第10章:砂漠の大図書館
〈エル=リフ〉——灼熱の風が砂粒を巻き上げる、果てしない砂漠の中心に築かれた都市。
オアシスの源泉を囲むようにして広がるこの町は、古くから「知の都」と呼ばれていた。外壁は白と金の石で築かれ、夜には星の光を反射して、空に浮かぶ鏡のように見えるという。
「うわ……これが、砂漠の都市……」
目の前に広がる光景に、拓実は言葉を失った。
気温は五十度に迫るが、街の内部は意外にも涼しい。細かい水路が石畳の下に巡らされており、熱を分散しているのだという。
「ここには、かつて“レーヴェリア最大の知識の源”とされた大図書館があったんだよ」
レクシーが淡々と語る。彼女の目は、この街に来てからどこか生き生きとしていた。
「でも、百年前の記録には載ってないんだよね?」
拓実の問いに答えたのは利奈だった。
「そう。『エル=リフ大図書館』は、王国の正式記録から意図的に消去されてる。古地図にも空白の“無指定区”があるだけ」
「……それって、黄砂の源晶を隠したため?」
「可能性は高い。問題は、その“入口”の鍵が、言語と構造両方の“死語”で封じられていること」
「つまり……読むのと、開けるの両方が難解ってことか……」
その時、アリジャ船長が陽気に声をかけてきた。
「おう、やってるか? 俺はこっちで地元の船乗りと話してみる。古文書が得意なやつもいるかもしれん!」
「船乗りが……古文書……?」
「海図と碑文は似てるんだよ! 波も言葉も、読めば流れがある。信じろ、俺を!」
「……その理屈、半分くらいしか納得できないけど、頼もしいな……」
◆ ◆ ◆
翌日、レクシーと利奈は中央広場の地下、かつて神殿の文庫があったという地点にいた。
二人の前には、崩れかけた碑文と、閉ざされた石扉。
「見て、この文法……文字の順番が通常と逆になってる」
「“西→南→昇光”の順……これ、日没ではなく“星辰移動”に対応してる可能性があるわ」
レクシーが魔導計器で扉に光を当て、利奈がノートを開いて補助する。二人の思考が静かに絡み合い、解析が進んでいく。
「レクシー、さっきの句にあった“印象の強き者”ってやつ、これ——“忘却の刻印”と対になってるわ」
「つまり、“記憶され続ける者”が、扉を開けられる。……やっぱり、愛佳だ」
その時、地上にいた拓実の耳に、愛佳の叫び声が飛び込んできた。
「ちょっとー! なんか通り魔みたいな奴が私の名前叫びながら追いかけてくるんだけど!?」
「えぇっ!? 今!?」
「ていうか、“あんたは記憶に残る呪いの女”とか言われたんだけど! 褒められてる!? 呪われてる!?」
「たぶん……鍵として正解だったって意味かと!」
◆ ◆ ◆
愛佳が扉の前に立った瞬間、碑文が淡く輝いた。
“強き記憶、永久に忘却されず”
その文字が浮かび上がり、重々しく石扉が動き始める。
「……開いた……!」
扉の向こうに広がっていたのは、吹き溜まりのような空間だった。書棚が倒れ、古文書が崩れている。だが、その中央には一つ、光を発する“砂の球体”が浮かんでいた。
「——黄砂の源晶だ」
空気が違った。
黄砂の源晶が浮かぶその空間だけ、時が止まったような静けさに包まれていた。砂は宙に舞うことなく留まり、書棚は崩れたまま風一つ吹かない。まるで“記録そのもの”が息をひそめているかのようだった。
「すごい……この空間、魔力が“静止”してる……」
レクシーが指先で空中をなぞる。通常なら微かに揺れるはずの魔素が、ここでは粒子のように浮いていた。
「ここ、“記憶”を保管してるんだと思う。書かれた文字だけじゃない。“印象”とか“思念”とか、存在そのものを刻む場所……」
「だから封印の鍵に“印象の強さ”が必要だったんだな」
拓実が呟くと、隣で愛佳がそっと胸を張った。
「やっぱ私って、忘れられない女なんだわ」
「言い方ぁ!」
「事実でしょ? 記憶に残ることなら自信あるもん。だって、“私だけは忘れさせない”って、昔からずっと……そうしてきた」
その言葉に、空間がかすかに震えた。
次の瞬間——
空間の中心に、“もう一人の愛佳”が現れた。
白く透けたその姿は、確かに愛佳と同じ顔、同じ瞳をしていた。だが、どこか“薄い”。強く主張するはずの表情が、まるで誰にも覚えられていないかのように滲んでいる。
「……あれは……?」
「記録に残されなかった“もう一つの記憶”。封印された源晶が、鍵である愛佳に“自分を思い出して”ほしいって、訴えてるのよ」
レクシーが答える。
「試されてるのは、“自分自身”の記憶じゃない。“他人の中に残った自分”の強さ」
“幻の愛佳”が拓実に向かって手を伸ばす。
「君は、私を覚えてる? 本当に、記憶に刻んだ?」
拓実は迷わず頷いた。
「忘れるわけないだろ。君の魔法、君の言葉、君の気迫——どれか一つでも抜けたら、俺たちは今ここにいない」
その瞬間、幻が微笑んだ。
「——よかった」
次の瞬間、幻の愛佳は光の粒となって源晶の中に吸い込まれた。そして、源晶が震え始めた。
「来る!」
レクシーが叫んだ。
源晶を守る最後の防衛機構が起動する。
四方から吹き上がる黄砂の渦が、一行を包囲する。視界が閉ざされ、感覚が狂いはじめる。
「記憶迷宮!?」
利奈がすぐに反応した。
「私たちそれぞれに、“違う過去”を見せて、迷わせるつもり……! 深く入りすぎると、意識が戻れなくなる!」
◆ ◆ ◆
拓実の目の前に現れたのは——まだ異世界に来る前の、自室の風景だった。
机の上に置かれた進路希望の紙。ぐしゃぐしゃにして投げ出したままの制服。誰にも相談せず、黙ってすべてを抱えていた頃の自分。
(……戻れるなら、戻りたい?)
誰かが囁いた。
(逃げたくない? 本当は、全部“夢だった”ってことにしたくない?)
だが、その瞬間、別の声が響いた。
「馬鹿拓実! アンタそんなキャラじゃなかったでしょ!」
愛佳の怒鳴り声だった。
幻の部屋が崩れ始める。
「……ったく、また“比喩”を真に受けてたのね! 出口なんて最初から用意されてるのに、あんたはそれを詰将棋みたいに真面目に……!」
心花の声も聞こえる。
「拓実、帰ってきて。ここには、あなたを“思い出してる”人がいる」
気づけば、黄砂の渦の中に、仲間たちの声が光の道となって浮かび上がっていた。
(俺は——一人じゃない)
拓実はその声に導かれるように手を伸ばし、そして——
◆ ◆ ◆
渦が止んだ。
空間が静かに崩れ、書庫は光の粒に還っていく。
拓実の手の中には、確かに“黄砂の源晶”が収まっていた。
「やった……やったぞ……!」
愛佳が両手を広げて飛び跳ねる。
「これで、五つ目……!」
レクシーが微笑む。
「うん。記憶と印象——人の“想い”が、封印を解いた」
そして、利奈が静かに記録帳に書き込んだ。
「成果、確認。次の準備に移る」
拓実は手にした源晶を見つめながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
「忘れないよ。ここで得たもの、君たちの声、全部……」
(第10章)