第15章:帰郷、そして旅立ち
それは、旅の終わりであり、始まりでもあった。
新世界樹〈エル・リュミエル〉が芽吹いてから、ちょうど一ヶ月。王都フィルディナでは祝祭が続いていた。
世界中から旅人が集い、王宮広場には市場が立ち並び、街には歌と笑いが溢れている。
だが、その喧騒の裏で——ひとつの別れが、静かに始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
「……そろそろだな」
世界樹の根元に立つ拓実は、深呼吸をひとつした。
利奈が、光る計測器を片手に近づいてくる。
「観測データは一致。新世界樹の“選定機能”が働いたようね。“異界から来た者の帰還条件”を満たしたあなたに、門が開かれる」
「つまり……“学び終えた”ってことか」
「ええ。世界が、あなたの帰還を認めた」
そう言って、利奈はすっと一歩引く。
代わって歩み寄ってきたのは、雄介だった。
「なあ拓実。戻ったら、まず何がしたい?」
「……親に謝る、かな。“事故で死んだ”と思わせちゃったから」
「そっか。なら、“生きてたってこと”だけは、ちゃんと伝えないとな」
「うん……ありがとう。いろいろ教えてくれて、叱ってくれて」
雄介は笑った。
「俺は何もしてねえさ。ただ、背中を預けられる仲間が増えた。それだけで十分だ」
◆ ◆ ◆
「拓実くん……これ、持ってって」
そう言って、愛佳が小さな魔導石のペンダントを差し出す。
「私の“魔力印”を刻んでおいたの。もしまた何かあったら、使っていいから」
「ありがとう……すごく心強いよ」
「ふふん、当然でしょ?」
その後ろで、颯汰が言った。
「俺も渡したい物がある」
彼は、自分の使い込んだ手綱を差し出した。
「これは、ルゥメルの“絆の証”。竜と対話した記録でもある。“拒絶しない心”を、忘れるなよ」
拓実はそれを、両手で大事に受け取る。
◆ ◆ ◆
そして——最後に、心花が現れた。
彼女は、そっと微笑んだ。
「……ここで、お別れだね」
「うん。でも、“もう一度会える”気がする。きっと、また世界が繋がるから」
「私も、そう思ってる。だから、約束しよう?」
彼女は手を差し出す。
「“次に会うときは、並んで歩く”って」
拓実は、その手を強く握った。
「……約束する」
◆ ◆ ◆
新世界樹の根元に、光の門が開く。
その向こうには、見慣れた日本の町並みがあった。中学の制服、踏切の音、そして夕焼けに染まる坂道——あの日と変わらない景色。
「じゃあ、行ってくる」
拓実は、最後に振り返って手を振った。
全員が、それぞれの形で応えた。
そして——彼は、一歩を踏み出した。
ふたたび足元がアスファルトを踏む感触に変わった瞬間、拓実は思わず立ち止まった。
目の前には、見慣れた街並みが広がっていた。
自動販売機の音。部活帰りの学生たちの笑い声。家々の窓からこぼれる明かり。見上げれば、街灯がぼんやりと夜を照らしている。
「……ただいま」
ぽつりと呟いた言葉が、自分でも驚くほど自然だった。
◆ ◆ ◆
その夜、拓実は自室の布団に寝転んでいた。
机の上には、愛佳からもらった魔導石のペンダント、颯汰の手綱、そして世界樹の葉を模したブローチが並んでいる。
スマートフォンを開くと——連絡が大量に入っていた。学校、両親、警察……事故から一ヶ月間“失踪扱い”になっていたことが記録に残っている。
「夢だった、なんて思えるわけがないな……」
枕元に手を伸ばす。
そこに置いてあったのは、一冊のノートだった。拓実がレーヴェリアで見聞きしたすべてを書き残した、旅の記録。
表紙には、たった一言——
《勇導士ノ記録》
と記されていた。
◆ ◆ ◆
次の日。
拓実は制服に袖を通し、いつもの通学路を歩いていた。
交差点で信号を待っていると、横を通りすぎる子供が手にしていたのは、小さな“フリスビー”。
——あの日のことを、思い出す。
高架歩道、秋風、突き飛ばされた少年、そして——落下の瞬間に広がった魔法陣。
もしあのとき、レーヴェリアに行かなければ——今の自分は、きっといなかった。
「……ありがとな、世界樹」
思わず呟いたその瞬間——風が吹いた。
柔らかな、どこか懐かしい香りのする風。
——その中に、聞き覚えのある声が、混じっていた気がした。
『……拓実——』
「……え?」
振り返る。誰もいない。だが、どこかで確かに、心花の声が聞こえた気がした。
そして、その時だった。
彼の足元に、うっすらと光が集まった。
「……これは——」
魔法陣。
淡い金色の紋様が、地面に浮かび上がる。
世界樹が開いた、“再びの門”。
——物語は、終わらない。
拓実は、笑った。
「よし、もう一度だけ、行ってくるか」
そう言って、彼は再び、光の中へと飛び込んだ。
旅は続く。
信じ合う仲間と共に。
(第15章 完・シリーズ完結)