捨てられ聖女ですが、運命の人が国ごと迎えに来ました
「コレット・イリアム! 癒しの力の弱いお前は聖女としてふさわしくない。よってこの場で貴様との婚約は破棄し――この真なる聖女アイラと新たに婚約をする!」
「えっ」
予想外の宣言に息を呑んだ私は、パッと顔を輝かせるとこう返しました。
「ありがとうございます!」
思わず口をついて出た本音に、カイル王子とアイラ様がぎょっとしたように目を見開きます。ですが嬉しさが上回った私は、指先を合わせながら少しだけ苦笑しました。
「私もおかしいなとは思ってたんです。元々孤児ですし、選ばれたのもきっと何かの間違いだったんですね」
「じ、自分が偽聖女だと認めたな! 国民を騙していた自覚はあるのか!」
「騙すとか、そういうつもりはありませんけど……」
「無自覚など、なお質が悪い!」
青筋を立てたカイル様は、檀上からこちらに向かって指を突き立てると処罰を下されました。
「罰として貴様は追放だ! 魔の森の奥にある小屋をひとつくれてやる。そこでせいぜい反省しろ、いいな!?」
***
「わぁっ!」
馬車から蹴り落とされた私は、小雨が降りしきる中、水たまりにバシャアと落ちます。続けてポイポイと投げ出されたトランクが近くに落ちてきました。振り返れば、カイル王子とアイラ様が高笑いを上げながら去っていくところでした。辺りは鬱蒼とした木々が繁る森の中で、だいぶ人里離れたところに捨てられてしまったのだと実感します。
「何だか懐かしい気がしますね」
お母さんが亡くなって孤児院に入るまでは、こんな風に自然の中で暮らしていましたから。
泥まみれになってしまった薄茶色の髪の毛を搾って立ち上がり、住めと言われた小屋を探します。さほど離れていない場所にそのお家はありました。今まで暮らしていた王宮の、一番小さな馬小屋よりも小さくボロボロな小屋でしたが、雨風がしのげて頑丈そうなら十分です。井戸もすぐ近くにあるようですし、耕せばきっと畑もできるでしょう。
「住めば都。これまでも何とかなりましたし、きっと大丈夫」
指を祈りの形に組んだ私は、新たな地での生活が上手くいくようにと小さな結界を張りました。
「我らが守護たる女神様、どうかこれからの生活を見守っていてください」
***
私が都から追放されて半年が過ぎました。
森の中での生活は案外快適で、今日も簡素なベッドから起き上がった私は伸びをします。
起きたらまず、清々しい朝日の差し込む森の広場で結界の祈りを捧げ、それから朝食の準備をします。食べ終わったら小屋の簡単な掃除。それが終われば外に出て、小さな畑に水やりをします。
「今日は薬草でも干しましょうか……」
午後はその日の状況に合わせて、家の補修を進めたり、森でキノコや果実などをカゴに摘んで集めたり、あるいはそれらを加工して保存食やジャムを作ったりと様々です。そうして夜は暖炉に火を入れ、温かなミルクティーを作って屋根にあがり、降って来そうなほど満点の星空の下でゆったりと過ごすのです。
「とてもゆっくりで、贅沢な時間です……」
ほぅ。と、ほっこりしながら星詠みなんかをしてみます。王宮にいた頃は慣れない夜会や式典などで急かされて、夜空を見上げる余裕もありませんでした。こうしていると心が落ち着きます……。
ところが、星の瞬きを指で追っていた私は、奇妙なお告げに首を傾げます。
「運命……の、来訪……あり?」
こんな人里離れた森の奥に、いったいどんな運命がやってくると言うのでしょう。
いまいち要領を得ないメッセージでしたが、読み間違いかとその場ではあまり気にしませんでした。
***
ですがその詠みは大当たりだったようで、翌朝小屋から出た私は、まさにその運命と遭遇することになるのです。
「ひゃあっ!?」
朝日が照らす中、目撃した物に思わず驚いて飛び跳ねました。庭先に血まみれの男の人が倒れていたのです。
金髪のその人は、全身がズタズタに切り裂かれ、手にした剣は途中でぽっきりと折れています。どう考えてもただ事ではありません。
「し、しっかりして下さい、死んじゃダメですよ」
私はその日の作業を全てキャンセルし、行き倒れさんをやっとのことで小屋の中へ運び入れます。私の治癒の力はとても弱い物ですが、それでも必死になって傷を塞ぎ、足りない分は薬草で補って包帯を巻きつけます。
「う……」
