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第26話『史実に学べ、勝利の法則』

【偽りの勝利、本物の情報】


野営地は、勝利の熱狂に包まれていた。

兵士たちは酒を酌み交わし、昨日の戦果を語り合っている。

だが、俺――レオン・シュヴァルトの心は、凍てつくほどに冷静だった。


前回の戦いで捕らえた敵の補給部隊の将校、ハインリヒ・フォン・ベルクが、俺の前で震えていた。

拷問など必要ない。

俺が知りたいのは、軍事機密ではなく、もっと単純で、それゆえに致命的な情報だった。


「ゲオルグ元帥閣下の一日の過ごし方を、詳しく教えてもらおう」


ハインリヒは困惑した表情を浮かべた。

「は、はあ……? 軍事機密ではなく、そのような……?」


「そうだ。閣下は何時に起床し、何時に食事を取り、何時に軍議を開く? 特に、午後の時間帯の行動パターンを詳しく聞かせてもらいたい」


俺の真剣な眼差しに押され、ハインリヒは口を開いた。


「閣下は……非常に規則正しいお方です。毎日午後3時になると、必ず本陣の天幕で地図を広げ、ヴィンテージワインを飲みながら戦況を確認されます。その時間だけは、誰も立ち入りを許されません。閣下の『聖なる時間』と呼ばれているのです」


(……ビンゴだ)


俺は内心で快哉を叫んだ。

前世のビジネス経験で学んだことがある。

どんな優秀な人間でも、必ず「習慣」という弱点を持っている。

その習慣こそが、最大の隙となるのだ。


「その天幕の位置は?」


「本陣の中央、最も安全な場所です。周囲には親衛隊が警備についており、まさに鉄壁の……」


俺は手を上げて彼の言葉を遮った。


「十分だ。ありがとう、ハインリヒ。君の情報は、非常に価値があった」


次に俺が向かったのは、押収した物資の山だった。

食料、酒、水、そして何より重要な「輸送記録」。

前世で物流会社に勤めていた経験が、ここで活かされる。


消費される食料の量から兵士の数を割り出し、ワインの種類から将校の階級を推測し、水の消費量から馬の頭数まで計算する。

数字は嘘をつかない。そして、その数字が示すものは――


(敵本陣の正確な位置と、そこにいる兵力の詳細だ)


俺は地図に赤いピンを刺した。ゲオルグ元帥の首がある、その正確な座標を。


【天候の読み、地の利の掌握】


翌朝、俺は地元出身の兵士、トーマス・ミュラーを呼び出した。

彼は農民出身で、この土地の気候を知り尽くしている男だった。


「トーマス、この谷の天候について聞きたいことがある」


「はい、軍師殿。何でございましょう?」


「午後になると、この一帯に霧が出ることがあるか?」


トーマスの顔が明るくなった。


「ああ、それなら! 毎日午後2時頃になると、北の山から谷に向かって、まるで川のように濃い霧が流れてきます。地元では『山の吐息』と呼んでいるんです。視界は3メートル先も見えなくなりますよ」


「その霧は、どのくらい続く?」


「だいたい2時間ほどでしょうか。午後4時頃には晴れ上がります」


完璧だった。

ゲオルグ元帥の「聖なる時間」である午後3時は、まさに霧が最も濃くなる時刻と重なっている。


俺はさらに、軍の書記官に命じて、この地域の古い記録を調べさせた。

案の定、過去50年間の気象記録にも、同じパターンが記されていた。

これは偶然ではなく、この土地特有の地形が生み出す、確実な自然現象だったのだ。


(天候を味方につける――これこそが、桶狭間の本質だ)


俺は司令部のテントに将校たちを集めた。


「今から、敵本陣を直接強襲する」


その一言に、テント内は水を打ったように静まり返った。


「軍師殿、正気ですか!? 敵本陣には、我が軍の数倍の兵力が……」


「自殺行為です!」


俺は、壁に貼られた地図の一点を指さした。


「敵の本陣は、ここだ。そして明日の午後3時、この一帯は必ず濃霧に包まれる。視界は、数メートル先も見えなくなる」


将校の一人が眉をひそめた。


「しかし、それは我々にとっても不利では……?」


「いや、逆だ」俺は静かに続けた。


「大軍は、時に最大の弱点となる。彼らは、自分たちの数が最強の城壁だと信じ込んでいる。まさか、その心臓部が直接狙われるとは夢にも思っていない」


俺は地図上の山間部を指でなぞった。


「この地形を見ろ。北の高台から谷底の本陣まで、一本の細い道がある。霧に紛れれば、我々は敵の警戒網を完全に回避できる。そして、ゲオルグ元帥が一人でワインを飲んでいる、まさにその瞬間を狙い撃つ」


