第54話 葦原のあいだ──静かな戦い
「親父殿……この方は……」
目の前の大男の覇気に圧倒される利蔵。
光明は長いヒゲをゆっくり撫でると、答えた。
「大河内全さん。この世の今の名前じゃ」
「この世の今?」
光明は笑った。
「ほほっ。この方はたくさん名前があってなぁ……
葦原色許男、大汝命……」
利蔵はハッとして全を見た。
光明は間を取り、茶碗を置いた。
「大国主命神様……じゃの」
利蔵は深く頭を下げた。
「オレとしたことが、全く気付かなかった!
あまりにも、その……溶け込まれておられ──」
利蔵の詫びを遮り、オオクニヌシは優しく肩に手を乗せた。
「気にしなさんな、利蔵さん!
ちょっとイタズラが過ぎました!
こちらこそお許しください」
神が、利蔵に頭を下げた。
光明はイタズラっぽく笑った。
「利蔵、すごいじゃろ。
根の国から出られ、この国を造られた大神様が、
こんなところで土を弄っておられるんじゃ」
オオクニヌシは笑った。
「国を創るも、茶碗を作るも同じこと!
ガハハハ!」
利蔵はその豪快な笑いに、思わず息を吐いた。
オオクニヌシは笑いを止め、光明に向き直る。
「それで……今日はワイルドブラッドの父親を連れてきて、
下界の報告ですかな?」
光明は額を叩き、苦笑いをした。
「ほほ、そういうことになりますな」
利蔵は背筋を冷やした。
「お見通し……」
光明は天井からぶら下がる、不思議な形をした風鈴を見上げ、
深い息を吐いた。
「最近、なぜ神々はサニワを動かす?」
「月詠様のことか?」
「悪鬼に対する姿勢もバラバラ──」
オオクニヌシは光明を遮った。
「契約を破った人間は、何も言う権利はない」
睨み合うオオクニヌシと光明を見て、利蔵は悟った。
これは雑談や相談なんかじゃない。
これは──戦いだ。
だが、光明は引かない。
「その挙句、神の振る舞いが、サニワを力で動かすとな」
オオクニヌシの覇気が、空気を揺らす。
「それが、何か問題か?」
光明は間髪入れず答えた。
「大問題じゃ」
オオクニヌシが目をグワッと見開くと、部屋が揺れた。
「どう問題か答えよ。
返答に気をつけなされよ、光明……さん」
オオクニヌシの背中から、白いオーラが立ち上る。
それと同時に、光明の瞳が青く輝き出した。
「そなたこそ、気をつけなされ。
サニワ無くして事は治らぬ。
人間無くして、神々は──」
オオクニヌシは光明を遮り、立ち上がった。
「人間無くして、神々がどうしたって?」
激しくぶつかり合う視線。
家具が倒れ、天井に吊るされていた風鈴が割れる。
慌てて立ち上がった利蔵だが、
二人の間には入れない。
──
すると光明は目を閉じ、苦笑いを浮かべた。
「神々も困るじゃろ?」
オオクニヌシの表情が和らぎ、再び床にどかっと座った。
「ああ、困る! ガハハハ!
だから思案しておった!
どうしたもんかの、光明さん!」
利蔵は部屋の空気が緩んだことを確認し、座り直した。
「タハハ……すごいな」
するとオオクニヌシは、利蔵の肩に手を置いて笑った。
「ガハハ、利蔵さんや。
ワイルドブラッドはどうや?
やっぱり大変かの?」
利蔵は視線を落とした。
「正直言って……たまに暴走はしますが、
神殺しなどと言われるほどの力があるようには思えません。
オレから見たら、息子は……ただの十六歳の高校生──」
光明とオオクニヌシは、利蔵の顔を覗き込んだ。
「──サニワとしても……全く大した事ありません」
オオクニヌシと光明は顔を見合わせた。
「大したこと……
ブワッハッハッハッハァ!!」
腹を抱えて笑うオオクニヌシ。
光明も、たまらず白い歯を見せて笑った。
利蔵はキョトンとした。
「え?」
オオクニヌシは目に涙を浮かべ、満面の笑みで利蔵に向き直った。
「利蔵さん! 気に入ったぞ!
自分の息子を大した事ないと断言する父親!
最高だ! ガハハハ!」
「いや……でも実際……」
「利蔵さん! あんた、さすがだ!」
利蔵は意味がわからず、頭を掻いた。
「光明さん! 十分だ!」
オオクニヌシは、利蔵の肩に置いた手を、そのまま離さなかった。
集落を後にする二人を、
オオクニヌシは見えなくなるまで手を振って見送った。
登山道に戻った時、光明は力が抜け、膝をついた。
「親父殿! 大丈夫ですか?」
「ふう……オオクニヌシ様の覇気にやられたわ。
もう歳じゃの」
利蔵は光明の腕を抱えた。
「オオクニヌシ様……この国を創った方か」