懸命な治療の甲斐あってか、男の人は夜更けにフッと目を覚ましました。ベッドにもたれてウトウトしていた私は、彼が動く気配に起きて目をこすります。
「生きて……る? 俺は、」
「良かった、気が付いたんですね。痛みの激しいところはありませんか? お名前は?」
そう尋ねるのですが、こちらをジロリと睨みつけた彼は、一度小屋の中を見回します。そしてそのままベッドから降り、足を引きずりながらそのまま出て行こうとします。
「う、動いちゃダメですよ。けっこう傷が深くて」
「……誰の差し金だ?」
質問の意図が分からなくて黙り込んでいると、ギラリと憎しみのこもった目を向けられます。
「親切に見せかけて俺を殺るつもりなんだろう。もう俺は誰も信用しないと決めたんだ、諦めてくれ」
「ちが、違……私はそんな」
「そうか無関係ならすまないな。ここで会ったことは忘れてくれ。これで足りるか」
無造作に引き抜いた指輪を彼はこちらの手の中に落とします。それは緻密な細工が美しく、宝石が何種類か付けられていて一目見て高価な物だと分かりました。私はぎょっとして彼とそれを何度も見比べます。
「えっ、あのっ、これ」
「剣はどこだ……俺は今どの辺りに……」
そのまま出て行こうとする彼を、私は思わず後ろからしがみついて止めていました。
「やめーっ!」
「なっ……うわっ」
予想外の方向からの攻撃に、男の人はあっさりベッドに投げ出されます。ポカンとする彼を見下ろして、私は腰に手をあて叱りつけました。
「少しは話を聞いてください! あなたに何があったかは知りませんし、私は全くの無関係です!」
ベッドの側に膝を着いた私は、先ほど渡された指輪を彼の手に戻してギュッと握らせます。
「ただ目の前で倒れていたから介抱しただけですよ。これはご自分で持っていて下さい、大切な物なんでしょう?」
しばらくその指輪をジッと見つめていた男性は、一度深く目を瞑ります。どれだけの時間が過ぎたでしょう、次に顔を上げた彼は、先ほどよりはだいぶ落ち着いた表情になっていました。
「……すまなかった、恩人に対してずいぶんな無礼を」
「いいんですよ。気が付いて知らない場所に居たら誰だって驚きますよね。安心してください、小さいですけどここは結界を張ってるので、悪意のある者は近寄れませんから」
何やら『訳アリ』のようですが、素直に謝れるところを見ると悪い人ではなさそうです。その行き倒れさんは私の言葉に少しだけ目を見開きました。
「結界? そうだ傷も……。君はまさか」
「はい。コレットと申します。一応元聖女なので簡単な術でしたら使えるんです」
隠すことでも無いかと、私は自分の身の上を明かしました。聖女をクビになったなんて普通の人なら眉をひそめても当然なのに、男の人は軽蔑することなく名乗ってくれます。
「なるほど……。助けてくれてありがとう、俺のことは……ノアと呼んでくれ」
「ノアさんですね」
「コレット嬢」
痛む身体をおして居ずまいを正したノアさんは、真剣な顔をしてこう願い出ました。
「厚かましい願いだが、傷が癒えるまで俺をここに置いて貰えないだろうか? もちろん君に危害は一切加えない。身体が動くようになったら仕事も手伝う。だからどうか、頼む」
頭を下げようとする彼を、私は慌てて手で抑えます。
「そんな、最初からそのつもりでしたよ。どうか気の済むまで居てください」
***
ノアさんは元々体力のある方なのか、療養を始めると素晴らしいスピードで回復して行きました。1週間も経つころにはベッドから出られるようになったので、庭や森の中を一緒にゆっくりとお散歩します。
「しかし、よくこんな森の中で女性一人で生活できるものだ」
「ふふふ、結界もあるし結構なんとかなるものですよ。卵はニワトリから分けて貰えますし、お肉や乳製品、あと生活に必要な物なんかは、たまに来る行商人さんにお野菜と交換して貰えますから」
身体が動くようになってきたノアさんは、畑仕事や家の修繕なども手伝って下さるようになりました。水やりが終わったところで、私は指を祈りの形に組みます。
「我らが守護たる女神様、大地に恵みをお与え下さい」
文言を唱えると、私の額辺りにポワッとオレンジ色の光が出現し、パッと散ったそれらは畑へと降り注ぎます。癒しの力も結界の力もほとんど使えないダメ聖女の私ですが、唯一、この豊穣の祈りだけは得意でした。ムクムクと急成長したカボチャが実を結びます。
