第13章:世界樹の崩壊
——それは、音もなく始まった。
グラムの敗北から数分後。地響きも咆哮もなかった。ただ、大樹アムニエルの頂に咲いていた最後の葉が、静かに、まるで使命を終えたように空へと舞った。
そして、世界樹の幹に、亀裂が走った。
「……待って、これ……」
レクシーが気づいた。
「源晶の力を戻したのに、崩壊が……止まってない……?」
「ありえない……! 儀式は正しく再起動したはず……!」
利奈が、冷たい汗を流しながらデバイスを走らせる。
「でも、読み間違いはない。世界樹は、もはや“自らの死”を望んでる……!」
その言葉に、誰もが言葉を失った。
空は次第に曇り、魔瘴が地表へ染み出していく。王都フィルディナの空も黒く染まり始めていた。
「……ねえ、じゃあ……もう、終わりなの?」
愛佳の声が震える。
「違う」
利奈が、まっすぐ前を見据えていた。
「“この樹が崩れること”は避けられない。けれど——“次の樹を芽吹かせる可能性”なら、計算できる」
「次の……?」
「七つの源晶に、仲間全員の魔力を加算すれば、“新たな魔素構造体”の生成条件を満たす。問題は、誰が魔力の起点になるか。誰の信頼を媒介に、束ねるか」
その視線が、拓実に向けられた。
◆ ◆ ◆
「……俺が、“媒介”になる?」
「あなたは全員から“信頼”されている。誤解や衝突を経て、なお中心に立ち続けてきた。“拓実なら繋がる”と、私は判断する」
レクシーが、そっと微笑む。
「あなたには、“誰かを信じる勇気”がある。それが、新世界樹を芽吹かせる鍵になる」
「……正直、怖いよ。うまくいかなかったら、全部無駄になる。でも——」
拓実は剣を地面に突き立てた。
「でも俺は、一人じゃない。“全員の力を信じて”、未来を作る方を選ぶ」
◆ ◆ ◆
巨大な魔法陣が世界樹の根元に展開される。
拓実を中心に、仲間たちが円陣を組んだ。
「魔力接続、開始」
利奈が宣言する。
「最終連結点、拓実。すべての意志、すべての祈り、ここに束ねられる」
拓実の脳裏に、仲間の声が響く。
——〈怒るけどさ、アンタのこと、ずっと信じてた〉(愛佳)
——〈お前の後ろで戦えて、誇らしい〉(雄介)
——〈命を預ける価値、あるよ〉(颯汰)
——〈もう、独りで抱え込まないでね〉(心花)
——〈君の努力は、私たちが一番知ってる〉(レクシー)
——〈“記録”だけじゃない。“信頼”は実績だ〉(利奈)
全員の魔力が、一筋の光となって拓実の胸に集う。
そして——
拓実は、叫んだ。
「芽吹け! 新たな命を! ……世界樹〈エル・リュミエル〉よ!」
その瞬間、崩壊する旧世界樹の中心から、まばゆい新芽が突き上がった。
——世界が、再び、光に包まれた。
空が、一変した。
黒く澱んでいた雲が裂け、眩い陽光が差し込む。空中を漂っていた魔瘴は、まるで春先の霧が晴れるように消えていく。
世界樹アムニエルの巨体がゆっくりと崩れ落ちるなか——その中心に、眩く黄金に輝く“若木”がすくすくと伸びていった。
葉は瑞々しく、枝は柔らかく、それでも確かな“命の光”を放っている。
「……これが、新しい……世界樹」
心花が呟いた。
誰もが声を失い、ただその光景を見つめていた。
風が吹く。暖かく、優しい風。どこまでも広がる“再生の気配”。
レクシーが言った。
「成功だよ、拓実。これは、奇跡じゃない。みんなの力で得た、確かな成果だよ」
「……俺たちが、“世界を繋いだ”んだな」
拓実の声は、どこか遠くを見るように穏やかだった。
◆ ◆ ◆
その後、魔瘴に覆われていた大地の各地で、自然がゆっくりと戻り始めたという報告が届く。
かつて人が住めなかった赤土の高原にも緑が芽吹き、モンスターたちの暴走も静まり、王都の空からは呪霧が消えた。
王族会議では、心花の旅と仲間たちの功績が公に讃えられ、世界樹の再生とともに、「七源晶記章」が制定された。
だが、拓実たちは浮かれることもなく、静かに一堂に集まっていた。
「ようやく、終わったんだな」
颯汰が空を見上げる。
「終わり、じゃなくて。始まり、だと思うな」
愛佳が腕を組んで言った。
「“新世界樹の管理”とか、“魔素の流通再編”とか、やること山積みなんだからさ」
「それでもさ、“命が戻った”のは、何よりの成果だと思う」
優人が、素直な口調で言った。
雄介は、拓実の肩を叩いた。
「よくやったな。ここまで来られたのは、お前の踏ん張りがあったからだ」
「いや……俺は、ただ、“頼ってただけ”さ。皆がいてくれたから……」
「うん、それが“勇導士”の一番の力なんだと思う」
心花が微笑んだ。
◆ ◆ ◆
その夜。
拓実は、静まり返った世界樹の麓に立っていた。
新たに生まれた若木の幹に、掌をそっと添える。
「これで、本当に……終わったんだな」
夜風が静かに吹き抜ける。
ふと、足音がした。
振り返ると、そこに心花がいた。
「こんな夜更けに、ひとりで立ってるなんて。“一人でなんとかしたがる病”は治ってない?」
「もう大丈夫。今は、“誰かを信じる勇気”を手に入れたからな」
拓実は照れくさそうに笑った。
「じゃあ、もう少しだけ“信じてもらって”いい?」
心花がそっと手を伸ばした。
拓実は、その手を、しっかりと握り返す。
「——ありがとう、拓実」
世界に、静かな風が吹いた。
希望という名の新芽が、そっと、夜空へ向かって伸びていく。
(第13章 完)