第77話 追ってるのは
夕方、暗雲のような黒い雲に覆われた西都を背に、帰るバスの中。
窓の外は、相変わらず灰色の雲に覆われていた。
雨は止んでいるのに、空気だけが湿って重い。
しかし、長い虎渓トンネルを越えると、空は嘘のように晴れ渡っていた。
翔は、ようやく口を開いた。
「……帰ってきてる、よな」
「当たり前だろ」
鉄喜は軽く笑ったが、翔の顔を見て口を閉じた。
冗談を言える空気じゃないと、察した。
前の席で、蘭がスマホを弄っていた。
画面には、検索履歴がいくつも並んでいる。
「ねえ……」
蘭は、振り返らずに言った。
「はっきりしたことは、わかんないけど」
「……」
「百鬼夜行って、“通っただけ”なら、街は無事なはずなんだよ」
翔の視線が、窓の外に向いた。
見慣れた景色が、少しずつ近づいていた。
「だから、近づかなきゃ平気かなって──」
蘭は、そこで言葉を切った。
バスの後部座席に座る鉄喜が、なんとなく後ろを振り返る。
「おい……翔、アレ」
振り返った翔と蘭は、背筋に寒いものを感じた。
西都を覆っていた暗雲が、糸を引くようについてきている。
「まるで、オレ達を追ってきてるみたいだな……」
見晴らしのいい黄泉口山脈の麓から街を見下ろしていた、利蔵と光明も、その雲の行方を追っていた。
「親父殿、ありゃあ、やっぱり……」
光明は長いヒゲを握った。
「間違いない。百鬼夜行じゃ」
利蔵は、かつてないほどの寒気を覚え、体を震わせた。
「嫌な予感しかしない。ありゃ、完全にオレ達の街へ向かってる」
光明は、視線を落とした。
「街……なら、良いがの」
駅に降り立った翔達は、すぐに異変に気付いた。
見慣れた景色。
いつもの駅前。
いつもの商店街。
──なのに。
人の気配が、薄い。
「……なんか、静かすぎね?」
鉄喜が、ぽつりと呟いた。
その瞬間。
──カラン。
乾いた音が、どこかで鳴った。
提灯の音だ、と翔は直感した。
「……今の……」
「気のせい、じゃない」
蘭の声は、珍しく硬かった。
商店街の奥。
誰もいないはずの路地に、赤い光が一つ、揺れている。
「……あれ」
鉄喜が、一歩踏み出す。
「待って!」
蘭が止めるより早く、風が吹いた。
──いや、風じゃない。
空気が、吸い込まれている。
重く、湿った、夜の匂いを含んだ流れ。
路地の奥から、影が滲み出る。
人の形をしているが、関節が合っていない。
足が、地面に触れていない。
「……悪鬼」
翔の喉が鳴った。
影は三人を見て、動きを止めた。
──襲ってこない。
ただ、じっと“見る”。
そして──
影は、くるりと背を向けた。
商店街の、さらに奥へ。
「……逃げた?」
「違う」
蘭が、低く言った。
「“呼んでる”」
その言葉に、翔の胸が熱を帯びた。
さっきより、はっきりと。
胸の奥で、何かが──引かれている。
「……行くな、翔」
鉄喜が、腕を掴む。
「わかってる……!」
「あ……」
蘭は、空を指差した。
その指は、震えていた。
糸を引いてついてきた暗雲は、翔の頭上で渦を巻き始める。
まるで“印を付ける”ように、翔の真上で雲が円を描いた。
鉄喜は、背筋に冷たいものを感じた。
「これって……まさか……」
蘭は歯を食い縛り、翔を見た。
「翔くんを……追ってる」
翔は、静かに唇を噛み、拳を握った。
「そうかよ……わかった」




