第70話 神々が動く前に
「これは、全さん!」
「ああ、利蔵さん!気になって気になって、山を降りてきてしまいましたわ!ガハハハ!」
「翔ですか?」
全は手を叩いた。
「おお、神社でたまたま出会ってなぁ!良い子じゃった!さすが利蔵さんのお子じゃ!」
利蔵は苦笑した。
「たまたまとは……」
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あれから、蓮はしばらく翔たちの前には現れなかった。
閑静な住宅街に佇む、氷室の表札が掲げられた一際大きな家。
「……申し訳ありません」
暗い自室で、ひとり目を閉じる蓮の姿があった。
「まさか、あのワイルドブラッドが戻ってくるとは思いませんでした……」
蓮の頭の中で、ノイズ音のような低い声が響く。
──ワイルドブラッドの作り出した歪み。あと一歩であった。
「はい」
──だが、そのおかげでオオクニヌシが山を降りた。神々が動き出しておる。
「となると……」
──神が本格的に神域を出れば、サニワを通して、人間と神がぶつかり始める。
「人間と……神々が……」
その瞬間、蓮の部屋を大きな影が包み込んだ。
──力の均衡。その歪みは、神を動かす。
その時、一階から蓮を呼ぶ声が響いた。
「蓮〜、買い物行くわよ〜!蓮〜」
頭の中の声が、ノイズで乱れる。
──ワイルド……引き摺り出せ。
「はーい、今行くよ、ママ〜」
──……百鬼夜……敢行……
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学校生活も、あの飛び降り事件を忘れたかのように、平穏を取り戻していた。
翔は窓の外に目をやる。
「あれは、あいつの仕業だったのかな……」
何一つ釈然としない翔は、小さく息を吐いた。
「じゃあ、明日からは研修旅行だ。各自、忘れ物のないように!」
「研修旅行……?」
隣の生徒が翔に話しかける。
「霧島くん、来週から西都へ研修旅行だよ。知らなかった?」
翔は、雲ひとつない空を見上げた。
この地を離れる。
西都──
どこか、胸の奥がざわつく名だった。
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家に戻った光明は、利蔵と話すオオクニヌシの姿を見て目を見開いた。
「全さん……お主……」
光明に気づくと、オオクニヌシは大きな手を叩いて笑った。
「ガハハハ!そんな悪鬼を見るような目をしなさんな!
ちいと、最近の陶芸品を見とうなってなぁ!町へ出てきてしまいましたわ!」
「陶芸品……とな」
全は胸元から一枚のチラシを取り出す。
「焼き物祭り……?」
「そうなんだ!黄泉口の登山道に落ちていてなぁ!
いても立ってもおられんくなってな!ガハハ!邪魔をした!ワシはこれで!」
利蔵は、席を立つ全を引き留めた。
「せっかく親父殿が戻られたのに、もう一杯、お茶でもどうですか?」
「いやいや、今日はじっくり焼き物を見たいんでな。これで!」
光明は、オオクニヌシに静かに頭を下げた。
すれ違いざま、オオクニヌシは鋭い眼光を、光明に向ける。
嵐のように去っていったオオクニヌシ。
突然の来訪に、光明は顔を顰めた。
「親父殿、どうされた?
それにしても、あんな大神様が焼き物祭りに行かれるとは……」
「ほほ……そうではないの、明らかに」
利蔵は首を傾げる。
「そうではない?」
光明は、去っていくオオクニヌシの背中に、鋭い視線を送った。
「焼き物祭り……ありゃ、十年前のチラシじゃ」