「これは……すごい力だ」
「えへへ、カイル王子には地味すぎるって言われちゃいましたけどね」
「そんなことない、素晴らしい能力だ。コレット、君はすごい聖女だよ!」
手放しで褒めてくれる姿に、私は頬が熱くなってしまいます。照れて視線を落としながら素直に気持ちを伝えます。
「うれしいです。いつも役立たずって言われて来たから」
「いや、たとえ能力が無くても君は誰よりも聖女にふさわしいと俺は思う。あれだけ懸命に見ず知らずの行き倒れを介抱するなんて誰にでもできる事じゃない。看病してくれた姿が俺には天使に見えたんだ」
あまりにも真っ直ぐに言われる物だから、私はぷしゅうと蒸気でも吹き出しそうな顔を隠しながら答えます。
「ほ、褒めすぎです……ノアさんみたいにカッコいい人に言われたら私……その、勘違いしてしまいそう……」
「え? ……えっ!?」
何だか気恥ずかしくて、お互いの間にむず痒い空気が流れます。その時、木の枝から降りてきた太っちょのリスが盛大に転び、抱えていたクルミごとズベシャァと地面を擦りました。その様子がおかしくておかしくて、私たちは逃げていく彼を見送りながらしばらく笑い続けたのでした。
空気が和んだおかげでしょうか、私たちはいつも通りに戻ります。
「あの、午後は屋根の修理をお願いしてもいいですか?」
「もちろん。寝ている時に鼻に雨漏りが当たるのはもう御免だからな」
彼といるとホッとできて、自然体でいられます。そう、いつの間にか私は、彼がいる生活が当たり前のように感じてしまっていたのです。
***
それから少しだけ時は流れ、私がノアさんと出会ってから一月と半分ほどが過ぎました。季節は野ばらが咲き誇る初夏に差し掛かります。
使い終わった包帯を巻き取りながら、私は静かに伝えました。
「もうほとんど完治ですね。すごい生命力です、血まみれで倒れ込んできたのが嘘のよう」
ノアさんは、もうどこをとっても健康体です。本当に良かったと思う反面、どこか切ない気持ちが胸を占めます。この言葉を言えば行ってしまうのかなと思いながら、それでも引き留めるわけにはいかないと私は告げました。
「これにて治療は終了です。もう……大丈夫ですよ」
ちゃんと笑えているでしょうか。泣いて困らせたくはないので、心を水平に保ちます。
自分の手をジッと見つめていたノアさんは、少しだけ目を細めるとこう問いかけました。
「君は……こちらの事情を何も聞かないんだな」
それは、血まみれで倒れていた事でしょうか。確かに、どう見ても訳アリではありました。ですが、
「……誰にでも聞かれたくない事ってあります。だから私は、ノアさんから話してくれるまで待とうと考えていました」
それに――と、にっこり笑った私は、彼を受け入れた最大の理由を打ち明けました。
「あなたが悪い人でないのは分かっていましたから。だって、もしそうなら結界を抜けてここまでたどり着けないはずでしょう?」
つられて少し笑い返した彼は、表情を引き締めると覚悟を決めたかのように口を開きました。
「今までありがとう。屋根の修理が終わったら俺はここを出て行こうと思う。故郷でけりをつけなければいけない事があるんだ」
「ノアさん……」
心臓を冷たい手でキュッと掴まれるように感じます。ですが、彼はおもむろに私の前に跪くと、こちらの手をとり、まるで騎士のように誓いを立てたのです。
「コレット。全てが片付いたら君を迎えに来てもいいだろうか。その時こそ俺は、本当の事を明かすと誓う」
俺の想いも。と続けられた言葉に、視界はじわりと滲んでいきました。それをグッと呑み込み、包み込むように手を重ねた私は『いってらっしゃい』の祝福を贈ります。
「きっと大丈夫です、ぜんぶ上手くいきます。私はいつまでもここで待っていますから」
***
そして季節は巡り、私が森に住み始めて一年が経とうかという秋になりました。
いつも物々交換をしに来てくれる行商人のおじいさんが、野菜と引き換えに銀貨のずっしり入った袋を手渡してくれます。
「えっ、多いですよ。こんなに貰えません」
「いやいや、これでも安いぐらいだよ。今年は妙な事にどこも凶作でなぁ……」
聞けば天候などは問題ないのにどこの畑も実りが悪く、特に小麦は実がスカスカで平民はパンも焼けずに困窮しているのだとか。
(何が起こっているの?)
