第68話 豊葦原の相撲
「一丁、相撲でも取らんかね?」
翔に向かって、両手をつくオオクニヌシ。
ふわりと、白いオーラが揺れた。
それは敵意ではなく、受容の色。
そう感じた。
目の前にいる、オオクニヌシという神が纏う空気。
ククノチのような、自然に溶け込む無機質な気配ではない。
だが、スサノオのような、周囲を震撼させる圧倒的な圧でもない。
遠くの山脈を眺めた時のような、
ただ静かに聳え立つ──だが、壮大な存在感。
吸い込まれるように、翔は両の手をついた。
オオクニヌシは、ニヤリと笑った。
言葉は、発せられない。
だが、翔の細胞に、オオクニヌシが問いかける。
──来なさい。受け止めてあげよう。
「ハッ!」
翔は、オオクニヌシめがけて突っ込んだ。
肩か?
頭からか?
どこに当たる?
身体のことは、考えられない。
ただ、山の中へ進むように、無心で──
鈍い衝撃音が、境内に響いた。
オオクニヌシは、目を見開く。
「おっほ〜! いい活力だ!」
翔は、歯を食い縛った。
「ぐぎぎぎ……動かない……」
組み合っている相手は、人ではない。
大木。
否──山、そのもの。
オオクニヌシの目が、一瞬、鋭く光った。
「フン!」
気を入れた瞬間、
翔の体は、後方へ大きく吹き飛ばされた。
翔は宙で体を反転させ、着地する。
オオクニヌシは、手を叩いた。
「素晴らしい!
神気にあたっても、尚、動けるか!」
オオクニヌシは、大きくシコを踏んだ。
踏みしめた足が、境内を大きく揺らし、
ドングリが、バラバラと落ちる。
「次は、本気で来なさい」
翔は、両手をつくと、
ふわりと赤いオーラを纏った。
「いくぜ、おっさん」
翔は、駆け出した。
オオクニヌシを貫くような、
赤い閃光が、一直線に向かっていく。
オオクニヌシは、目を見開いた。
──衝突。
再び、大きな衝撃音が、境内を揺らした。
オオクニヌシは、微動だにしない。
その代わり、翔の腰に手を回し、掴まえると、
静かに、目を閉じた。
翔の鼓動が落ち着くのを待つように、
ほんの一瞬、動きを止める。
そして、優しく語りかけた。
「そんなに、怒りなさんな」
翔は、ハッとした。
だが、その言葉は、
自分に向けられたものではない気がした。
その声は、翔の体を通り、地面に流れ、
境内へ──いや、この世界へと広がっていく。
「この世は、人間がおらなにゃ、
神にとっては、地獄となりますわ」
そう言うと、
オオクニヌシは、もう一方の手も翔の腰にかけた。
「だから、豊葦原中国を造ったんだ」
その手に、力が込められる。
「事を──収めましょうや」
高々と、抱え上げられる翔。
目の前から、景色が消えた──
オオクニヌシは、
大地に問いかけるように、
翔を“大地へ還す”ように落とした。
ブルン、と境内が揺れる。
不思議と、痛みはなかった。
体と地面が、一瞬にして溶け合うような、
奇妙で、心地よい感覚。
オオクニヌシは、ニコリと笑い、
翔を抱えて立たせた。
まるで、赤ん坊のように。
何が起きたのか分からず、
翔は、立ち尽くした。
「翔くんや。手を見てみい」
翔は言われるまま、自分の手を見る。
見慣れない、淡い緑色のオーラが、
静かに立ち上っていた。
「これは……」
オオクニヌシは、優しく微笑んだ。
「それが、自然の色だ」
「自然……」
「そうだ。
調和を取ろうとしなくていい。
それは、人間と神の仕事だ」
翔は、オオクニヌシを見上げた。
「人間と神?」
オオクニヌシは、大きく頷いた。
「自然とは、調和そのもの。
君を大事にするのは、我々の仕事だよ」
「オレを……?」
心地よい沈黙が、境内を一瞬包んだ。
オオクニヌシは、再び豪快に笑った。
「ガハハハハハ!
また、ゆっくり話そうじゃないか、翔くん!」
翔は、首を傾げる。
「結局、オレは……どう──」
その言葉を遮るように、
オオクニヌシは翔の背中を、豪快に叩いた。
「急いてはならん!
とりあえず──行かなきゃいけない場所、
あるんじゃないか? ガハハハ!」
そう豪快に笑うと、
オオクニヌシは翔に背を向けた。
「また会おう、ワイルドブラッド!」
オオクニヌシが去った境内に、
再び、鳥の鳴き声が戻る。
「大漁だ」
翔の背後で、
せっせとドングリを拾うククノチ。
チラリとこちらを見ると、
何も言わず、社殿へと消えていった。
翔も、何も言わず、
鳥居をくぐっていった。




