第69話 街に在る、神の影
「お母さん、あそこ!」
「はいはい……あらぁ!翔くんじゃなーい」
翔が振り返ると、あの呉服屋の店主と、中学生の娘が立っていた。
「……あ、こんばん──」
翔が言いかけると、店主は鉄喜を見つけて慌てた。
「わあ、大変!」
呉服屋の店主は鉄喜に駆け寄ると、その傷口に手を当てた。
「ちょっとごめんなさいね」
店主は目を閉じ、祝詞をあげる。
「なおしたまひこのところに──」
すると、その手からふわりと淡い緑の気が立ち上った。
鉄喜の体がその光に包まれると、傷口から黒い邪気が立ち上り、やがて宙に消えていった。
店主は鉄喜の目を覗き込む。
「あなた……金剛力士様? 丈夫ねぇ! もう大丈夫よ!」
「あ、はい……あの、今のは……あなたは……?」
「私はそこの商店街の呉服屋の店主。亜紀よ!
あなたは翔くんの友達ね、よろしく!」
鉄喜はトロンとした目で亜紀を見つめた。
「あ、翔が寄った空き地の前の、あの呉服屋の……
おっ、お綺麗ですね」
亜紀は、鉄喜の背中をパシンと叩いた。
「やだぁ! こんなおばさん捕まえても、何も出てこないわよ!」
翔は思わず声をかけた。
「あの……」
亜紀は立ち上がり、朗らかに言った。
「あなた達、若いサニワを見てると、おばさん元気になっちゃう!」
「え? ……じゃあ、おばさんも……」
亜紀はニヤリと笑った。
「そう! あなた達と同じよ!」
そう言って、亜紀は一瞬だけ翔を見た。
「……それにね。翔くんのお母さんの、お友達。ね、翔くん!」
翔は、思わず視線を落とした。
鉄喜と蘭は目を見開いた。
蘭が小さく呟く。
「スクナヒコ……知恵と医療の神」
「そうよ、お姉ちゃん。よくわかったね!
私は頭よくないけどね! ハハ!」
亜紀は公園のベンチに腰掛け、シュークリームを頬張る娘を指差した。
「そして、あそこでシュークリーム齧ってるのが、私の娘、玲那!
来年から高校生……の予定! ハハハ!」
翔はその光景を見ながら、この町には、まだ知らない“神の影”がいくつも潜んでいることを、感じていた。
亜紀は手を広げ、にこやかに手を振る。
「さあ、帰った帰った!
健全な高校生が、こんな時間に街にいちゃダメよ!」
亜紀は三人を見送ると、公園を見渡して息を吐いた。
「最近のサニワは、やることがド派手ねぇ……」
玲那は倒れた蓮を見下ろし、亜紀の手を引く。
「お母さん、この人は?」
「いいの、いいの。帰ろう」
「うん、帰ろう」
⸻
三人しか乗っていない最終便のバス。
それぞれ別の窓の外を眺める三人の間に、沈黙が流れていた。
その沈黙を、鉄喜が破る。
「そういやぁ、翔。お前、なんで公園来たんだ?」
翔は視線を窓へ向けたまま答えた。
「……オレもよくわからないけど、神社で神様に会って」
「ククノチ様か?」
翔は窓の外に目を向けた。
「いや……オオクニヌシって神様」
「それで?」
翔は自分の手に視線を落とす。
「それが……なんか忘れ物を思い出したような気がして、
気付いたら、あそこに戻ってた」
「ふーん、忘れ物ねぇ」
翔は鉄喜の顔を見た。
「それより、お前大丈夫か?」
「おう! 血も止まったし、傷口も塞がっちまってるぜ!」
翔は片方の眉を動かす。
「そうじゃねえ。いろいろ大丈夫かってこと」
「大丈夫だ! これで万事解決のはずだ! ガハハ!」
「……ほんとかよ」
バスが止まり、蘭は無言で立ち上がった。
降りようとする蘭の背中に、翔が声をかける。
「蘭……」
蘭は、少しだけ顔を向けた。
「……ん?」
翔は、ぎこちない笑顔を見せる。
「ありがとな」
翔の代わりに、鉄喜が無言で蘭の肩を叩いた。
静まり返るアパート前のバス停。
蘭は胸に手を当て、一人、そっと微笑んだ。
「……ありがと」




