第96話 おい。起きろ。
「おい、起きろ」
翔は目を開けると、その顔をククノチが覗き込んでいた。
「社殿で寝るとは、無礼なやつだ」
「……え?」
翔は辺りを見渡した。
いつもの神社だった。
だが、胸の奥に残る重さだけは、夢の後味とは違った。
呼吸をするたび、黄泉の冷たさが、まだ肺に絡みついている気がした。
「あれ?……イザナミ……」
ククノチは目を丸くして、一歩下がった。
「おい。びっくりする名前を出すな」
翔はハッとして、神社の階段を駆け降りた。
ククノチは翔の背中をポカンと見送っていた。
「なんだ、あいつ?」
蘭はアパートの自室、鉄喜は実家の作業場。
あの場所にいたサニワは皆、今いるべき場所で目を覚ました。
いまだに、それが何だったのかはわからない。
もしかしたら、イザナミの最後の優しさ。
──だったのかもしれない。
翔は駆けた。
──もしかしたら。
家のドアを勢いよく開けた。
取っ手に手をかけて、少しだけ迷った。
それでも、行く場所はここしかなかった。
「お父!」
そこには、
誰もいなかった。
動物のいない、がらんとしたペットショップ。
「そんなはずねえ!」
翔は駆け回った。
神社の境内、街、百鬼夜行で利蔵が姿を消した、あの河原。
だが、
どこにも利蔵の姿はなかった。
「嘘だ! いや、黄泉口か!?」
──オレは正した。あるべき場所、あるべき姿。
だったら、お父は……。
黄泉口神社の社務所。
まだ意識がない音葉に寄り添う道心。
飛び込んで来た翔に、驚いたように目を見開いた。
「翔くんかね!? ゆ……夢かね、こりゃ」
「……音葉は?」
道心はニコリと笑った。
「まだ眠ってるが、呼吸も安定しておる。じきに目を覚ますじゃろ」
「……そうか。……あの、お父の姿は……」
道心は、何も言わず首を振った。
その仕草だけで、答えとしては十分だった。
言葉を聞く前に、翔の中で何かが静かに崩れた。
古戦場から見た黄泉口山脈から、冷たい風が吹き下ろし、翔の顔を叩いた。
「いない……」
翔は確信した。
翔は静かにバスに乗った。
窓の外を流れる景色。
イザナミの言葉が、こだました。
──自然がお前を選んでも、世界はお前を選んだわけではない。
「……そうみたいだな」
翔を、強烈な孤独が襲う。
蘭の両親は姿を消した。
音葉の両親だって、とうの昔にいない。
耐えがたい孤独を打ち払うために、余計なことばかり考えた。
父親の匂いが残る家に帰りたくない。
でも、ここしか帰るところがない。
翔は静かに、家のドアを開けた。
「ただいま」
がらんとしたホールに、人影が一つ。
「……蘭」
蘭は目を潤ませ、何も言わず翔を抱きしめた。
「蘭……お父は」
蘭は、小さく首を振った。
「そっか……」
その時。
ドアが開いた。
「暗いな……いったい、こりゃ……」
蘭が叫んだ。
「パパ!!」
翔は振り返った。
「お……父……」
翔は溢れる涙を隠すように、自分の部屋へ駆け込んだ。
「蘭ちゃん、あいつ……どした?」
蘭は利蔵に抱きついた。
「蘭……ちゃん?」
蘭は首を振った。
「なんでもない。なんでもないよ」
翔は布団に顔を押し付けた。
しばらくして、顔を埋めたままニヤリと笑った。
「ばかやろう……」
利蔵はポカンと、ショップを眺めた。
「というか……オレの動物たちは……一体どこやったんだぁぁぁぁ!!
翔ぉぉぉぉ、降りて来なさい!!」




