第73話 黄泉の視線
頭が割れるように痛かった。
翔は地面に片膝をついたまま、息を整えることしかできなかった。
視界が揺れる。音が遠い。
鼓動だけが、耳の奥で大きく響いている。
「くそ……なんだ、これ……」
鉄喜は完全にしゃがみ込み、額を押さえている。
蘭は唇を噛みしめ、肩で息をしていた。
「……っ、あたま……」
三人とも、立ち上がる余裕すらなかった。
──その時だった。
「無理に立たんでええ」
しわがれた声。
翔が顔を上げると、目の前に一人の老婆が立っていた。
いつの間に、ここに。
駅前の喧騒は変わらない。
だが、この場所だけが、妙に静かだった。
「今は、二つの時が擦れとる。慣れん者は、そりゃあ頭も壊れるわい」
老婆は腰を折り、翔の目をじっと覗き込む。
「……特に、お前さんはな」
翔の胸が、ひくりと脈打った。
「オレ……?」
「そうじゃ。血が騒いどる。街の歪みと、よう共鳴しとるわ」
蘭が苦しそうに顔を上げた。
「……おばあさん。ここで、何が起きてるんですか……?」
老婆は、ふっと目を細めた。
「“起きとる”んやない。
“起こそうとしとる”んじゃ」
老婆は、ゆっくりと立ち上がると、駅前の大通りを見渡した。
「この街はな、昔から境目じゃ。
神域と人の世が、重なりやすい場所」
視界が、ふっと歪んだ。
翔の目の前で、街の風景が一瞬だけ“ずれた”。
通りを歩く人々の服装が変わる。
看板の文字が古くなる。
舗装された道が、土に戻る。
「……っ!」
鉄喜が声を上げる。
「見える者にだけ、見える」
老婆の声は、どこか遠い。
「昔、この街でな。
神と人が、同じ方向を向いておった時代があった」
景色が、さらに揺らぐ。
祭囃子。
松明の火。
人々の祈り。
だが、その中心にあったのは──
静かな怒りだった。
「母なる神が、おった」
老婆は、そう言った。
「国を作らせ、命を巡らせ……
それでも、裏切られたと感じた神が、な」
翔の胸が、きり、と締め付けられる。
見えてはいない。
だが、感じている。
「──その神は誓うた。
朝が来るたび、千の灯火を消す、と」
蘭は、誰のことか、わかってしまった。
景色が暗転する。
地が割れ、影が溢れる。
人の形をした何かが、次々と崩れていく。
「……それって……」
蘭が、震える声で言った。
「神の……私怨……」
老婆は、言った。
翔の胸の奥で、何かが強く反応した。
熱。
鼓動。
血が、騒ぐ。
「……それで……」
翔は息を荒くしながら、言葉を絞り出す。
「……オレ?」
老婆は、何も言わなかった。
ただ、意味深に笑った。
「人の世を壊す力にも、
神の思惑を吹き飛ばす力にもなる血……」
老婆は、背を向ける。
「さて。目覚めの時間じゃ」
次の瞬間。
──世界が、元に戻った。
駅前の喧騒。
スマホを見ながら歩く人々。
観光客の笑い声。
老婆の姿はなく、頭痛は嘘のように引いていた。
「……夢……?」
鉄喜が呆然と呟く。
蘭は地面を見つめたまま、小さく首を振った。
「……夢じゃない」
翔は胸に手を当てた。
まだ、熱が残っている。
西都の街は、何事もなかったかのように動き続けていた。
──だが、確かに。
この街のどこかで。
神は、人間の行く末を見定めようとしている。
翔の血は、静かに脈打っていた。




