第97話 風は嵐へ
利蔵が黄泉から還り、日常を取り戻したかに見えたサニワ達の前に広がる世界。
しかし、それはまだ変化の序章に過ぎなかった。
──それは、混沌への変化の始まりだった。
立花音葉。
数日間昏睡状態が続いたが、祖父・道心の祈りと献身的な看病により、生気を取り戻していた。
髪もとかさず、寝巻きのまま黄泉口山脈をぼんやり眺める音葉の肩に、道心は手を置いた。
「音葉。神職を離れなさい」
音葉は静かに、頷いた。
「……はい」
拒絶されたようにも感じた。
だけど、言い返す気力も自信もなかった。
音葉は黄泉口神社を去り、街に住む叔母の家へ移った。
普通の高校生に、戻ろうとした。
だが、音葉の守神・月詠は、それを許さなかった。
校庭の桜はまだ蕾だったが、朝の空気には春の匂いが混じっていた。
学校のチャイムが鳴った。
「はい、じゃあ、来週この課題を提出するように」
教師の言葉と共に、教室が一気に騒がしくなる。
「音葉、帰りカフェ寄って行こうよ」
「あ、うん」
友人に声をかけられ、立ち上がった音葉。
その瞬間、頭の中に低く冷たい声が響いた。
──何をしておる、サニワ。
──役目を忘れたか。
──混沌は、まだ正されていない。
「……!?」
頭を抱えて倒れる音葉。
「音葉!? 音葉! 大丈夫!? せ、先生!!」
翔達が通う隣の高校。
音葉だけでなく、蘭も自身の変化を感じていた。
「なーんか……おかしいんだよね……」
学校の屋上。
手のひらの上に作り出した水の球を眺めながら、蘭は呟いた。
「……弱々しい……」
蘭は力を込め、水球を凍らせた。
「凍るのも……遅い」
蘭は氷の玉をそっとその場に置いた。
凍ったはずの氷が、すぐに溶け始めていた。
まるで、この世界が拒んでいるみたいに。
黄泉から戻った利蔵は、今年の夏祭りの準備に奔走していた。
「会長、今年は夏祭りどうですかね? やりませんか?」
頑なに夏祭りの再開を拒んでいた町内会長は、利蔵に意外な返事を返した。
「利蔵ちゃん、実は最近あの神社が町の話題になっておってなぁ。考えてもいいかもしれん」
「話題?」
会長は窓を指差した。
「保育園の子達が散歩に行ってなぁ、あそこでドングリを拾うらしいんじゃ」
利蔵は眉をピクリと動かした。
「はあ、それが?」
「そのドングリが形がいいとか、拾って来たらいい事が起きたとかって、かなり盛り上がっておるようなんだ」
「ほう……」
「人が集まれば、この町のためにも、前向きに考えようかと、ね」
利蔵は神社の方へ目をやった。
「人が集まれば……か」
翔と鉄喜は、神社の近くのいつものお好み焼き屋に肩を並べていた。
「鉄喜、お前。鼻、治ったか?」
「おう! しっかし、お前のせいで蘭に折られたんだからな! 今日お前の奢りな!」
「ふざけんな、オレは関係ねえ」
鉄喜はお好み焼き屋の店主を呼んだ。
「すいません、おばさん! デラックス、おかわりで! 翔の奢りで!」
「奢らねーよ、ばーか」
二人の間には、いつもと変わらない風が吹いていた。
その風が、すぐに嵐に変わることを、二人はまだ知る由もなかった。




