第55話 感じろ。聞け。
翔は、いつもの神社にいた。
社殿の欄干にもたれかかり、自分の手を見つめる。
「ワイルドブラッド……一体オレは、何者なんだろう」
その時、一羽のスズメが翔の肩に乗った。
翔は驚きもせず、肩に乗った重みを受け入れた。
──お主には動物が寄るじゃろ。
光明の言葉が響く。
翔にとっては、珍しいことじゃない。
──自然の意思がお主を通して現れる。
「自然の意思……」
──自然はお主の側にある。
──正しく使う責任がお主にはある。
──自然の境地に辿り着けば、可能かもしれん。
「自然の境地……あああ、わかんねえぇ!!」
翔は一人、頭を抱えた。
その時、フッと境内の空気が変わった。
慣れたように、翔は目を閉じる。
「ククノチ」
ククノチは翔を見ず、パタパタと鳥居の横にある木の前へ歩いていった。
見上げると、翔を横目で見ながら、聞こえるように呟く。
「ほー、えらい大きくなったな」
ククノチは一言だけ残し、鳥居からパタパタと出て行った。
「なんだ、あいつ?」
気になった翔は、その木の前に立って見上げる。
「なにが大きくなった……って?」
──あ。
翔は思い出した。
突き、蹴りを毎日叩き込んでいた木。
幼い頃の自分のトレーニングの痕跡。
今はもう、どう頑張っても届かない場所にあった。
「この木……こんなにデカくなったのか」
翔は久しぶりに、その木に向かって拳を構え、軽く突きを打ち込んだ。
「ほい!」
拳が当たった瞬間、ふと翔の脳裏に昔の記憶が蘇る。
利蔵の厳しい格闘訓練に必死についていった記憶。
やめたい。逃げ出したい。
そう思った当時の記憶を、なぜか心地よく、そして寂しく感じた。
翔の足は無意識に境内の中央へ向いた。
なにも考えず、自然に体を動かしたくなった。
そう、自然に。
そんな様子を、いつのまにか欄干の上に腰掛け、コンビニの唐揚げを貪るククノチが見つめていた。
「ハァ……ハァ……」
利蔵がいなくても、自分を追い込める。
夢中で拳を振る翔をしばらく見つめると、ククノチは欄干をぴょんと飛び降りた。
「人間っつーのは、こうも弱いのか……」
その声に翔は振り返った。
ククノチの言葉が、身体的に弱いことを指すものじゃないことを、本能で察する。
「ハァハァ……悪いかよ……」
ククノチは腕をだらんと垂らし、翔の方に体を向けた。
「稽古つけてやる。こい」
翔は目を丸くした。
「え?」
「早くこい。僕は忙しい」
翔はニヤリと笑う。
勝てるなんて思ってない。
でも、思い切り自分を受け止めてくれる相手。
躊躇う必要がない。
──快感が翔を包み込んだ。
「いくぜ!」
翔はいきなり飛び込んだ。
空気を切り裂く翔の回し蹴り。
──当たった!
そう思った瞬間、翔の蹴りは空を切る。
「え?」
ククノチは動いていない。
「おい。お前、わざとやってるのか?」
「え……いや、確かにいま……」
──捉えたと思った。
ククノチは頭を掻いた。
「次は本気でやれ。ふざけてんのか?」
翔は強く歯を噛み締めた。
「上等だ! いくぞ!」
翔から突き出される高速連打。
音が後からついてくるほど速い。
でも──
「当たらねえ……ハァハァ」
ククノチは翔の顔を覗き込んだ。
「……ダメだなぁ」
そう言うと、ククノチは翔の首を掴んだ。
「ウッ」
「ちょっと見せてみろ。ワイルドブラッド」
ククノチは翔の首を締め上げる。
翔の顔に、みるみる赤の紋様が浮かび上がった。
ククノチは翔を投げ捨てた。
「よし。こい」
目を赤く光らせた翔が飛びかかる。
「このやろおおぉぉ!」
それでも空を切る翔の攻撃。
ククノチはその拳先を見ながら、ブツブツと呟いた。
「ふーん……へー……」
今度は翔の渾身のストレートを、片手で受け止める。
「違うなぁ……」
次の瞬間、視界が反転する。
「――ッ!」
背中から地面に叩きつけられ、息が詰まる。
腹の上に、軽い衝撃。
ククノチが、乗っていた。
「いいか」
翔の胸が、地面に沈む。
「感じろ。聞け」
肺が悲鳴を上げる。
だが、不思議と恐怖はなかった。
あるのは──
風の音。
土の匂い。
自分の呼吸。
虫の音? いや、土の……鼓動?
「ほら、色が変わった」
──色?……色ってなんだ?
ククノチの声が、やけに遠く聞こえた。
「よっと」
ククノチは翔の体から飛び降りた。
「わかったか?」
ククノチに引っ張り起こされた翔。
「ゴホッ、ゴホッ! わかったって……なにが?」
ククノチは無言で、しばらく翔の目を見つめる。
「……何?」
ククノチはプイと背を向けた。
「まあいい。お前の体はちょっと理解した。
僕は忙しい。賽銭を入れとけよ。じゃあな」
結局、何一つ、翔にはわからなかった。
ただ──
大きく息を吸い込むと、
胸いっぱいに、澄んだ空気が流れ込んできた。
翔は、手元に転がるドングリを見つめた。




