずが、ずいぶん物騒な人数ですね。槍に剣に、騎馬隊まで揃えて。辺境の令嬢ひとりを『保護』して連れ帰るのに、王家の威信を背負った軍勢がこれほど必要なんですか?」
あちこちで、気まずそうな空気が流れた。
騎士の中には、明らかに目を逸らし、気まずそうに槍を下げる者もいる。そりゃそうだ。彼らだって馬鹿ではない。令嬢救出というのは建前で、本音が「辺境伯の武力と領地の制圧」であることくらいわかっている。建前があまりにも薄っぺらすぎるのだ。
アラン王子は険しい顔で、無理やり正当化するように顎を上げた。
「辺境伯は、呪いに侵された危険な存在だ。いつ暴走するかわからない化け物を前に、念のために武力を備えるのは当然だろう」
「危険?」
私はきっぱりと聞き返した。
「じゃあ聞きますけど。その危険なクライヴ様が、この十年間で、王都に何か一つでも害を与えましたか? 王家に反乱を起こしましたか? 国境の防衛を放棄しましたか? 領民を虐げましたか!?」
「それは――」
「してませんよね」
王子の言葉を、被せるように叩き斬った。
「むしろ逆です。極寒の国境を守って、絶え間なく押し寄せる魔獣を退けて、あなたたち王族や王都の貴族たちのぬくぬくした平和な生活を、最前線で血を流して支えてきたのは、どこの誰ですか?
その多大な恩恵だけはちゃっかり受けておいて。呪われたから怖い、見た目が不気味だから危険、だから用済みになったら討伐しましょうって……筋が通らないにもほどがあります。恩知らずの恥知らずです!」
王子の整った頬が、屈辱で醜く引きつる。
「……辺境伯をそこまで妄信して擁護するとは。やはり君は、呪いの瘴気で正気を失っている――」
「正気です!!」
広場に響き渡る声で、ぴしゃりと言い放った。
「むしろ、辺境の現実も見ずに、安全な王都の机の上で“自分が助けるべき可哀想な令嬢”っていうお伽話みたいな物語を勝手に作り上げてるそっちのほうが、だいぶ頭の中がお花畑で危ないです!」
その痛烈な一言で、背後の騎士たちの間に「びくっ」と動揺が走るのがわかった。
効いてる。
ものすごく効いてる。
私はさらに、逃げ道を塞ぐように畳みかけた。
「だいたい、辺境伯がそんなに危険で討伐すべき存在だと思うなら、どうして王家は今まで十年間も放置していたんです?」
「……何?」
「呪いを理由に中央の政治から遠ざけておいて、必要な時だけ“国の盾として死ぬまで国境を守れ”って理不尽な義務を押しつけてきたんでしょう? それでいざ、辺境が豊かになって自分たちの政治の都合が悪くなったら、今度は討伐名目で軍を寄越して領地を奪う。……ずいぶんと勝手で、反吐が出るほど強欲ですね」
王子の声が、ドス黒く低くなる。
「言葉を慎め、リアナ嬢。君は王族を侮辱しているぞ」
「慎みたいのは山々ですけど、無理です。だってあんまりにもクライヴ様が不憫で、理不尽で、腹が立つので」
私は本気だった。
前世でゲームの画面越しに見ていた時に抱いた理不尽さが、今、目の前の痛々しい現実とぴたりと重なっている。
ただの『攻略対象のイケメン王子』として見ていた時には、彼のこの傲慢さはここまで生々しく、醜くはなかった。でも今は違う。
クライヴ様の深い孤独も。
あの冷たい城の静けさも。
彼を十年も苦しめた、痛々しい黒い痣も。
その全部を、私は知ってしまった。触れてしまった。
それを前にして、この王子が薄っぺらい口先だけで語る“正義”など、クソ喰らえだ。
「あなた、私や辺境の民を助けたいんじゃないですよね」
私はまっすぐ、王子の瞳を見据えた。
「『自分は素晴らしい王族だ』『自分の正義は間違っていない』って、自己満足の証明をしたいだけでしょう」
ざわっ、と。
広場の空気が、大きく揺れた。
アラン王子の瞳が、痛いところを完全に突かれて見開かれる。図星だったのだろう。