俺は将校たちの顔を見回した。


「これは、織田信長が今川義元を討った『桶狭間』と同じ戦法だ。少数精鋭で敵の本陣を急襲し、大将の首を取る。兵力差など、関係ない」


【霧中の進軍、忍び寄る死神】


翌日の午後2時。

俺の予測通り、世界は深い霧に包まれ始めた。


俺は、馬術に長けた者だけを選抜した30騎の精鋭部隊を率いていた。

全員が黒い外套を身にまとい、馬の蹄には布を巻いて音を消している。

まるで死神の軍団のようだった。


「全員、俺の後について来い。目標は一つ、ゲオルグ元帥の首だ。他の敵兵との交戦は避けろ。見つかったら、即座に離脱する」


霧の中を進む緊張感は、筆舌に尽くしがたいものだった。

遠くから聞こえる敵兵の話し声、馬のいななき、金属音。

しかし、その姿は全く見えない。俺たちは、まるで幽霊のように、音だけの世界を進んでいく。


途中、敵の歩哨兵とすれ違った。

彼らは俺たちの存在に全く気づかず、「この霧じゃ何も見えねえな」と愚痴をこぼしながら通り過ぎていく。

俺たちは息を殺し、彼らが完全に立ち去るまで待った。


さらに進むと、大軍の喧騒が聞こえてきた。

数千の兵士たちが立てる音の壁。

しかし、霧のおかげで、その巨大な軍勢の姿は全く見えない。

俺たちは、まるで別次元を移動しているかのように、その音の海を静かに横切っていく。


「軍師殿……」部下の一人が震え声で囁いた。「本当に、こんなことが可能なのでしょうか……?」


俺は振り返らずに答えた。


「霧は、弱者を強者に変える魔法だ。今の俺たちは、透明人間と同じ。恐れるな」


やがて、霧の向こうに巨大な影が見えてきた。

カザリナ軍の本陣を示す、豪華な天幕群だった。


【慢心と油断、本陣の宴】


その頃、ゲオルグ元帥は本陣の天幕で、上機嫌だった。


「ふふふ……あの若造、レオン・シュヴァルトとやらが、小細工を弄しているようだが……」


彼は手にしたヴィンテージワインを優雅に傾けながら、地図を眺めていた。

地図上には、エルグレイス軍の推定位置が赤いピンで示されている。


「所詮は小勢。正面から来れば、我が軍の物量で押し潰す。奇策を弄そうとも、この霧では自分たちも身動きが取れまい。まさに、袋の鼠よ」


天幕の外では、親衛隊の兵士たちが警備についていたが、彼らもまた油断しきっていた。


「こんな霧の中、敵が攻めてくるわけがない」


「元帥閣下の本陣まで辿り着けるものなら、やってみろってんだ」


彼らは笑いながら、酒を回し飲みしている。

まさか、その時すでに、死神が目と鼻の先まで迫っているとは、夢にも思わずに。


ゲオルグ元帥は、ワインを一口飲み、満足げにため息をついた。


「明日には王都への進軍を開始する。エルグレイス王国など、ひと月もあれば陥落させられよう。そうすれば、私は英雄として歴史に名を残す……」


その時だった。

天幕の外から、かすかな金属音が聞こえた。


【神速の一撃、王の首級】


「奇襲だ! 敵襲ーっ!」


警備兵の絶叫が霧の中に響いた時、すでに遅かった。


俺たちの騎馬隊は、霧の中から突如として現れた黒い稲妻のように、敵本陣へと殺到した。

親衛隊の兵士たちは、何が起きているのか理解できず、右往左往するばかりだった。


「何だ!? どこから来た!?」


「敵はどこにいる!? 見えない!」


混乱の中、俺たちは一直線に中央の天幕を目指した。

他の小競り合いには目もくれず、ただひたすら目標に向かって突進する。

これが、奇襲の鉄則だった。


天幕を切り裂くと、そこには信じられないものを見るかのように、呆然と立ち尽くすゲオルグ元帥の姿があった。

手には、まだワインのグラスが握られている。


「馬鹿な……なぜ、お前たちがここに……この霧の中を……」


俺は馬上から彼を見下ろした。


「ゲオルグ元帥。あなたの『聖なる時間』は、終わりだ」


剣を振り下ろす。

それが、カザリナ軍総大将の最期だった。


「総大将討ち取ったり! ゲオルグ元帥、討死!」


俺の声が霧の中に響くと、カザリナ軍は完全に統率を失った。

大将を失った軍隊は、もはや軍隊ではない。ただの烏合の衆に過ぎなかった。


【遊びは、ここまでだ】


エルグレイス王国軍、奇跡の大勝利。

その報は、瞬く間に王都へと届けられた。


王宮では、セレスティア王女が勝利の報告を聞いて、安堵の表情を浮かべていた。


「やはり、レオン様なら……。最初から、勝って当然だと思っていました」


その言葉には、絶対的な信頼と、ほのかな恋心が込められていた。


だが、その数日後。

カザリナ王国の首都では、新たな王の即位式が粛々と執り行われていた。

玉座に座ったのは、ゲオルグ元帥の死を冷ややかに見届けた男――宰相アルベリヒだった。


彼は、エルグレイス王国の方角を見つめ、氷のような笑みを浮かべた。


「ゲオルグ元帥、お疲れ様でした。あなたの死は、我が国に『復讐』という、最高の大義名分を与えてくれました」


彼の隣に控える、新たな軍師――黒衣の男が、静かに頭を下げた。


「アルベリヒ陛下。あの若造、レオン・シュヴァルトは、どう処置いたしますか?」


アルベリヒの手が、わずかに震えていた。


「あの若造……まさか、本物か……」


風が、東の森から吹いた。


「殺してはならん。彼は、最高の『玩具』だ。存分に、遊ばせてもらおうではないか」

「『桶狭間』か……。死に損なった信長の真似事など、させておけばよい。だが、忘れるな。戦とは、将棋と同じ。最後に王を詰ませた者が、勝者なのだ」


本当の戦いは、まだ始まってもいなかった。

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今日のざまぁ格言:


『最も安全な場所とは、最も油断が生まれる場所のことである』

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