第32話 代償
「翔、起きろ!」
利蔵に叩き起こされた翔は、寝ぼけまなこを擦りながらあくびした。
「なに?」
「あの古戦場に悪鬼が出たらしい。大変な事態だ」
「......」
利蔵の言った“大変な事態“の意味を、翔はこの時わからなかった。
「鉄喜くんと蘭ちゃんには連絡しておいたから、お前はいつもの神社へ行きなさい。オレは、音葉ちゃんと立花のおいちゃんに話を聞いてくる」
「いつもの神社で何を?」
「決まってるだろ。掃除だ!じゃあ、行ってくる!」
慌てて車に乗り込む利蔵を翔は自分の部屋の窓越しに見送った。
「掃除......」
古戦場の空気は、まるで焼け焦げたように重かった。
昨夜の戦いで吹き荒れた霊風がまだ渦を巻いているのか、
肌に触れる風さえ鈍く、粘ついた冷気を含んでいた。
「土蜘蛛に、鴉天狗か......」
古戦場跡に立つ利蔵と光明は神妙な顔をしていた。
「由々しき事態じゃ。結界が破られたことはまだしも、神域に悪鬼が侵入しようとするとは。
「はい。土蜘蛛にそのような意志があるとは思えない。結界を破り神域に侵入したのは、おそらく鴉天狗の意思。土蜘蛛は誘われた......でしょうか?」
「じゃな。ここも結界が破られれば、人の情念が居つくようになる。さすれば神域は、いずれ神域でなくなる」
「はい。立花のおいちゃんとオレで再度結界を」
「ふむ。」
「利蔵ちゃん、光明殿」
「立花のおいちゃん、音葉ちゃんは?」
「今しがた目を覚ました。」
「音葉ちゃんにも話を聞こうかの」
3人は音葉のいる社務所へ向かった。
一方いつもの神社では、社殿の縁側に座る翔と鉄喜の姿があった。
「あの古戦場に悪鬼が侵入したって、お父が言ってた。まずい事態だって」
「そうなのか?どうまずいんだ?」
「わからないけど、今までそんなことはなかったって。鴉天狗......あの日オレ達が目にした式神を放った悪鬼が出たって」
「何!?」
鉄喜は思わず腹をさすった。
「土蜘蛛って悪鬼まで、同時に出たって」
「悪鬼が2匹も......おっ音葉さんは!?」
「音......音葉が、そいつらを追い払ったって」
「音葉さんが!?......音葉さん、めちゃくちゃ強いんだな!」
「......あ」
鳥居の前で一礼して駆け寄ってくる蘭の姿を見つけた翔は、顔を背けて立ち上った。
「掃除するぞ」
「翔、どした急に?おっ、蘭!」
「翔くーん!そこのでっかいの!ジュース買ってきたよぉ!休憩しようよー!」
「あいつ一生オレの名前呼ばないつもりだな」
「休憩って、お前さっきから何にもしてねーだろ」
「でもよ、翔。師匠は何でお祭りにこだわってるんだ?最近オレ達ここの掃除しかしてないが......」
翔は無数に散らばるドングリの一つを手に取り指で弾いた。
「......知らねえな」
音葉のいる社務所に駆け込んだ利蔵と光明は音葉の横に座った。
「音葉ちゃんや。このジジイに話を聞かせてもらえんかの?」
「はい......」
光明は音葉の目を優しい目で見つめながら静かに耳を傾け、やがて天井を見上げて息を一つついた。
「親父殿......結局悪鬼の目的は?」
「わからぬ。わからぬが、鴉天狗の言う創造の前の破壊......これは昔から神々が時折見せる国造りの方法じゃ。今あるものを壊し、新たな命を芽吹かせる。昔の自然災害はそれじゃ」
「昔の?」
「ふむ。今は人間が自ら災害を引き起こすこともあるからのう。じゃが、昔は人間が神域を犯したり、間違った方向に手を伸ばすと、神々がそれらを破壊することで人間に知らせた。サニワとの交渉が決裂した時にもなぁ」
「なるほど。つまり鴉天狗は、何かを破壊し新しいものを造ろうと......」
「いやあ、鴉天狗が、そのような大きな意思を持っているとは思えぬ。ワシには何かもっと大きなものの意思を感じるのう。鴉天狗クラスの悪鬼を突き動かすほどの何かを」
「そうですか」
「少なくとも悪鬼の勢いは増しておる。人間が神域を破壊し続け、神を祀ることを忘れたことで、神域の力が弱まり続けておるからの。悪鬼が勢いづくのも当然じゃ」
利蔵はその横で拳を軽く握った。
「......むしろ悪鬼より、神域を破壊しているのは我々人間......か」
しばらくの沈黙を破り音葉が口を開いた。
「神様達は神域に侵入した悪鬼と戦うのでしょうか...?」
光明はその長い髭を撫で、横になっている音葉へ視線を落とした。
「わからぬの。悪鬼と神々の存在を区別したのは我々サニワ。契約を破った人間へ審判を下すために神域を出た神々を悪鬼とした。悪鬼の行動を是としているのか、否定しているのか、その神意すらもわからぬ」
「神意......」
「今こそ、サニワが神意を聞かねばなるまいの」
音葉は静かに目を閉じた。
「ほほ、音葉ちゃん。疲れているところ、悪かったのう」
利蔵は音葉の手を握り頭を下げた。
「音葉ちゃん、ありがとう」
社務所を出た光明は、宮司に問いかけた。
「音葉ちゃんは、鴉天狗をどう追い払ったのじゃ?」
「詳しくはわかりませぬが......意識が途絶える直前に、満月が目に入り、月詠様の名を呼んだと。おそらく、月詠様が降臨されたかと」
「......ふむ。立花殿、月詠様の力は神々の中でも最上位クラス。知っておるの?」
「はい」
「いくら音葉ちゃんの霊力が強いとはいえ、月詠様の降臨は諸刃の剣じゃ。過度に繰り返せば、音葉ちゃんの精神は破壊される。さすれば音葉ちゃんは......」
そう言うと光明は宮司を見上げた。
「......はい、十分......わかっております」
「音葉ちゃんを、これ以上悪鬼に近づけてはならぬ」
「......はい」
真夏の日差しに晒されるいつもの神社に、鉄喜の声が響き渡る。
「おい、蘭!お前も手伝えや!」
「えー、こんな日差しに当たったら、日焼けしちゃうじゃーん!無理ー」
「たくっ、なんなんだ、あいつ!なあ、翔!」
「......」
社殿の手すりを拭いていた翔は、ふと気配を感じて辺りを見回した。
手鏡を覗きながら化粧を直していた蘭が、手鏡を閉じると、目の前には奇妙な少年が立っていた。
「わっ!びっくりした!!何!?キミ、誰?」
その少年は首から下げた大きなドングリを撫でながら、蘭の顔をジィ〜と覗き込んだ。
翔と鉄喜は顔を見合わせる──
「ククノチ!!」
「ククノチ様!!」
蘭は首を傾げた。
「クク......ノチ?」




