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花街

花街


パークを出ると志麻は一刀斎の後ろから項垂れて着いて行った。二人の前後には夜見世に向かう遊客たちの姿がポツポツと見えていて、怪訝な表情で振り返る者もいる。如何にも売られて行く娘だと言う風を装わなければならない。

「志麻、大門が見えてきた。門番は俺が上手い事言いくるめるからお前ぇは一言も喋るんじゃねぇぞ」

「分かった・・・」

江戸の吉原と見紛うような大門の両脇に、六尺棒を突いた門番が立っていて、遊客の出入りに目を光らせていた。

一刀斎は道の中央を志麻を従えて何食わぬ顔で歩いて行く。

「おい、待てそこの薬屋!」

右側に立っていた門番が横柄な口調で誰何して来た。左側の門番も胡散臭い目でこちらを見ている。

一刀斎は年嵩らしい右の門番の方を向いた。

「へい、何か御用で?」

「その女はお前の連れか?」

「いかにもそうでございやすが?」軽く腰をかがめるようにして一刀斎が応える。

「ここは花街だ、女に用はねぇはずだぜ。ひょっとして売りに来たのか?」

「へへっ、こいつぁお見それ致しやした。お察しの通りでやす、さすが港崎みよざきの門番様で」一刀斎はあくまで下手に出る。

「お前見かけねぇ顔だが、女衒の真似事でもやってるのか?」

「へぇ、近頃は薬屋だけじゃ何かと不自由なもんで、たまに上玉が手に入ると副業でこのようなことをやっております」

「その女そんなに上玉なのか?」左に立っていた門番が近づいて来て、いきなり棒の先で志麻の顎を持ち上げた。

志麻は大人しくされるがままに顔を上げたが、棒越しに冷めた目で門番を見据える。

「ほう、近頃稀に見る上玉だが売りに来たってのは本当か?」門番左が疑わしそうに訊いてきた。

「おっと、そいつぁ大事な売りもんなんだ、傷つけねぇようにしてもらいてぇな!」一刀斎が門番左を睨みつける。

「なんだと!」

「こちとらぁ高ぇ銭払って大変な苦労してここまで連れてきてんだ、青痣一つで買い叩かれた日にゃ商売上がったりなんだよ!」

「この野郎言わせておけば良い気になりやがって!」

「まぁ待て、そいつの言う事にも一理ある」門番右が門番左を諌める。「苦労して手に入れた商品を手荒に扱われちゃたまるまい、どうやらそいつの言ってることは本当のようだ」

一刀斎の剣幕が言葉に真実味を与えたようだ。

そして一刀斎を見るとこう言った。「ところでどこへ売りに行くつもりだ?」

「へへっ、そちらさんが言うようにこいつは稀な上玉だ、雁木楼でも不足はねぇんじゃねぇかと思っていやすが」

一刀斎が答えると門番右は志麻をまじまじと見詰めて、「そうだな、やり手婆が喜びそうだ」と言った。

間髪を入れず一刀斎の手が門番右の袖に伸び、幾許かの銭を滑り込ませた。

「ご迷惑おかけしやした、後でお二人で一杯ひっかけておくんなせぇ」門番右の耳元に囁く。

「おっ、すまねぇな・・・」

門番右は袖に手を入れゼニの感触を確かめると門番左に目配せをした。

「もう、いってもいいぜ」

門番左も元の位置に戻って棒を地面に突いた。

「ありがとうごぜぇやす」一刀斎は振り返っって志麻に頷くと、大門を潜って花街へと足を踏み入れた。


*******


「あんな奴ら大っ嫌い!」大門が遠ざかると志麻が己が肩を抱くようにして身震いした。「人を値踏みするような目で見て・・・ゾッとする」

「まぁそう言うな、花街の門番にしちゃ良い方だ。あいつら元々の給金が安いから、ああやって小銭稼ぎしなきゃ暮らしていけねぇんだよ」

「一刀斎、嫌にあいつらの肩持つじゃない?」志麻が不服そうに一刀斎を見詰める。

「人は生きてる限り食って行かなきゃなんねえのさ・・・」一刀斎が呟いた時、花街を縦に貫く通りの先に一際華やかな提灯に彩られた大楼が姿を現した。「おっ、志麻見えてきたぞ、あれが雁木楼だ、見ろ大ぇしたもんだな」

