第11話 WILD BLOOD ──神託者か、神殺しか
神社の境内──社殿の横にある苔むした岩に腰を下ろすと、山風がひゅうと吹き抜けた。湿った土の匂いがかすかに漂い、足元で枯葉がカサリと揺れる。
翔は、自分でも気づかないうちに手を強く握っていた。
あの日の“力と怒りの暴走”を思い出すだけで、背中に冷たい汗が流れる。
「翔や」
光明がゆっくりと名を呼んだ。その声に、胸にあったざわつきが僅かに静まる。
「お主に宿った力、ワイルドブラッドについて、ワシが知っていること…そろそろ話さねばなるまい」
翔は息をのんだ。光明はどこにでもいる老人のようでいて、ときおり底の見えない眼差しをする。まるで、何か大きなものの重さをその背中に負っているようだった。
「ワイルドブラッドとは、野生の血。その名の通り、この星の自然そのものが宿す“原初の力”じゃ」
「自然そのもの……?」
「そうじゃ。植物、動物、風、雨、火、そして大地。それらすべての振る舞いの源にある“意志”のようなものじゃな。それが、お主を通して姿を現す」
光明の言葉に、翔は思わず周囲を見渡した。境内の隅で風に揺れる草、木陰で身をひそめる小鳥、さっき靴先に止まった蝶──。
「お主には昔から動物が寄るじゃろ。あれは偶然ではない。自然が、お主を“自分の側”だと感じておる証じゃ」
翔は沈黙した。
「ワイルドブラッドを持つ者は、身体能力が爆発的に上がる。傷の治りも、目で追えぬほどの速さも、その怪力も、常人の理から大きく外れとる。──」
光明は言葉を区切り、翔を正面から見据えた。
「悪鬼をも払う力が備わるがその力は──神をも伐つ。ゆえに神々は、ワイルドブラッドを警戒する。世界の均衡を乱す存在としてな」
翔の胸が一瞬凍りついた。
「……神を?」
「ゆえに世界は、ワイルドブラッドを恐れ、求めもする。その力がどちらに傾くかで、未来が変わるからじゃ」
そんな力を、自分が……?
翔は胸の奥が締め付けられるように感じた。
あの日、自分は制御できず暴走した。人を殺すことも出来た。
世界の真実を垣間見て、自分だけが置いていかれたようで──
ひとり、底無しの暗闇に立っている気がした。
「じゃがな、翔。力を怖れる心は間違いではない」
光明の声が、驚くほど穏やかに落ちる。
「自然の力とは本来、善にも悪にも寄らぬ。火が人を豊かにする一方、それは人の生活を奪うこともある。その違いは人の使い方次第じゃろう?」
「……そうかもしれない」
「ワイルドブラッドも同じじゃ。その力、お主がどう使うかで世界は変わる」
「……オレ、またあんなふうになったら」
「なるじゃろうな」
間髪入れず光明が答えると、翔は下を向いた。
「ワイルドブラッドは、自然そのものを宿すがゆえに、心の乱れはそのまま世界への乱れに繋がる。じゃがな──」
光明は優しく笑った。
「不安になることもまた自然じゃ。お主の反応を見ておるとまさに自然そのもの。つまり正しいことじゃ」
光明は立ち上がり、鳥居の方を指差した。
「お主の力は強大じゃ。世界の力の均衡すらお主の力で変えてしまうことが出来る。ならばその力を正しく使う責任もまた、お主にある」
翔ははっと顔を上げた。
「責任...」
「怒りでもない。悲しみでもない。まさにこの自然の境地に辿り着くことが出来れば──お主はその意味を知る」
光明は空を見上げた。
「じゃが、力に“向き合う”のは、お主一人では出来ぬ。助け合い、磨き合い、ぶつかり合うことで、お主はその術を知る。もしかしたら、ワシが知る以上の力を手にすることも出来るやもしれぬ」
光明は視線を翔に落とした。
「お主は今、孤独に打ち震えておる。だが忘れるでない。ワイルドブラッドは自然の側にある。その自然は、決して孤独ではないぞ。世界のすべてと繋がっとる」
「世界の全てと…」
光明は軽く息を吸い静かに言った。
「生命あるもの全てが特別であり、と同時に所詮は誰もが世界の一部に過ぎぬ。自然そのものが力であるワイルドブラッドを持つお主は、いずれそれを誰よりも知ることになる」
翔は境内の木々を見渡した。
「全てが特別で、世界の一部…」
そこへ──
「おおおーい! 親友よぉーい!!」
息を切らしながら駆け寄る大男──鉄喜の姿があった。
「また、あいつか…」
翔はこちらに向かって走ってくる鉄喜の笑顔を見つめた。
呆れるほど真っ直ぐで、しかし──少しだけ心が軽くなった。
「お祖父様!いや、師匠!よろしくお願いします!」
「ほほほ、お主らの師匠はワシではない。」
「鉄喜くん!翔!」
振り返ると、満面の笑みで拳を力強く突き出す利蔵の姿があった。
「お父…」
「お父様!し、師匠!よろしくお願いします!」
「おう!任せとけ!」
光明は長い髭を撫でながら、晴れ渡る真夏の空を見上げ、ひとり呟いた。
「ワイルドブラッドは......お主から普通の日曜を静かに奪っていくじゃろうな。かつて存在したワイルドブラッドと同様に...」
光明は、夏空の向こうを見透かすように目を細めた。
つい数日前まで、ただの日常を生きていた二人の“運命の夏”が、静かに幕を開けた。