その後ろにいたヒロインのアリスまで、はっとした顔で王子を見上げた。
「なっ……! 貴様……!」
「可哀想な令嬢、呪われた恐ろしい辺境伯、聖なる救済、王子の勇気。そういう“わかりやすくて民衆受けのいいお話”に、自分を当てはめてヒロイックに酔いしれたいだけです。あなたは、本当にそこで生きている人を見てない」
そこまで言って、私は言葉を切った。
そして、王子の後ろで震えているアリスのほうへ、静かに視線を移した。
彼女は、私の視線を受けてびくりと肩を揺らした。
大きな青緑の瞳が、激しく不安そうに揺れている。たぶん彼女の中でも、王子の語っていた『絶対的な正義』と目の前の『現実』が噛み合わなくなってきているのだ。
原作のシナリオ通りなら、ここにいる私はボロボロのドレスを着て、泣いて王子に助けを求めていなければおかしいのだから。
「……アリスさん、でしたっけ」
「え、あ……はい……」
急に話を振られて、ヒロインが戸惑った顔をする。
「あなた、聖女候補なんですよね。本当に私を助けに来たんですか?」
「わ、私は……その、王子殿下が、辺境伯の呪いは危険で、あなたが可哀想に囚われているかもしれないって、そうおっしゃったから……」
「じゃあ今、私が『自分の意思でここにいる』『旦那様に大事にされている』って言っているの、ちゃんと聞こえてますよね?」
「それは……」
「今の私が、クライヴ様に脅されて、無理やり言わされているように見えますか?」
アリスは、私と、私を抱き寄せるクライヴ様を交互に見た。
クライヴ様の大きな手は私の腰にあり、私を庇うように立っている。
その腕は確かに絶対に私を逃がす気がなさそうな、独占欲の熱を帯びている。
でも、それが恐怖による脅しや暴力的な拘束ではないことくらい、まともな目を持っていれば誰でもわかる。
「……見え、ません。リアナ様は、ご自身の意思で……」
小さく、けれどはっきりと答えたアリスの言葉に、広場がまた大きくざわついた。
アラン王子の顔色が変わる。
「アリス! 騙されるなと言っているだろう!」
「で、でも殿下……リアナ様は、はっきりとそうおっしゃってます。辺境伯様も、私たちが聞いていたような理性を失った化け物には見えません……」
「呪いで惑わされているだけだ! 奴の瘴気は人の心を狂わせるのだ!」
その王子の往生際の悪い言葉に、私は盛大に顔をしかめた。
「便利ですね、その理屈」
「何?」
「自分の都合と違う現実を突きつけられたら、全部“呪いのせい”で片づけられるんですから。無敵の言い訳ですね」
ああもう、ほんとに呆れる。
「それ、目の前にいる相手の意思を完全に無視してる、ただの思考放棄だってわかってます?」
アラン王子が屈辱で顔を歪め、何か怒鳴り返そうと口を開く。
だがその前に、今度は馬車から降りてきた私の父(男爵)が、焦ったように前へ出てきた。
「リアナ! いい加減にしろ!」
聞くだけで虫酸が走る声だった。
脂汗を浮かべた顔で、父は王子へ媚びるように、悲痛そうな表情を必死に作ってみせる。
「もういい、無理をするな! 父にはすべてわかっているぞ! お前はきっと辺境の恐怖で、まともな判断ができなくなっているんだ!」
「は?」
「辺境伯に逆らえば何をされるかわからんから、そうやって王子殿下に逆らうしかないのだろう? おお、かわいそうに……」
母まで目元をハンカチで押さえて、三文芝居のようにわざとらしく震えた声を出す。
「リアナ、早くこちらへいらっしゃい。今ならまだ間に合うわ……!」
もう、限界だった。
私は心底うんざりして、深いため息をついた。
「……お父様、お母様。芝居、下手すぎません?」
父と母が、ピキッと固まる。
「何?」
「何が“父にはわかっている”ですか。私を辺境に送り出す出発の日、玄関で私に何て言いましたっけ?