志麻は一刀斎の視線の先に目を転じる。なるほど、他の妓楼を圧倒する惣籬そうまがきだ。

まがきとは格子の事で、小見世は下半分の惣半籬、中見世は右上四分の一を開ける半籬、最も格式の高い大見世は惣籬で全面に格子がある。もっとも籬など無い小見世も多い。

「立派な建物だね、あの中から松金屋を見つけ出すのは無理なんじゃない?」

「なぁに、見つからなけりゃ出てくるように仕向けるまでだ」

「え、どうやるの?」

「悪い、そいつは最終手段だ、今は言えねぇ・・・」そう言うと一刀斎は歩度を早めた。

朱塗り格子の前に群がって品定めをしている遊客の後ろを通り過ぎる時、行燈の灯りに照らされた遊女の白い顔がチラリと見えて、志麻は思わず目を伏せた。芝居とは言え自分もこれから売られるのだ、どうしても格子の中の遊女の身の上を想像して気が滅入ってしまう。

「志麻、今は余計なことを考えるな」

「分かってる・・・」

玄関も朱塗りの格子戸だった。一刀斎が迷わず開けて中に入ったので志麻も後ろから着いて行く。

「へい、いらっしゃ・・・」

番台に座った牛太郎が、挨拶を仕掛けて言葉尻を飲み込んだまま一刀斎を見据えた。

「お前客じゃねぇな、何の用だ?」

「客でなけりゃこっから入れねぇのかい?」

「当たり前ぇだ」

「女を売りに来た」

「だったら裏口に周りな」

「嫌だね、この女はこれから一生浮かび上がる事の無ぇ地獄に沈むんだ、せめて入り口は正々堂々と正面から入れてやらなけりゃ俺の気がすまねぇんだよ」

「何訳の分からねぇ事言ってやがる、さっさと出て行かなけりゃつまみ出すぞ!」

牛太郎は番台から降りて一刀斎に詰め寄った。

「待ちな!」

見世の奥から嗄れ声が聞こえたが、声の主が見えない。

「こっちだよ」

二階へ続く朱塗りの大階段の後ろから萎びた老婆が姿を現した。

「遣手・・・」牛太郎が驚いた顔で振り返る。「い、いやトラ婆」

「売りたい女ってのはそいつかい?」

トラ婆と呼ばれた老婆が一刀斎の肩越しに志麻を見た。きっと門番が言っていた遣手婆だ。

「ああそうだ、訳あって少しでも高値で買い取って欲しいんだ」

トラ婆は一刀斎の言葉を無視して牛太郎を見る。

「三次、化粧部屋は空いてるかい?」

牛太郎は三次と言う名前らしい。

「トラ婆、良いのかい?」

「空いてるかって聞いてるんだよ」トラ婆がギロリと牛太郎を睨んだ。

「あ、空いてる・・・さっき雪乃太夫の化粧が済んで出て行ったところだ」

「そうかい、暫く誰も入れるんじゃないよ」

「わ、わかった・・・」

トラ婆はくるりと背を向ける。

「女衒がみんなあんたみたいだったら、女達も少しは浮かばれるのに・・・ついてきな」


*******


白粉の匂いと今まで居たという人の体温で、部屋の中はムッとしていた。鏡台や火鉢、つづらや衣紋掛が整然と並んでいる。ここは今から舞台に出る女たちの楽屋なのだ。

トラ婆は火鉢を抱え込むようにして座ると、二人にも座るように促した。

「名前は?」トラ婆の視線は志麻に向かっている。

「志麻と申します」志麻は両手をついて挨拶した。

「あんた、町娘のなりをしているけど武家だね?」

志麻は思わず顔を上げて一刀斎を見た。一刀斎は落ち着いている。

「お見通しかい?」

「馬鹿におしでないよ、一体何年花町で生きて来たと思ってるんだ」

「なら話は早ぇや、いくらで買ってくれる?」没落した武家や公家の子女はそれだけで付加価値が高い。