その夜、気まぐれに星詠みをしてみた私は目を見開きます。
「災難……が、迫り……くる」
ブルリと震え、隣に『彼』がいないことに心細さを感じます。いいえ、私は待つと決めたのです。それに結界があるので大丈夫なはず……。
そう考えていた私の希望は、儚くも打ち砕かれました。
「よぉぉ、コレット久しぶりだな。なんだ、行き倒れてるかと思ったが案外元気そうじゃないか」
翌朝、庭先に現れた一団に私は言葉を失います。一年前、ここに私を捨てたカイル王子は、ニヤニヤと笑いながらこう告げました。
「喜べ、お前の謹慎は解かれた。側妃にしてやるので戻って来い」
そこで私はようやく気付いたのです。聖女の結界とは『悪意ある者をはじく』もの。この場合、カイル王子に悪意は本当になく、良かれと思ったからここまで踏み込めたのでしょう。急に迎えに来られた私は、青ざめながら昨日の行商人さんの話を思い出します。
「それ……は、もしかして、この国が凶作に陥っている事と関係がありますか?」
「フン、お前は能無しだが豊穣の祈りだけはまぁまぁ使えたからな」
私はギュッと拳を握りしめ、震える声で尋ねます。
「アイラ様は、現聖女様はどうなったのです」
「……アイラは身籠ってそれどころではないのだ。連れていけ」
両脇に立った兵士さんが、私をがっちりと掴むと待たせていた馬車へと連行していきます。
最後にふり返ると、ささやかな畑は無残にも踏み荒らされていました。力では到底かなわないことを知っている私は、穏やかで幸せだった日常が遠ざかっていくのをただ見送ることしかできませんでした。
***
王宮に戻されて一週間。私は純白の聖女服を着せられ玉座の前で跪いていました。元婚約者の隣には美しく着飾ったアイラ様も隣にいらっしゃいます。
「よくぞ戻った第二聖女コレットよ。我が国の状況を鑑みて、貴様には特別に恩赦を与えた。その事をよくよく心に留め、アイラの補佐として――」
「……」
カイル王子――いえ、この一年で前王が退位されたのでカイル王です――の言葉が心の中を虚しく通り過ぎていきます。
(飢饉でこの国が苦しんでいるのは事実。罪のない平民たちの為にも、私は聖女として力を発揮しなければ)
「ついては、第二聖女コレットを側妃として――」
「っ、」
聞こえてきた単語に、ドクッと嫌な鼓動が胸を穿ちます。震えながら胸に手をあてた私は申し出ました。
「お、畏れながら陛下。私に側妃は荷が重くございます。祈りのお勤めは果たしますので、寵愛はどうかそのままアイラ様にだけ注がれますよう……」
それを聞いたカイル様は、少し怪訝な顔をしましたがすぐに納得して下さいました。
「なんだ、怖気づいたか? まぁいい、ではさっそく責務を果たせ」
「はい」
立ち上がった私は、いつものように指を祈りの形に組みます。文言を唱える間、どうしても脳裏に浮かぶのはあの人の優しい笑顔でした。
――そんなことない、素晴らしい能力だ。コレット、君はすごい聖女だよ!
