第83話 百鬼夜行【残香】
夜が、明けかけていた。
東の空がわずかに白み、河原に残っていた闇が、ゆっくりと薄れていく。
ついさっきまで百鬼夜行がここにあったとは思えないほど、世界は静かだった。
翔は、膝をついたまま動けずにいた。
地面に手をついても、立ち上がる気力が湧かない。
胸の奥が、ひどく空っぽだった。
──勝ったはずだった。
酒呑童子は消え、百鬼夜行も去った。
救われた。
それなのに。
翔は、そこにいない人物の姿を、何度も探してしまう。
「……お父」
声に出した瞬間、喉が詰まった。
返事がないことは、分かっている。
それでも、呼ばずにはいられなかった。
「翔や」
背後から、光明の声がした。
振り返ると、光明は河原に立ち、夜明けの空を静かに見上げていた。
いつもの落ち着いた表情だったが、その背中は、どこか小さく見えた。
「……オレが、もっと早く。いや、先にお父を……」
翔の言葉は、途中で止まった。
言い訳にも、後悔にも、なりきれない言葉だった。
光明は、首を横に振った。
「違う」
短く、はっきりと。
「利蔵は、自分で選んだ」
翔は、唇を噛んだ。
「でも……」
「それでもじゃ」
光明は、ゆっくりと振り返った。
「それでも、生きるしかない」
その言葉は、慰めではなかった。
叱責でもなかった。
ただの事実だった。
少し離れた場所で、鉄喜が座り込んでいた。
いつもの騒がしさはなく、ただ、地面を見つめている。
「……オレ、戦えたのかな……。何かを守れたのかな、師匠……」
鉄喜が、ぽつりと呟いた。
光明が、その言葉を拾った。
「十分じゃ、鉄喜くん」
鉄喜は、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
その時だった。
「翔くん……」
駆け寄ってきたのは、蘭だった。
制服は汚れ、息も乱れている。
翔は、立ち上がろうとして、よろめいた。
蘭は、翔を抱きしめた。
「……ごめん」
翔は、蘭に抱かれたまま、遠くを見ていた。
「ごめん……翔くん」
翔は、何も言わなかった。
でも、その言葉は、確かに翔の中に届いた。
夜明けの光が、河原を照らす。
世界は、いつも通りの顔を取り戻していく。
だが、元に戻ったわけじゃない。
失ったものは、戻らない。
傷も、消えない。
それでも。
翔は、空を見上げた。
あの夜、緑に輝いた感覚が、まだ体の奥に残っている。
──聞け。感じろ。
誰かの声が、胸の奥で響いた気がした。
翔は、静かに息を吸う。
鉄喜は少し離れた場所で座り込み、何度か立ち上がろうとしては、やめていた。
笑いも、冗談も、今は出てこない。
蘭は翔のそばに立っていたが、足元は不安定で、
踏み出せば崩れてしまいそうだった。
勝ったはずなのに、
誰も、終わった気がしていなかった。
──でも
「……行こう」
蘭と、鉄喜と、光明を見る。
「オレ、多分……わかってる」
光明は、わずかに目を細めた。
「そうじゃな」
夜は明けた。
何一つ、終わっていない。
それでも、歩くしかない。
失ったものを、背負ったまま。




