第25話『社畜は軍師になった』
【臨時軍師、着任】
最前線の野営地に立ち込める空気は、鉄と泥、そして濃厚な「絶望」の匂いがした。
俺――レオン・シュヴァルトの目に映る兵士たちの顔に、希望の色はない。
あるのは、指揮系統の崩壊がもたらした、致命的な混乱だけだ。
作戦司令部のテントに足を踏み入れると、案の定、歴戦の将校たちが、俺の存在そのものを嘲笑っていた。
「史上最年少の臨時軍師、だと? 陛下もご乱心か。童の遊戯に、国の命運を賭けるとはな」
「敵は明朝にも総攻撃を仕掛けてくる。もはや、これまでか……」
報告書は山と積まれ、誰もそれに手を付けようとしない。
典型的な、プロジェクト炎上現場の光景だ。
俺は、その喧騒の中心にいる伝令係の将校に、静かに声をかけた。
「指揮権の話は後だ。それよりまず、伝令を切り替えろ。全区画に、上位命令の末尾に必ず“発信時刻”を入れて再送させろ。さもないと、また同じ場所に、矛盾した命令書が三通届くことになるぞ」
その一言で、テント内のざわめきが、一瞬だけ止まった。
俺を侮っていた将校の一人が、目を見開く。彼の手元には、まさに、時刻も発信元もバラバラな、三通の命令書が握られていた。
【混乱の中の論理】
その夜、俺は一人、司令部の片隅で、膨大な資料と格闘していた。
地形図、兵員リスト、装備の損耗率、兵糧の残数……。将校たちが匙を投げた情報を、俺は前世で培ったスキルで、猛烈な勢いで整理し、再構築していく。
(戦力は、敵の三分の一。兵の士気は最低。命令系統は、機能不全……これって、完全に炎上中のプロジェクト体制そのものじゃないか。各部署がバラバラに動いて、責任のなすりつけ合いが始まる直前の、あの空気だ)
普通の軍師なら、絶望的な状況だろう。
だが、俺の脳裏に浮かんだのは、前世で何度も経験した光景だった。
(納期目前、仕様変更の嵐、やる気のないチームメンバー……同じじゃないか)
ならば、やることは一つ。
「崩れていることを、前提に動かす」
俺は、広げた地図の上に、駒を置いていく。
中央に配置するのは、あえて練度の低い、敗走に慣れた部隊。彼らの役目は「負けること」だ。
両翼には、この地の地形を熟知した古参兵たちを、森の影と渓谷に、息を潜めるように配置する。
そして、後方。敵の視界から完全に外れた丘陵地帯に、火薬と油を運ばせた少数精鋭の「火計部隊」を潜ませた。
「カンナエの戦い……いや、違うな」
俺は、完成した布陣図を見て、自嘲気味に呟いた。
「これは、**“ブラック企業式・絶望包囲陣”**だ」
【三段構えの罠】
夜が明ける。
カザリナ軍の鬨の声が、大地を揺るがした。
敵の将軍は、高台から俺たちの布陣を見て、勝ち誇ったように笑った。
「見ろ、敵の中央は、まるで素人のように薄い! 恐慌のあまり、陣形すら組めぬと見える! 全軍、中央を突破し、一気に敵将の首を獲れ!」
敵は、俺たちの脆弱な中央部隊を目がけ、雪崩を打って突撃してくる。まさに、計算通り。
「退け! 退けーっ!」
中央部隊は、見事なまでに「無様に」敗走を始めた。
敵は、勝利を確信し、面白いように俺たちの陣の奥深くへと誘い込まれていく。
敵将が、勝ち誇った笑みを浮かべた、その瞬間。
――合図の角笛が、戦場に鳴り響いた。
「なっ……!?」
敵の驚愕は、歓声に変わる間もなかった。
森から、谷から、潜んでいた伏兵たちが、雄叫びと共に、敵軍の側面に牙を剥く。
鶴翼の陣が、その翼を広げ、獲物を包み込むように。
「馬鹿な! どこにこれほどの兵が!」
敵の指揮官が絶叫する。
だが、本当の絶望は、まだ始まったばかりだった。
突如、敵軍の後方で、巨大な火柱が上がった。
退路と、彼らの命綱である補給部隊が、業火に包まれる。火計部隊の仕事だ。
前進も、後退も、不可能。
完全に孤立し、三方から猛攻を受け、混乱に陥るカザリナ軍。
その光景を、高台から見下ろしていた敵の総大将が、震える声で呟いた。
「……まるで、ハンニバルだ。我々は、罠に嵌められたのか。あの、若造一人に……」
【夜、静かな勝者】
戦いが終わった時、戦場には静寂だけが残されていた。
崩壊寸前だったはずの我が軍が、圧倒的兵力差を覆し、歴史的な大勝利を収めた瞬間だった。
兵士たちは、畏敬の念のこもった視線を俺に向け、あれほど俺を侮っていた将校たちは、悔恨と驚愕に顔を歪ませ、言葉を失っていた。
その夜。
一人、司令部のテントで、戦後処理の報告書をまとめていた俺の元に、静かな足音が近づいた。
セレスティアだった。
彼女は、俺の前に、温かい紅茶の入ったカップをそっと置く。
「……お疲れ様、レオン。私たちの、軍師様」
その声には、からかうような響きと、隠しきれない安徳が滲んでいた。
「あなたの“地図”は、本当に、未来を変えたのね」
彼女は、壁に貼られた、無数の書き込みのある地図を見つめて言った。
俺は、立ち昇る湯気を見つめながら、静かに答える。
「地図ってのは、目印があるから意味があるんだ。どこへ向かうべきか、示してくれるからな」
夜の虫の声が、テントの外から微かに聞こえてくる。しばしの沈黙。
俺は、カップから顔を上げ、彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
「……あんたも、俺にとっての、道標なのかもしれないな」
その言葉に、セレスティアは、一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。
そして、次の瞬間、月の光よりも優しい、はにかんだような笑みを、その唇に浮かべたのだった。
今日のざまぁ格言:
『無能な上司ほど、「前例がない」を理由に、自ら墓穴を掘る』




