第79話 百鬼夜行【分断】
蘭は、息を切らしながら翔の家の玄関を開けた。
「おじいちゃん! パパ!……」
返事はない。
嫌な予感を振り払うように居間へ入ると、卓の上に一枚の紙が置かれていた。
乱れた字。
急いで書いたことが一目で分かる。
「わかっておる」
それだけだった。
「おじいちゃん……もう、行ってる」
胸の奥に溜まっていたものが、ふっとほどけた。
蘭は紙を握りしめ、踵を返した。
「待ってて。すぐ行くから」
今度は、迷わなかった。
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一方、河原。
翔と鉄喜は、背中合わせに立っていた。
「数が……減らねえぞ!」
鉄喜の声は荒い。
金色のオーラはまだ消えていないが、輪郭がわずかに揺らいでいた。
「分かってる!」
翔は短く答え、次の影を打ち払う。
祓える。確かに祓えている。
だが――終わりが見えない。
影は地面から滲み出るように現れ、形を作る前に襲いかかってくる。
一体一体は脅威じゃない。
問題は、その“量”だった。
息が熱い。
足が、少しだけ重い。
翔は歯を食いしばった。
「鉄喜、下がるな。間を詰められる!」
「分かって……っ、る!」
鉄喜の拳が振るわれ、影が弾ける。
だが、次の瞬間には、また別の影が地を這っていた。
──このままじゃ……削られる。
翔は一瞬、目を閉じた。
空気が、歪んだ。
河原の空間そのものが軋み、景色が水面のように揺らぐ。
「神様……もう一回だけ使う……許せ!」
翔の声と同時に、影たちが一斉に後退した。
押し返されるように、見えない壁に阻まれる。
自然の拒否。
地形が、空間が、世界が、“それ以上を拒む”。
視界に映る範囲の悪鬼は、瞬く間に消し飛んだ。
鉄喜は翔を振り返った。
「すげえ……」
翔は膝をつきそうになるのを、必死でこらえた。
視界が一瞬、暗くなる。
「翔! 大丈夫か!」
「平気だ……」
嘘だった。だが、ここで崩れるわけにはいかない。
その時だった。
空気が、変わった。
重い。
圧が、違う。
影たちが一斉に道を開き、その中央に“何か”が立っていた。
ゆっくりと、拍手の音が響く。
「いやあ……感心したで、サニワ」
低く、愉しげな声。
「ここまでよう持ちこたえたもんや」
姿を現したのは、一体の鬼。
赤銅色の肌。漆黒の装束。腰には瓢箪と、禍々しい曲刀。
翔は、はっきりと悟った。
──今までのとは、格が違う。
「名乗らんでも分かるやろ?」
鬼は、ニィッと口角を上げた。
「酒呑童子や」
酒呑童子は、翔から目を離さなかった。
「さっきの力……なるほどな。
自然の申し子が、自然を歪ませよる」
酒呑童子は、愉しそうに翔を見た。
鉄喜が、息を呑んだ。
「あいつの……蓮の、守り神……」
酒呑童子は腰の曲刀に手をつがえた。
「そうやぁ……神や。人の味も、よう知っとるで」
翔は立ち上がり、構えを取った。
体は重い。
「それでも我に、牙向くかぁ、サニワァ?」
退く気はなかった。
「来るなら来い」
酒呑童子は、楽しそうに肩をすくめた。
「ええ覚悟や。ほな──」
次の瞬間、地面が砕けた。