(ノアさん……待つと言ったのに、ごめんなさい)
その時、広間がざわりとどよめきます。何事かと目を開けた私は目を見開きました。
「え……」
豊穣の祈りを示す温かな光が、各地へ飛ばず頭上を旋回し続けているのです。解き放たれないそれを見て、宮廷付きの学者さんが狼狽したように叫びます。
「こ、これはなんとゆゆしき事態! コレット殿の忠義は、もはやこの国にはありませぬ!」
「えっ、嘘です! 私、そんな――」
「いいえ。聖女とは誰か特別な人が出来ると、《《その者の為》》でなければ力が発揮できなくなるのです。ゆえに、王族との婚約を義務付けられているのですぞ!」
伏せられていた事実に私が息を呑むのと同時に、カイル様が憤怒して立ち上がります。近場にあったテーブルを腹立ちまぎれに蹴り倒すと、私の方へ降りてきて手首をグイとひねり上げました。
「痛っ……!」
「男を知ったな! この売女め!」
「違います! どうして……」
本能的な危機を感じ、腕を引こうとするのですがビクともしません。逆にグイグイと引っ張られどこかへと連れて行かれそうになります。
「お願い離して!」
「来い! 今からでも俺のモノにしてやる!」
「いやぁ!」
周囲を見ても、貴族の人たちは気まずそうに目を逸らして誰も助けてはくれません。
(誰か――!)
絶望しそうになったその時、広間の扉を開け放って一人の兵士さんが駆け込んできました。
「へ、陛下! 大変です! 突然隣国が攻めてきて、すでに国境付近は制圧されたとの伝令が!」
「なっ……!? 兵士たちは何をしていた!」
「それが皆、慢性的な食糧不足で力が出ず、応戦すらままならない状況で……」
間髪入れず、城の防衛をしている兵士さんが青い顔で飛び込んできます。
「陛下! 敵はこの城を目指し進軍中、市民の混乱を制しつつ着実に包囲しつつある模様!」
「ど、どういうことだ……何が起きている……アイラ! 結界はどうしたっ」
「ヒッ……!! や、やっております、あれっ? どうしてぇ!?」
「こ、このぉ、役立たずめ!」
一気に青ざめたアイラ様は、急に泣き崩れます。突然の展開に、私はあっけにとられることしかできません。
その時、広間の外がにわかに騒がしくなり、悲鳴が聞こえてきます。震えあがる皆の視線の先で扉がゆっくりと開かれていきました。颯爽と登場した武装集団は堂々とした立ち振る舞いで中へと進んできます。その先頭の男性を見た私は自分の目が信じられませんでした。
「ノア……さん?」
精悍で優し気な顔つきは、あの森で見た物とまったく同じものでした。ただ、あの時と違うのは、彼が立派な服に身を包み、背後にたくさんの騎士様を従えていると言うこと。
腰から光り輝く剣を抜いた彼は、それを天高く掲げながら宣言をしました。
「我が名はノアフリート・ヴァルクライネ! 貴国の存亡の危機に際し、平和的侵略に来た!」
彼のフルネームを聞いた途端、周囲の人たちが畏れ慄いたように後ずさりをしました。
「ノアフリートと言えば……つい最近、政権を取り戻したと言う隣国の王子じゃないか!」
「反乱分子から追われて居たと言う?」
それだけ聞けば十分でした。目が合った私たちは引かれあうように進み出て見つめ合います。
「『やるべき事』うまくいったんですね……」
「あぁ、君のおかげだ。クーデターを犯した叔父を粛清することができた。そういえば俺の想いも伝える約束だったな」
私の前にスッと膝を着いたノアさんは、手を差し伸べこう言いました。
「コレット、約束通り迎えに来た。私の妻として、我が国へ来てくれないだろうか」
私はそこに手を重ねました。森の中で共に過ごした日々が蘇ります。
「はい。あなたとならどこへでも!」
立ち上がった彼に引き寄せられると、怒りで顔を赤くしたカイル様が指を突き立てます。
「裏切り者め、それがお前の『男』か! 平和的侵略とは何の話だ!」
愛おしそうに私を見つめていた時とは一変、冷たい一瞥を向けたノアさんはそれでも理性的にこう返しました。
