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河原の決戦

河原の決戦


日本堤に出ると、一刀斎は志麻と慈心を先行させ、自分は殿軍しんがりに立った。

この辺りは浅草田圃と言って見渡す限りの田園地帯だ。その中に遊郭が浮島のように聳えている。夜見世にはまだ時間が早いからだろう、堤の上の道には人っ子一人見当たらなかった。

「いいか、俺があいつらを足止めしている間に、音無川の河原に降りろ」

「お前はどうするのじゃ?」

「あの人数じゃそう長くは足止め出来ねぇ、ゆっくりと後退して河原に誘い込む。そこで一気に決着をつける!」

頷きかけた志麻が一刀斎の異変に気が付いた。着物の脇腹が赤く濡れている。

「あっ、脇腹から血が!」

「かすり傷だ、大した事はねぇ、早くいけ!」

心配そうに見返したが、今は何をする暇もない。

「死なないでね・・・一刀斎」

「馬鹿野郎、俺を誰だと思っている!」一刀斎が踵を返した。

追いかけてくる男達に向かって、とうせんぼをするように仁王立ちになった。

「志麻、一刀斎の心配は無用じゃ!」

「う、うん・・・」

ベアトがルナを抱きあげた。

「シマサン、イットサイヲシンジマショウ!」

「分かったわ・・・」

志麻と慈心はベアト一家を守って再び走り出した。


*******


追手は十数名に達していた。

一刀斎は二刀を左右に突き出して道を塞いだ。堤の道は狭く、人が二人やっと擦れ違える程の幅だ。

「止まれ!ここは絶対ぇ通さねぇ!」鬼の形相で追手を睨む。

「しゃらくせぇ!」

真っ先に駆けてきた男が勢いをつけて斬り込んで来た。

左手の小刀でその刃を跳ね上げると、空いた左の脇に大刀を叩き込む。

肋骨まで断ち割られた男が、訳の分からぬ喚き声を上げて転がった。

次の男が後ろから押されるように飛び出して来た。真っ直ぐに剣を突き出し盲滅法に突いてくる。

その剣を小刀で押さえ込み、右の大刀で頸動脈を押し斬った。

血飛沫が空に向かって吹き上がる。

緩急自在の一刀斎の早業に、道に犇めいていた追手達が互いに押し合って後退る。

「死にてぇ奴は掛かって来な!」

言葉で威嚇しながら、二刀を構えて前に出る。

「なにをしている!後ろへ回り込め!」

言ったのは、追い付いて来た源次だった。

言われてハッと気付いた男達が、堤の土手を降りて一刀斎の後ろへ回ろうと試みる。

だが土手の傾斜がきつい上に、草が滑って思うように行かないようだ。

「俺がやる!」

ヤクザ者を押し退けて、前に出て来たのは二本差しだった。後ろを見やると追手の中に武士らしき姿が数人見える。いずれ金で雇われた浪人者に違いない。

「金で雇われたか?」

「そう言うお前も同じだろう?」

「違ぇねぇ」

「恨みは無いが命は貰った」

「お互ぇ貧乏武士に生まれたのが身の不幸って奴だな」

「御託は良い、参る!」

こいつは多少出来ると見た。だが、手間取っていては土手に降りた奴らが背後に回る。

先手必勝と地を蹴った。

小刀で正眼に構えた敵の剣を左に弾き上段から大刀を振り下ろす。

敵は弾かれた剣を下から返して一刀斎の腰を狙って逆袈裟に斬り上げてきた。

互いの剣が届いたのは同時だった。

だが、敵の剣は一刀斎の腰の鞘に斬り込んで止まり、一刀斎の剣は敵の額を真っ二つに斬り下げていた。

額を割られた敵は仰向けにのけ反って倒れた。

「悪く思うなよ・・・」

ふと見ると、土手に降りた敵が這い上がって来るところだった。

「おっと危ねぇ」

一刀斎は急いで後退る。背後を取ろうとした敵の目論見は外れた。

「そろそろ志麻達も河原に着いた頃だろう・・・」

一刀斎はサッと躰の向きを変え、一目散に駆け出した。

「あっ、待て!」

今まで一刀斎に気押されていた男達が、解き放たれたように後を追って走り出した。


*******


志麻にとっては因縁深い無い場所だった。

この河原は、叔父の仇草壁監物に手籠にされかけたところを一刀斎に助けられた場所であり、音無川の辺りで姑獲鳥うぶめに鬼神丸をもらった場所である。

そんな場所に三度訪れることになろうとは・・・

「志麻、どうした?」

ぼんやりと河原を見渡していると慈心が訊いて来た。

「あ、なんでも無い・・・」

「そうか、もうすぐ一刀斎が敵を連れてくるじゃろう、気を抜くでないぞ」

「うん」

「よし、川を背にして足場の良いところを見つけよう」

「私、いい場所を知ってる」

「何処じゃ?」

「あそこの草むらの向こうに砂が湿って適度に開けた場所があるの、あそこなら草や石ころに足を取られる心配は無いわ。それに川の流れが速くて深いから後ろに回られる心配も無い」

