第52話 笑う、野生の本能
けたたましい救急車とパトカーのサイレンが、校内の空気を引き裂いた。
上空では、メディアのヘリが低く唸り続けている。
その後、警察による現場検証が行われた。
発表は簡潔だった。
――自殺。
テレビも、同じ言葉を繰り返した。
飛び降り直後、屋上へ駆け出した蘭に、
一瞬だけ視線が集まったが、
翔たちやクラスメートの証言により、その疑いはすぐに消えた。
しばらく張られていたブルーシートは外され、
今はコーンが四つ、そこに残っているだけだった。
校内はやがて、何事もなかったかのように、日常を取り戻していった。
人間として生まれた悪鬼。
黒い気配がなくても、
それは人の中に、紛れて生きられる。
サニワですら、わからない。
翔の思考は、そこから先へ進めなかった。
もしかしたら、近くにいるのかも知れない。
クラスメート、教師。
翔はすでに、黒い邪気の有無では何一つ判断できなくなっていた。
悪鬼。
どこにいる。
チョークの音が耳障りだった。
教師の声が遠く聞こえた。
校門を駆け出して行く蘭の後ろ姿。
──一体、何が起きてる?
全てが疑心暗鬼になっていく。
教室の中に、逃げ場はもうなかった。
翔は静かに席を立った。
事件当日、学校から姿を消した蘭は、
あの不思議な声を聞いた住宅街の公園にいた。
目を背けたかった胸の中に重く残る記憶。
「これ以上は……無理」
蘭の腰掛ける公園のベンチから正面に見える豪邸。
──蘭の生家。氷室の表札が揺れていた。
関係ないかも知れない。
それでも、今ここに来なきゃいけない気がした。
「でも、これ以上近付けない」
蘭は、震える足を叱りつけるように立ち上がった。
──その時。
「お姉ちゃん」
雲一つない晴天。
でもなぜか暗い。
蘭の背筋が凍る。
ベンチに座る男の子。視線は蘭の生家に向いていた。
「アンタ……」
「やっと会えたね。お姉ちゃん」
蘭は咄嗟に身構えた。
言葉がうまく出てこない。
「夏祭り……遊歩道」
「アタシに何をした!! アンタ一体……誰なのよ!!」
「フフッ、もうわかってるくせに」
年齢に似つかわしくない、やけに幼い声。
「蓮……氷室蓮。あなたの弟だよ、お姉ちゃん」
蘭は歯を噛み締めた。
「そのアンタが、アタシになんの用よ!」
「怒らないでよ。お姉ちゃんこそ、どうしてここに何度も来るの?
僕はただ……仲良くしたいんだ」
そう言うと蓮は立ち上がり、禍々しい黒いオーラをじわりと纏った。
「アッ、アンタ……悪鬼……なの」
蓮は不敵に笑い、蘭の方を向いた。
「フフフ、悪鬼って何?
僕は人間に決まってるじゃないか。お姉ちゃんと、同じだよ」
「うるさい! どう見たって同じじゃない」
蓮はポケットに手を入れた。
蘭の視界の端で、刃が一瞬、瞬いた。
「ナイフ!? アンタ正気なの!?」
「いくよ、お姉ちゃん。遊ぼう」
空気が揺れた瞬間、蓮の姿が消えた。
──あの時と同じ。
蘭の髪が風で揺れた。
目の前に、ふわりと現れた蓮。
蘭のお腹に向かって迫る刃──
──間に合わない。
そう思った瞬間だった。
蘭の頬を、後ろから風圧が撫でる。
その閃光は、音すら置き去りにして空気を裂き、
蓮の顔面を容赦なく打ち抜く。
鈍い衝撃音が遅れて響き、蓮の体が宙を舞った。
弾き飛ばされた蓮は、顔を押さえてうずくまった。
「翔くん!!」
蘭が振り返ると、赤い紋様を顔に浮かべた翔の姿があった。
「蘭。てめえ、ここで何してやがる」
「翔くん……後を追ってきてくれたの?」
翔は答えなかった。
心臓が「ドクン」と鳴る。
「クソガキ。てめえはわかりやすい」
翔は身を屈めながら一歩を踏み出した。
獲物を見つけた、虎のように。
──守る、じゃない。
見つけた瞬間、壊したくなった。
翔の視線は、もう蘭を見ていなかった。
鼻を押さえてふらふらと立ち上がった蓮。
「わかり……やすい?」
蓮を捉えた視線は逸れない。
「てめえのことは、ぶっ壊していいって……オレの……オレの──」
「しょ……翔くん?」
「──本能が喜んでんだよ」
翔の瞳の奥に、赤黒い光が灯った。
蘭は、遅れて気づく。
――守りに来たんじゃない。
――狩りが始まったんだ。
「ワイルドブラッド!?」




