『第35話 主人公、逃亡成功 → 古代契約の闇』
戦雲が晴れ、王国全体を包み込んでいた「推し活」の狂気から逃れるため、レオン・シュヴァルトは城下町の裏道を走っていた。
メインストリートでは、騎士や冒険者が「英雄様、推しのために頑張ってください!」と声をかけ、広場では村娘たちが「英雄様も推し契約してくださーい!」と熱狂していた。
「牛飼い娘まで『うちの牛と契約してくれへんか』って迫ってきよる。家畜婚って、古代エジプトの牛信仰か! 冗談やないわ!」
レオンは、もはや戦場を駆け抜けるよりも速いペースで、人目につかない場所を探して駆け抜けていた。
(この世界、マジで終わってるわ。ただでさえ、自動求婚モードとかいうふざけたUIで婚約待機列ができるのに、騎士団長まで“推し嫁支援バフ”とか言い出す始末や。このままじゃ、マジで社会全体が恋愛バフで機能停止や!)
彼の頭の中は、今後の逃亡計画でいっぱいだった。
どこかの小国に逃げ込むか、あるいはこの世界から完全にログアウトする方法を探すか。そんな思考にふけりながら、レオンは人気のない、苔むした廃寺院に辿り着いた。
「ふぅ……ようやく一息つけるわ」
レオンは、寺院の朽ちた壁に背を預け、大きく息を吐いた。
だが、安堵もつかの間、彼の視線が壁に刻まれた古代の文字に止まった。
それは、ルーン文字や象形文字が入り混じった、不気味な碑文だった。
壁の向こうから、低い囁き声が聞こえるような気がした。
「なんやこれ…古代の契約書か? なんでこんなとこに…」
その瞬間、彼の右目の端に、勝手にUIがポップアップした。
【古代契約ログ:人格融合事故/サンプル保存】
【融合率:92%】
【混線結果:“私も、あなたも、私になる”】
レオンは思わずゾッと背筋を震わせた。
その言葉が現実になったかのように、彼の脳裏に、断片的な記憶が流れ込んできた。
それは、自分のものじゃない、複数の声が同時に重なり、混乱した叫び声のように響く感覚だった。
《誰が、自分だ?》
《私はあなた、あなたは私、そして私は、あなた…》
レオンの顔に、見知らぬ他人の顔が薄く重なる錯覚がした。
彼の口から、自分の意志とは関係なく、知らない名前が漏れそうになる。
壁に刻まれた古代文字が、不気味に淡く光り、滲み出すようだった。
「違う!違う…!」
彼は頭を押さえて耐え忍んだ。数秒後、フラッシュバックが収まると、冷や汗が全身から噴き出していた。
「これは…ただの“バフ”やない。古代から続く魂共有の儀式や…!」
レオンは、脳裏に残ったゾッとする感覚を元に、この世界のシステムの本質に気づいた。
彼が知っているゲームシステムとは、根本的に違う。
これは、他者の魂を自らの魂に融合させる、禁忌の魔法だった。
「中世ヨーロッパでも、『婚姻は家と家を一体化させる契約』やった。文字通り、魂まで一体化させたら、もう人間やなくてただの制度の部品やんけ!」
「これ、神々をまとめて祀ったら逆に信仰が崩壊したパターンやんけ!魂を共有させたら、人格ごと崩壊してまう!」
レオンは、これまでのギャグみたいな婚約茶番が、実は魂を侵食される危険な儀式だったと悟り、絶望的な気分になった。
その時、廃寺院の床に刻まれた契約陣が、不気味な光を放ち始めた。
UIがけたたましい音を立てて警告を発する。
【警告:逃亡者フラグ検出】
【契約追跡システム:起動】
【魂拘束率:12% → 36% → 58%】
「やばいやばいやばい! これもう社畜時代の“強制残業システム”やん! ログアウト不可やんけ!」
レオンはパニックになった。
まるで魂のコードを強制的に読み取られ、どこかに引きずり込まれるような感覚だった。
彼はとっさに持っていた剣で契約陣を滅茶苦茶に破壊した。
パリン、とガラスが割れるような音がして、UIの警告表示が消える。
だが、レオンの魂には、たしかに「魂の一部」を削られたような、激しい痛みが残っていた。
彼は肩で息をしながら、壁にもたれかかった。
「……逃げなあかん理由、これで分かったやろ。俺はもう二度と、魂の声が自分以外に混じるのを聞きたくない」
誰かに見られているような、奇妙な視線を感じる。
この逃亡劇すら、誰かのログに残されているんやないか…?
「契約ってのは、愛やなくて魂の監禁や…」
彼の右目のUIに、最後の表示が浮かび上がる。
【契約監査ログ:逃亡者レオン・シュヴァルトを追跡中】
【読者=監視者フラグが点灯しました】
廃寺院から外に出ると、村の入り口にある石碑に、見慣れない古代文字が刻まれているのが見えた。
ざまぁ格言:
「逃げた者が裏切り者になる時代は終わった。魂まで契約される時代、逃げる者こそ最後の自由人だ」
「俺は逃亡者やない。魂まで会社に差し出さんだけの、ただの人間や」