志麻が指差したのは、かつて姑獲鳥うぶめが血まみれの赤子を抱いて立っていた場所である。

「うむ、そこにしよう」

志麻と慈心はベアト一家をいざなってくだんの場所に向かった。

「おお、ここは・・・まさに背水の陣じゃの」

河原に開けた場所を見て慈心が呟いた。緑の雑草に覆われた河原の中で、そこだけが地表の色を露わにしている。

音無川はその名に反して轟々と流れ岩に当たった水流が水飛沫を上げている。上流で雨が降ったに違いない。

「ジシンサン、ココデダイジョブカ?」ベアトがルナを抱き抱えたまま訊いた。

「儂らを信じろ、お主達には指一本触れさせはせん」

「ワタシ、シンジル、シマツヨイノシッテル」ルナが言った。

「ワタシモシンジテイマス、アンナオオキナヒト、ナゲトバシタジシンサンヲ」

「ローラ、ワタシハ?」ベアトが不満げに訊いた。

「モチロン、アナタモツヨカッタワ。オスモウサンガ、ホンキニナルホドニネ」ローラが片目を瞑った。

「ダロウ?ヨシ、ワタシモタタカウゾ!」気を良くしたベアトが、ルナを地面に下ろし刀を握りしめた。

「ベアト氏よ、その意気や良しじゃ!じゃが決して儂らより前に出てはいかんぞ、襲ってくる敵を追い払うだけで良い」

「ワ、ワカッタヨ、ワタシ、ローラトルナノソバハナレナイ!」

「よし」

その時、堤の上をこちらに向かって駆けてくる一刀斎の姿が見えた。敵が何事か喚きながら必死に追い縋っている。

「来たぞ!」慈心が言うとみなしっかりと頷いた。


*******


一刀斎は、今戸町から土手道を走り抜けると、見返り柳の手前を河原に向かって駆け降りた。

雑草が腰の高さまで茂っていて、見落としそうな道である。雨水が削った地面が辛うじて顔を覗かせていた。

視線の先に志麻と慈心の姿が見えた。僅かに開けた裸の地面に、川を背にしてベアト一家を守って陣取っている。「ふん、背水の陣と言う訳か・・・」

一刀斎はニヤリと笑い、草原と裸地の境でクルリと振り返った。

「さて、こっから先は地獄だぜ!」

敵は一瞬躊躇したものの、左右の草原に展開して裸地へ迫ろうとしている。

「爺さん、志麻!討ち漏らした奴らは頼んだぜ!」

真っ直ぐに敵の中に突っ込んで行く。

途端に絶叫が草原に響き渡った。


*******


「一刀斎のやつめ、自分だけカッコつけおって!」

「お爺ちゃん、私たちはここを離れられないわ、あっちは一刀斎に任せましょう」

「ふん、分かっておるわい」

その時、数人の男がくさむらを抜けて裸地へ入って来た。

「おい、こっちは爺いと小娘だ、手っ取り早く片付けっちまおうぜ!」

「おうよ、だが異人のガキは殺すなって話だぜ!」

「分かってるよ、まったく難波の香具師には敵わねぇぜ!」

「じゃあ手分けして掛かるぞ。俺たちは爺いを殺る、お前ぇらは娘だ!」

「おう、ガッテンだ!」

敵が二手に分かれて慈心と志麻に迫って来る。

「おいおい、随分と侮られたもんじゃな」慈心が不満げに志麻に漏らした。

「その方が好都合よ、敵が気を抜いているうちに一人でも多く倒しておきましょう」

「そうじゃな、せいぜい怯えているふりでもしておくか」

慈心が刀の柄に手をかけたまま動かなくなった。

「おい見ろよ、あの爺い怯えてやがるぜ!」

「刀も抜けねぇでいやがる」

「ふっ、もらったな」

あなどりを隠そうともせず、男達が慈心に近付いて行った。 

一人が間合に入った瞬間・・・

ぐわっ!と声を上げてのけ反った。顎を下から斬り上げられ鼻の先までが血に染まっている。しかも、慈心の姿勢ときたら元の姿勢と寸分違わぬ構えを崩していなかった。目にも止まらぬ早業で、刃はすでに鞘に納まっていたのである。