“せいぜい粗相のないようにしろ、どうせ長くはもたないでしょうけど”でしたよね?」
「そ、それは……」
「“お前は役に立たん娘だが、家のために最後に生贄として役に立て”とも言ってましたよね。私を完全に厄介払いしたの、そっちですよね」
ぴしり、と。
氷の刃のような言葉が、静寂の場に突き刺さる。
父の顔から、一瞬で血の気が引いた。
母はわなわなと青ざめた唇を震わせている。
「今さら“可哀想な愛娘”扱いされても困るんですけど。私、あなたたちに助けてなんて一度も頼んでませんし、あなたたちも私を助ける気なんて最初からないですよね。王子のご機嫌取りで来ただけで」
これには、騎士たちまで露骨にドン引きしてざわついた。
そりゃそうだ。王子に同行し、被害者ヅラをしていた男爵夫妻が、感動的な救出劇のための親役どころか、娘を化け物に売り飛ばした最低のクズ親だったと、全軍の前で暴露されてしまったのだから。
アラン王子の表情にも、さすがに動揺と焦りが浮かんだ。
「……男爵、それは事実か? 君は娘を辺境伯から救い出してほしいと、私に泣きついてきたはずだが」
父がどっと滝のような冷や汗を流す。
「い、いえ殿下! それは言葉の綾と申しますか、その……辺境伯に嫁ぐことを娘がひどく不安がっておりましたので、あえて厳しく、強く送り出すために……」
「大歓喜でしたけどね、私」
きっぱりと訂正しておいた。
父の顔が完全に引きつる。
「ええ、とっても。最前列チケット……じゃなくて、辺境に行けるなんて神の思し召しだと、むしろ全力で歓迎して馬車に乗りました」
その横で。
ずっと黙っていたクライヴ様が、わずかに喉を鳴らした。
……笑いを堪えている?
今? この大真面目な修羅場で?
でも私は止まらない。
「というわけで、誰も私を“救出”なんてしてませんし、する必要もありません。むしろ今いちばん迷惑を被ってるの、静かに暮らしていたこの辺境の皆さんです。あなたたちが勝手に武力で押しかけてきたせいで」
私は広場全体を見回した。
「国境を守るべき大事な兵と税金を、王族の自己満足の茶番に付き合わせて、恥ずかしくないんですか?」
痛烈な沈黙が落ちた。
さすがに、完璧に、効いた。
騎士たちの中には、露骨に気まずそうな顔をして俯く者もいる。建前で来たはずだったのに、当の“被害者”が全力で否定し、辺境伯のほうに非が見えないどころか、王子側の薄汚い政治的都合の悪さばかりが次々と露呈しているのだ。
このまま辺境伯を攻撃すれば、自分たちこそが悪逆非道な侵略者になってしまう。
アラン王子の顔が、ついに屈辱と怒りで真っ赤に染まった。
「……もうよい」
低く、プライドをズタズタにされた男の、絞り出すような声。
「これ以上、その男の瘴気に毒された狂女の言葉を聞く必要はない」
「毒されてませんってば!」
「黙れ!!」
怒声が飛ぶ。
びり、と空気が震えた。
次の瞬間。王子は逆上し、腰の聖剣を抜いていた。
きらり、と陽光を反射する白刃が、まっすぐ私とクライヴ様へ向く。
「リアナ嬢を惑わせ、洗脳する化け物め! もはや対話の余地はない! 全軍、辺境伯を討ち取れ!!」
周囲が一気にどよめいた。
アリスが悲鳴のように「殿下、お待ちください!」と叫ぶ。
父と母が「ひぃっ」と馬車の影に隠れる。
騎士たちもさすがに躊躇し、ざわついた。
けれど。
私が剣を向けられて恐怖を感じるより早く。
私の腰を抱いていたクライヴ様の腕の熱が、ふっと消えた。
「……え?」
一瞬、隣にいたはずのクライヴ様の姿が視界から完全に消える。
次の瞬間には。
彼は、白馬に乗ったアラン王子の背後に立っていた。
誰も、その常軌を逸した動きを、目で追えなかった。
まるで影が空間を跳躍したみたいに、音もなく。
黒い外套だけが残像のように空中に揺れている。
アラン王子が目を見開く。
「な――」
その王族の白い首筋へ、氷のように冷たいクライヴ様の指先が触れた。
「……剣を向ける相手を間違えたな、小僧」
耳元で落ちたクライヴ様の声は、ひどく静かだった。
でも、静かすぎるせいで、逆に全身の血が凍りつくような、絶対的な殺気を孕んでいる。
王子の喉がひくりと鳴る。聖剣を握る手が、目に見えてガタガタと震え始めた。
「クライヴ様……」
思わず、私の口から声が漏れた。
その瞬間、クライヴ様が顔だけ少しこちらへ向ける。
暗い琥珀の瞳が、私を見た。
そこにあるのは激しい怒りだった。
けれどその怒りの芯に、はっきりとした焦りと、「私の大切なもの(リアナ)を傷つけられるかもしれない」という激情が混ざっている。