「そのままの意味だ。全面降伏し、我が領土の一部となるのなら食料を今すぐにでも運び入れよう。ただし現王家を廃絶し、政権からは一切身を引くことが条件だ」
「な、な、何を勝手な……!」
「それと、コレットは裏切ってなど居ない。彼女を先に捨てたのは貴様の方だろう」
痛い所を突かれたのか、カイル様の顔から汗がダラダラと噴き出てきます。後ろで控えるアイラ様も、どうしたら良いのか分からずうろたえているようでした。
ノアさんは私を引き寄せると際立つ声で宣言を下しました。
「類まれなる豊穣のチカラを持つコレットを捨てた時点で、貴様に政治的能力が無いのは明白! 補佐でも要らん! 民の事を想えばこそ、この条件は受け入れるべきではないのか?」
「ふ、ふざけるなぁ! そんな条件呑めるかっ。戦争だ、ほらそこのお前、あの男を捕まえるんだ!! そうすればこっちの勝ちだ!」
小さな子のように地団太を踏んだカイル様は、近くにいた兵士をけしかけます。ですが誰も命令には従わず力なくうなだれるばかり。広間は妙な静けさに包まれます。
「もちろん、民のこれまでの生活は出来る限り保障する! 我が国の一部となれば聖女の加護も再び受けられるだろう。統合という形で納得できないだろうか!」
誰も、何も答えません。やがて、玉座の後ろから進み出てきたのは退位したはずの前国王でした。沈み切った顔をする彼は、私に向かって深々と頭を下げます。
「聖女コレット殿、まずは我が愚息が本当に申し訳ないことをした……何度謝罪しても足りぬ」
「あ……いえ、私はそんな」
「ノアフリート殿、この国は貴殿の提案を全面的に受け入れます。なにとぞ、国民たちには慈悲を……」
「父上!? 何をバカなことを……」
まだ何かを言いかけたカイル様でしたが、ノアさんがそれを止めます。
「いい加減にしろ。すでに一線から退いた父にここまで言わせて、何も感じないのか」
「……」
顔色を失ったカイル様は、がっくりとその場に膝を着きました。
そうして、この国は隣国へ吸収されることに決まったのです。
***
どこもかしこもお腹を減らした国を制圧するのは、小屋の雨漏りを直すより簡単だったと彼は語りました。侵略と言っても殺しなどは一切しなかったおかげか、国民たちは属国化を喜んで受け入れているようでした。
あの後、私はノアさんの祖国へと招かれ、そちらの国での聖女として就任することになりました。国を統合したおかげか、豊穣の祈りも元の国まで届くようになったようで、畑は正常に戻りつつあるようです。
「きっとコレットは、豊穣の女神のいとし子なんだろうな。だから怒った女神が罰として凶作を与えたんだと思う」
「私的には、王子から解放されてありがたくはあったんですけどね……」
苦笑いしながら、たっぷり作ったミルクティーのポットを庭のテーブルに置きます。最近作った二人掛けのチェアから身を起こしたノアさんは、お茶の準備を手伝ってくれました。焚火がパチパチと爆ぜ、彼の横顔の陰影をくっきりと浮かび上がらせます。
ここは私たちが出会った森の小屋。政治に関わるようになった今でも、二人で時間を見つけては時折こうして息抜きで遊びに来るのです。
「それにあなたに会えたから、私は幸せです」
隣にいる彼に寄りかかり、私は素直な気持ちを伝えました。
「大好きですノアさん、これからもずっと傍に居てくださいね」
それを真顔で聞いていた彼は、私が抱えていたカップを取り上げるとテーブルに置いてしまいました。どうしたのかと聞く前にぎゅぅぅと抱きしめられます。
「わ、わ、あの」
「参ったな、君といると心臓がいくつあっても足りない」
「……また治療します?」
「これは治さなくていい奴だな」
額を突き合わせた彼とフフッと笑います。
この、特別な空間は二人だけの秘密。
満天の星が瞬く空の下で、私の心はどこまでも満たされていくのでした。
おわり
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