「まぁ待ちな、武家の娘が身売りするとなりゃそれなりの訳があろうってもんじゃないか。そいつを一通り聞かせて欲しいもんだね」

トラ婆が言うと一刀斎がフッとため息を吐いた。

「面白くもねぇ話だぜ」

「いいさ」

「仕方ねぇなぁ・・・こいつの父親はさる藩の江戸屋敷詰めだった、が仕事で大失態をやらかしちまって改易させられたんだ」

「よくある話だね」

「ああ、だから面白くねぇ話だと言っただろう。それでこれもよくある話だが立派に見えても武家の台所は火の車だ。御多分に洩れず借金が膨らんで返せなくなった」

「武士は食わねど高楊枝か・・・楽じゃないねぇ」

「そこで娘の身売りをせざるを得なくなったんだが、江戸の吉原ではまずい・・・」

「ふん、顔見知りに娘を買われた日にゃ、武士の沽券に関わるってか。もう武士の株なんかとっくに取り上げられてるくせに」

「そうだな、娘の犠牲の上に成り立ってる沽券なんか便所の落とし紙ほどの価値もねぇ」

「それなのにお前さんは娘を売るためにやって来た」

「しょうがねぇだろ、こいつが決めた事だ。だったら少しでも高く売ってやらなきゃな」

トラ婆がジッと志麻を見つめている。志麻は身を硬くした。一刀斎の話に引き込まれて、本当に自分の身に起こった事のような気がしていたけれど、これは嘘なのだ。嘘でこのおばあちゃんを騙そうとしているのだ、と思ったら生きた心地がしなかった。

「遊女になる為に妓楼が御足をいくら使うか知ってるかい?」トラ婆が話柄を変えた。

「なんでぇ急に?」

「一流の太夫になる為には、礼儀作法はもとより、和歌に書、茶道に華道、踊りに琴や三味線、時には日に何人も師匠を替えて稽古をしなけりゃならない。時には客の求めに応じて碁や将棋を指す事もある。そしてこれは此処だけの特色なんだが・・・」

「・・・」

「もし売れなかったり、売れても価値の落ちるようなことがあったら、異人専門の遊女に落とされる」

志麻はブルっと身を震わせた。

「その覚悟はできてんだろうね?」

志麻は返事ができなかった。嘘なのだから『はい』と言っておけば良い。だが志麻にはそれができなかった。ここにいる遊女達にその覚悟はできているのだろうか?それとも売られて来た女達には覚悟をすることさえも許されていなかったのだろうか?

「フッ・・・正直だねぇ」トラ婆がニヤリと笑う。「待ってな、旦那に話を通して来る」

そう言うとトラ婆は立ち上がり、化粧部屋を出て行った。

「志麻、良い芝居だったぜ」トラ婆の足音が遠ざかるのを待って一刀斎が言った。

「芝居なんかじゃない・・・本当に怖かったんだ」

「そうか・・・もう少しの辛抱だ」一刀斎が立ち上がる。

「どこへ行くの?」

「お前ぇはここで待ってろ、俺は松金屋を探してくる」

「トラ婆が戻って来たらどうするの?」

「少しでいい、時間を稼いでくれ」

「いつまで?」

「出来れば半刻、いや四半刻でいい」

「それまでに見つからなかったら?」

「奥の手を使う」

「奥の手って?」

「その時になればいやでも分かる・・・じゃあ行って来る」

一刀斎は化粧部屋の襖をそっと開けると、左右を見回し足音を忍ばせて出て行った。

志麻は仕込み杖を引き寄せ、ギュッと握りしめた。


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