――私に剣を向けられたから、彼は本気で怒ったのだ。
そう思った瞬間、私の胸がドクンと大きく、甘く鳴った。
「ひ、卑怯だぞ……化け物め……!」
王子が恐怖に震える声で叫ぶ。
「無抵抗の王族の背後を取り、このような真似を……! 騎士の風上にも置けぬ!」
「王族?」
クライヴ様が、ほんの少しだけ嗤った。
絶対的な強者の、冷たい、冷たい笑みだった。
「それで。その王族という肩書きで、貴様は国境の魔獣の群れを一人で退けたことがあるのか」
「っ……」
「血を吐きながら、理性を失いかける呪いの激痛に十年間耐えたことがあるのか」
「……」
「何も知らず、何も背負わず、温室で育っただけの正義の看板で、人を裁けると思うな」
その声とともに。
クライヴ様の全身から、ぞくりとするほど澄んだ、圧倒的な魔力が溢れ出した。
以前のような、黒く淀んだ禍々しい瘴気ではない。
もっと透明で、もっと強大で、冬の夜空みたいに研ぎ澄まされた、息を呑むほど美しい“純粋な魔力”の暴風。
それが、一瞬で広場全体を満たした。
「……っ!!」
騎士たちが一斉に息を呑む。
空気そのものが重くなる。
いや、重いなんてものじゃない。物理的な圧力が上からのしかかる。
押し潰される。立っていられない。
ガチャン、と誰かの槍が石畳に落ちた。
次の瞬間、王家が誇る精鋭の騎士たちが、その見えない重圧に耐えきれず、次々と石畳に膝をつく。
「ぐっ……!」
「な、なんだこの圧は……息が……!」
「動け……ない……!」
屈強な軍馬すら悲鳴のようにいななき、前脚を折って地面に這いつくばる。
アラン王子は首筋に触れられたまま、青ざめてガチガチと歯を食いしばっていた。
アリスは広場の真ん中で、光の結界を張ることも忘れ、呆然と立ち尽くしている。
父と母は完全に腰を抜かし、馬車の中で泡を吹いて気絶していた。
すごい。
前世のゲーム知識で、設定としては知っていたはずなのに。目の前で見ると息が止まる。
これが、本来のクライヴ様の力。
呪いに蝕まれてなお、王国最強の盾として国境を守り続けた、辺境伯の真の力だ。
しかも今は、私のお守りで呪いが薄れているぶん、以前の暴走状態よりもずっと澄んでいて、コントロールされている。
アリスが、震える声で呟いた。
「……呪いの、瘴気じゃない。なんて綺麗で、強い魔力……」
そのヒロインの瞳に映っているのは、原作のバッドエンドルートとはまったく違う現実だ。
禍々しいラスボスではなく、圧倒的な力と理性を併せ持つ誇り高き辺境伯。
しかも、その傍らで守られているのは怯えた生贄の令嬢ではなく、全力で辺境伯を庇い、王族を論破したモブ令嬢。
ゲームのシナリオが、音を立てて崩れ去っていく音が聞こえる気がした。
クライヴ様はなおも王子の背後に立ったまま、虫の息の王子へ冷たく告げる。
「これ以上、私の城と領地に踏み込むなら。そして、私の妻に少しでも害をなすというのなら……次は警告では済まさない。首を置いていけ」
広場にいた誰も、反論できなかった。
ただ一人、アラン王子だけが、完全にプライドを粉砕され、悔しさに歪んだ顔で血が出るほど唇を噛んでいる。
けれどその目にも、はっきりとした絶対的な『恐怖』が宿っていた。
私はその光景を見つめながら、胸の奥で小さくガッツポーズをした。
ざまあみろ、とはさすがに口に出さない。
……いや、ちょっとは思ったけど。かなりスカッとしたけど。
でもそれ以上に、別の感情が大きかった。
クライヴ様が、私のために本気で怒ってくれた。
私に向けられた理不尽な剣に、本気で怒って、守ってくれた。
その事実だけで、胸がちぎれそうなくらいいっぱいになる。
やがてクライヴ様が、すっと王子の首から指を離した。
王子はガクンとよろめき、慌てて駆け寄った騎士に支えられてなんとか落馬せずに済む。
それでも誰一人、もうクライヴ様へ剣を構えようとはしなかった。
私はそこでようやく、大きく息を吐いた。
――ラスボス討伐イベント。
その最初の一撃は、どうやら私たち辺境組の、完全な圧勝で終わったらしい。
でも、まだ終わりじゃない。
このまま王子が大人しく退くとは思えない。王家の面子もある。
実家も何か企むかもしれない。
そしてヒロインのアリスも、このまま黙って帰るとは限らない。
それでも。
少なくとも今日、この場で。
私の推しは、誰にも負けなかった。不当な悪役に貶められることはなかった。
そのことが、どうしようもなく誇らしくて、嬉しかった。




