第25話 月詠降臨
音葉は広場に座ると、一礼し立ち上がった。
装束を振りながら、地面に落ちた朝露を巻き上げながら舞を見せる。
朝日に煌めく巻き上げられた水滴がキラキラと光り、幻想的な空気が広場に広がる。
「すげえ......」
鉄喜の小さな呟きを、装束が擦れる音がかき消す。
額にうっすらと汗が滲んだ時、音葉の舞は終わり、音葉は肩を小さく揺らした。
古戦場跡を、一瞬の沈黙が包む。
音葉が目を閉じて下を向き、ゆっくりと両手を掲げると、わずかな風が翔と鉄喜の頬を撫でた──
翔は反射的に腰を落として構えると、鉄喜も翔につられるように拳を握りしめた。まだ覚悟が決まらない鉄喜は、一人呟く。
「......何が始まんだよ」
風がピタリと止んだ瞬間、音葉がカッと目を見開くと、彼女の目は怪しい紫色に輝きだし、音葉の足元からは、どこからともなく紫の霧のようなオーラが立ち昇っていた。
利蔵は驚いた様子で、音葉を見ていた。
「ほぉ、これが......」
隣に立つ道心は鋭い目で孫を見つめていた。
「月詠様──降臨じゃ」
音葉は掲げた両手で大きく円を描き、パンッと手を合わせると、一瞬で昼夜が切り替わり、空に大きな三日月が浮かんだ。
「なっ、なんだこれ!?どうなった!?」
慌てふためき周囲を見回す鉄喜の横で、翔は目の前に現れた人影に声を震わせた。
「まさか......かぁ......」
慌てる鉄喜と怯えたように震える翔の様子に違和感を感じた蘭は、利蔵と宮司に駆け寄った。
「あの2人、どうしたの?」
利蔵は静かに答えた。
「おそらく、幻影。月詠様の神技は、幻術だ」
「幻術?いったい2人は何を見てるの?」
「わからない。」
道心は2人の会話を聞いて、胸元から装飾がなされた鉄の輪を取り出した。
「これを通して見れば、おそらく」
その輪の中を覗いた利蔵は頭をかいて不安な顔をした。
「こりゃあ......」
音葉の前に立つ見知らぬ人影を見た蘭は、利蔵を見上げて問いかけた。
「あの人は誰?」
「三重......亡くなった翔の、母親だ」
「げっ!」
道心は震えながら苦笑いを浮かべた。
「さすがは、月詠様じゃ。人の弱みを見透かしておられる。月詠様の霊力は強く、一度、幻術にかかってしまったら2人はこれが幻影だとは気付けない」
「じゃあ、2人は......」
「月詠様を倒し、この幻術を打ち破らねば、生きては帰ってこれぬ」
蘭は頬を膨らませた。
「やっぱりあの女、性格悪ぅ」
利蔵はそんな蘭の肩に手をやり、手を合わせて震える音葉を指差した。
「蘭ちゃん、音葉ちゃんを見てご覧。彼女も戦っているんだ。自分の中にいる月詠様の意思とそれを拒絶する音葉ちゃんの意思が激しくぶつかっている。音葉ちゃんの意思が完全に取り込まれてしまえば、月詠様は2人を躊躇いなく殺す。これは音葉ちゃんにとっても大きな試練だ」
「ふん。そんなの知らないし......」
音葉の胸の奥には、降臨した月詠の声が低く響いていた。
──下がれ。
ワイルドブラッドを扱える人間などおらぬ。立ちはだかる者は、人間の、そして神の敵ぞ。我が裁こう。最も“相応しい形”で。
その声に音葉の意思は逆らう。
「ダメ......こんなやり方......翔くん......」
音葉は震えた足を踏みしめた。
自分の中で暴れる月詠の意思に、必死に抗う。
「負けない。......守る。翔くん達も......私の意思も!」
利蔵は月詠の気を感じ今頃になって脳裏を過ぎる後悔の二文字を必死に押さえ込んでいた。
「翔、鉄喜くん......乗り越えろ」
ゆっくりとこちらへ顔を向けた母の姿を前に、翔は体を震わせていた。
「かっ......母ちゃん......」
ありえない。
そこにいるはずのない人が、そこにいた。
翔の心臓が、一瞬「止まった」。




