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第38話 夏祭り前日──軋む結界と声

音葉のいる黄泉口神社では──


本来、夏祭りの準備で賑わうはずの境内に、まだ緊張が残っていた。

 境内の隅には、組み立て途中の櫓と、まだ袋に入ったままの提灯が積まれている。

 本来なら、子どもたちの声と太鼓の音が響く頃合いだった。

 それが今は、風に揺れる木の葉の音だけがやけに大きい。


 道心と音葉は、古戦場の破られた結界を張りなおし、社殿で祝詞を上げた。


「これでひとまず結界を修復出来た」

「はい」


「どうして悪鬼が神域を犯そうとしたのかはわからんが……」


音葉は鴉天狗の言葉を思い出していた。


──我は神か?悪鬼か?

──創造の前の、破壊を。

──答えよ!!サニワアァァ!!


「音葉、考えごとか?」


「あ、ごめんなさい……あの、おじいちゃん。鴉天狗、いや悪鬼の目的って一体……?」


 道心は白髪混じりの頭を掻き上げ、苦笑いを浮かべた。


「はっきりはわからぬ。奴らも元は神……神の意思を推し量るのは難しい」


「では、なぜ、私達は戦うのですか?」


 道心は、音葉を見た。


「神域を出て人間社会を破壊する悪鬼は、人間としてのワシらからは敵」


「人間としては、敵……」


「サニワとしては……」


 道心は一度言葉を詰まらせた。


「悪鬼が神域を犯せば、残りの神々も行動を起こさねばならなくなる。最も恐るべき事態は、全ての神々が神域を出て、悪鬼となることだ。さすれば人間と神々の全面戦争にも……かつて起きたようにな」


「全面……戦争……そんなことになれば、人間に勝ち目など……」


「あるはずがないのう。勝ち目どころか、世界が無くなる」


 音葉は、かつて聞いた古い絵巻の情景を思い浮かべた。

 燃える村。逃げ惑う人。空を覆う異形の影。

古い伝承が今になって実感を伴う。


「私達サニワって一体……」


 道心は自分が持っていた錫杖を、音葉にそっと渡した。


「人間を守ること、それは神の意思を守ること。その間に立っているのがサニワじゃ」


道心は音葉の顔を見た。


「その答えはサニワによる。何と戦うか、戦う理由、全てお前次第だ、音葉」


「私……次第」


 錫杖を握りしめた音葉の足元で、結界が、かすかに脈打った。


──直したはずなのに。


胸の奥に、言いようのない不安が広がる。


──神域に結界とは愚かな。


 結界は、本当に――人間を守っているのだろうか。


その頃──

 蘭は閑静な住宅街の中の公園のベンチに腰掛け、遠くを眺めていた。

 弁当を囲う子連れの家族、遊具に登る子供を見守る母親。

 蘭には、どこか異世界のように実感の湧かない景色だった。


 その向こうに見える豪邸の窓を見つめ、拳を握った。


「アタシ……なんでここにいるんだろう」


 ベンチを立って公園に背を向けた時、背中から声が聞こえた。


──ふふ、来てたんだ。


蘭は慌てて振り返ると、そこにはさっきと変わらない公園があるだけだった。


「また……あの声。幻聴?そろそろ怖くなってきたんだけど……」


蘭は言い知れぬ気味悪さに胸を抑え、無意識に足を速めて逃げ出した。


 夏祭り前日。

四人のサニワをよそに、蠢く悪鬼の思惑は激しく渦巻いていた。


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