第101話 同情なんかしない
神社の前には、黄色いテープが張られていた。
昨日まで、当たり前のように通っていた石段の上に、
立ち入り禁止の文字がぶら下がっている。
その向こうに、境内が見える。
何も変わっていない。
木も、社殿も、空気も。
事故があった。
それだけの話だった。
原生林との境目で、足場が崩れた。
作業員が一人、下敷きになった。
命は助かったが、重傷。
人の判断ミスと、整備不足。
報告書には、そう書かれる。
ただそれだけのことのはず。
神社の前を通る人間がみんな、目を逸らしていく。
中年の男が、小声で言っていた。
「やっぱり、あそこ……」
「去年も、なんかあったらしいぞ」
「こんなとこでまた祭りなんて、縁起悪いだろ」
──“近づかない方がいい場所”。
そういう空気だけが、確かに漂いはじめていた。
翔は、無意識に拳を握った。
その時黒い霧が目の前を通り過ぎた。
その霧はうねりながら、神社の裏手の原生林の方へ向かった。
「アイツだ!」
翔は追った。
──アイツだ!
「なんだ、わかりやすい」
むしろ、そうであって欲しいと思った。
「……ここだ」
霧は消えてる。
だけど悪鬼の気配。
間違いない。
地面に膝をつき、手のひらを当てる。
土の奥で、何かが“軋んでいる”。
昨日の事故現場。
崩れた斜面の、さらに奥。
人の目が届かない場所で、何かが蠢いている。
「……出てこい」
返事はない。
代わりに。
地面の奥から、じわりと黒い靄が滲み出した。
形はない。
顔もない。
「やっぱりな……」
翔は歯を食いしばった。
このまま放っておけば、また事故が起きる。
人が近づけば、確実に。
「ここで止める」
それは、迷いのない判断だった。
サニワとして。
人として。
翔はぞわりと緑のオーラを身にまとった。
黒い靄が、抵抗するように渦を巻いた。
「……行くぞ!」
翔は踏み込んだ。
次の瞬間。
──地面が、鳴いた。
ゴゴ……ッ。
嫌な音。
嫌な予感。
「っ……!」
翔が跳び退いた瞬間、斜面の一部が崩れ落ちた。
土砂が流れ、下の仮設通路を直撃する。
「危ねえ!!」
遠くで、誰かの叫び声。
翔は、凍りついた。
数秒遅れて、サイレンの音が響く。
現場に走り込む人影。
怒号。
悲鳴。
──守るためにやった。
──間違っていない。
それでも。
最悪の結果だけが、そこに残った。
神域が、再び揺れた。
翔は初めてそれが自分のせいだと感じた。
「なんだってんだ……」
一方、その夜。
音葉の叔母の家。
布団の中で、音葉は息を荒くしていた。
月明かりが、カーテン越しに滲む。
──行け。
はっきりとした声。
──神域が、壊れ始めておる。
「……やだ……」
身体が、勝手に震える。
──お前はサニワだ。
「違う……!」
叫んだはずなのに、声にならなかった。
代わりに影が、ゆっくりと壁を這った。
音葉の影だけが、月に引き寄せられるように伸びていく。
──混沌を、正せ。マガツヒを許してはならぬ!
その言葉と同時、別の場所に。
遠く離れた川沿いで、蘭が立ち止まった。
「……また」
理由もないのに、胸がざわつく。
水たまりが、わずかに波打った。
「……クソ」
吐き捨てる。
関係ない。
気にしない。
そう決めたはずなのに。
なぜか、脳裏に浮かぶのは──
あの、やつれた背中だった。
──認めない。
同情なんか、しない。




