第72話 二つの時間
西都駅前は、人で溢れていた。
観光客、通勤途中の会社員、制服姿の学生。
どこにでもある、平日の朝の光景。
──の、はずだった。
「……なんか目が……ボヤけて」
鉄喜が首を傾げる。翔も、同じ違和感を覚えていた。
蘭だけが、足を止めていた。
「……ねえ、翔くん」
「なに?」
「ここ、同じ朝を二回なぞってる気がする」
翔は答えられなかった。
わからない。ただ、胸の奥がざわついている。
ふと、翔は視線を感じて顔を上げた。
駅前の交差点。
信号待ちの向こう側で、同じ顔の男性が二人立っていた。
背広、髪型、持っているカバンまで同じ。
だが一人は青信号を待ち、もう一人は、すでに歩き出している。
「……見た?」
翔が小声で聞く。
「見た」
蘭は短く答えた。
次の瞬間──
歩き出していた男の姿が、人混みに溶けるように消えた。
ボヤけて見えていたのは、
二重に影が重なっていたから──
鉄喜だけが、こめかみを押さえた。
「……なあ。今、一瞬……耳鳴りしなかったか?」
翔は返事をしなかった。
まるで、二つの時間が同時に存在しているようだった。
理由はわからない。
だが、この街が正常じゃないことだけは、はっきりしていた。
「完全な神域じゃない。でも、人の世界だけでもない」
言い切るほどの自信はない。
だが、肌が覚えている。
その時だった。
路地の奥から、下駄の音がした。
──カラン。
──コロン。
振り返ると、誰もいない。
だが、気配だけが残っている。
鉄喜が喉を鳴らした。
「なあ……俺さ」
「うん?」
「ここ、昔来たことある気がする」
翔は息を呑んだ。
「でも、来たことねえんだ。絶対に」
その言葉に、蘭は確信した。
「……たぶん。過去と今が、重なってる」
「は?」
「昔、ここで“何か”が起きた。
それが、今もう一度、浮かび上がってきてる」
説明はできない。
理由もわからない。
だが、街そのものが、再演を始めている。
その瞬間、翔の胸が熱を帯びた。
鼓動が、強く、重く響く。
──ワイルドブラッド。
それが、この歪みと共鳴している。
古都・西都は、静かに告げた。
神々の思惑に、踏み込むな──と。
遠くで、鐘が鳴った。
鳴るはずのない鐘が。
次の瞬間、激しい頭痛と眩暈に襲われ、
翔たち三人はしゃがみ込んだ。
「うう……なんだ……!?」
その時だった。
一人の老婆が、翔の顔を覗き込んだ。
いつからそこにいたのか、誰も気づかなかった。
「ほぉ〜……歪みが起きておるのぉ」
⸻
ペットショップでは、利蔵が手を止め、亜紀に鋭い視線を向けていた。
「どういうことだ、亜紀?」
亜紀は頬を膨らませる。
「ちょっと〜、怖い顔やめてよ。私、何もしてないよ」
利蔵は詰め寄った。
「何を見たか、教えてくれ」
亜紀は静かに話し出す。
「それが……私が行った時には、もう終わってたの。
翔くんの友達?刺されて倒れてたから、治した。
金剛力士を感じたなぁ」
「鉄喜くんか……」
「その前に、うちの玲那が発見して教えてくれたの。
喧嘩してるって」
利蔵は頭を掻いた。
「喧嘩……翔のやつ、まだそんなことを……」
亜紀は窓に目をやり、続けた。
「玲那も、見え始めたのかも。
黒い影が見えたって。酒呑童子って言ってた」
「酒呑……童子。そうか……」
亜紀は利蔵の顔を覗き込んだ。
「暗くてよく見えなかったけど……
翔くんが一瞬で終わらせたように見えた。
とんでもない力ね!」
利蔵は一瞬、顔を曇らせた。
だがすぐに、笑顔を作って亜紀の肩を叩く。
「そっか!ありがとな、亜紀!」
利蔵は、笑っていた。
だが、その胸の奥では、
確実に嫌な予感が育っていた。




