第89話 立ちはだかるモノ
翔が踏み込んだ黄泉口山脈。
三号目。
ここからが、誰も立ち入らない禁断の地。
翔は躊躇いなく、立ち入り禁止のロープを跨いだ。
不思議と吹雪は止み、静かな白銀の世界と星空が広がっていた。
「静かだ……そして、寒い」
寒いところが苦手な利蔵の顔が浮かんだ。
「お父……」
どれだけ耳を澄ましても、風の音すら聞こえなかった。
それでも、足元の感覚だけは確かだった。
確かに、近づいている。
その時、荒れた登山道の真ん中にあった大きな岩が動いた。
「え、岩が動いた……ん、人……?」
「いやあ、こんな夜中の黄泉口山脈に、何用かのう?」
翔は、立ち上がった大男を見上げた。
「あんたは……オオクニヌシ」
オオクニヌシは深く息を吐いた。
「ふう……ここでまた会えるとはのう」
翔は会釈をすると、構わず歩き出した。
止めるつもり──分かっていた。
通り過ぎようとする翔の肩を、オオクニヌシが掴む。
その手からは、恐ろしいほどの力が伝わってくる。
オオクニヌシの目が鋭く光った。
「翔くん、どこへ行かれるつもりかな?」
「黄泉」
翔は、一言だけ答えた。
オオクニヌシは視線を落とし、翔の前に立った。
「そうか……ではワシは、君の行く道を阻まねばならぬ」
翔は、オオクニヌシを睨みつけた。
「どけよ」
立ちはだかるオオクニヌシ。
力で、押しのけられる相手じゃないのはわかってる。
でも、諦める選択肢は、今の翔にはなかった。
バス停前。
黄泉口神社行きの最終バスを待つ鉄喜。
「やっぱり、無理だなぁ」
鉄喜は拳を握った。
「お祖父様にはキツく止められたけど……このまま待ってるなんて女々しいこと、オレにゃ出来ねえ……」
山の間から顔を覗かせる黄泉口山脈が、鉄喜を見下ろしているようだった。
「黄泉の国って……あの日以来、とんでもねえ世界になっちまった」
鉄喜は笑った。
「オレの高校生活……お前と出会ったおかげで、想像してたのと全然違うもんになっちまった」
──黄泉なんて……もうオレ、この話についていけねえよ、翔。
鉄喜はバス停の時刻表をコツンと小突いた。
「話にはついていけねえが、オレは最後までお前にならついてくぜ!」
アパートの部屋。
暗闇の中、フルフルと肩を震わせる蘭。
「どうして……どうしてこんなことに」
蘭は床を叩いた。
テーブルが震える。
──チリン
ポロリと落ちた、音葉からもらった御守り。
蘭の頭に、自分が音葉に向けて投げつけた言葉が突き刺さった。
──出来ること、あるでしょ!
蘭はハッとした。
「そっか……バカだ、アタシ」
蘭は夜道を駆けた。
──出来ること、ある。
それ……アタシだ。
──肝心な時に自分を犠牲に出来ないんだね!
それも……アタシ。
──アンタみたいな胡散臭い女、大っ嫌い!
うん……もう、わかった。
蘭は涙を拭った。
迷う時間は、もう残っていなかった。
「アタシが翔くんを守る。もう、誰にも任せない」
蘭の手の震えは、止まっていた。
アパートを飛び出した蘭を見つめる影。
「蘭は変わったのう……。じゃが」
光明は大きくため息を吐いた。
止める理由は、いくらでもあった。
だが、止める資格は、もうないと悟った。
「危険じゃ……」