仲間達は一瞬何が起こったのか理解出来ずに狼狽えた。

「さて、次に刀の錆になりたいのは何奴どいつじゃ?」

残った男は警戒を強めて容易に近寄って来なくなった。


「あっちは貧乏籤だったな」志麻の前の男が言った。

志麻の前にも数人の男が立ち塞がっていた。

「早くこいつを片付けて手伝ってやろうぜ」

「おう、先に行くぜ!」

一人が猛然と突いて来た。

すでに仕込みを抜いていた志麻は、男の踏み込みに合わせて前に出る。敵の切先が着物の胸元に触れる直前、躰ごと右に飛んで擦れ違った。

志麻の細身の剣が、男の腹を横一文字に斬り裂いた。

あっ!

もう一人の男が動く隙を与えず、志麻が躍りかかる。

真上に引き上げられた剣が真っ直ぐに斬り下ろされて、まるで筆で十文字を描くような容易さで二人の男が地面に倒れていた。

「お爺ちゃん、こっちは二人倒したわよ!」

「なに!儂より活躍するでない!」

「そんなこと言っている暇はないわ、ほら、新手が来たわよ!」

新たな敵が叢から裸地に入って来た。

「一刀斎のやつめ、何人討ち漏らせば気が済むのじゃ・・・」

慈心が溜息を吐いた。

ベアト一家は目を丸くして志麻と慈心を見ていた。


*******


一刀斎は三人の侍に囲まれていた。相変わらず二刀を構えている。

敵はそれなりに腕が立つ侍で、ヤクザには手が回らずそっちは志麻と慈心に任せるしかない。

侍達はジリジリと間合いを詰めて来た。互いに無言だが連携の取れた動きで戦いに慣れているのが分かる。

とにかく止まっていては相手の思う壺だ、正面から敵を受けないように側面から攻撃を仕掛けるしか無い。

左端の侍が腰を落とすのが見えた。

反射的に左へ飛ぶ。

間髪を入れず飛んできた剣を大刀で下から跳ね上げて、小刀を侍の腹に突き立てた。

侍はグッと喉を詰まらせると、躰を折り曲げるようにして倒れ伏す。

小刀を侍の躰に残したまま、一刀で二人の侍に対峙した。

目の前の侍の斜め後ろにもう一人の侍が居る。二人が横に並ぶ前に目の前の侍を倒さねばならない。

正眼に構えた侍の剣を、右から弾いて籠手を斬りに行く。

敵は右手を柄から離すと、片手斬りに頸を狙って来た。

身を沈めながら諸手で突いた。太刀風が髷を掠めて行き過ぎた。

一刀斎の剣が侍の躰に深々と突き刺さっていた。

これは多敵の時には一番やってはいけない事だ。突き刺さった剣は抜くまで死に剣となるからだ。

この機を逃す相手では無かった。

すでに一刀斎を射程に捉え、大上段に振り上げた剣を落としている。

一刀斎はあっさりと大刀を放棄すると、踏み込んで来た侍の腰に組み付いていった。

侍は懐に飛び込まれて斬る事が出来ずに必死でもがいた。

と、そのうち侍が動かなくなり次の瞬間ドウと倒れた。

侍の腹には自らの脇差が突き立っていた。

「ふぅ、危なかったぜ・・・」

一刀斎は腰に組みついた時、侍の脇差を抜いてそのまま突き立てたのである。

結局三人とも突きで仕留めた事になる。

一刀斎は倒れている侍から自分の大刀を引き抜いて、屍の袴で血を拭った。

「さて、志麻と慈心はどうしたろう?」

一刀斎は河辺の裸地を見遣った。

追っ手のほとんどがそこに殺到していた。

「いけね、行ってやらにゃ!」


*******


慈心は刀身を鞘走らせる度に、確実に一人づつ倒して行った。

志麻もあれから二人倒しているので、七、八人は倒した計算だ。

しかし、慣れない女物の着物では動き辛い。それに細身の仕込みでは斬撃力に劣るのは明白だ。息もそろそろ上がりかけている。

今の所、追手は遠巻きに五人を取り囲んだまま動けなくなっているが、その人数は確実に増えていっているようだ。

志麻が荒い息を吐きながら慈心に話しかけた。

「さ、さっき斬った男達・・・ルナを殺すなとか難波の香具師とか言ってなかった?」

「そう言えば言っていたような・・・」

「や、やっぱりあの香具師達も仲間だったのね・・・はぁはぁ・・許せない」

「もう良い、喋るな、それより息を調えろ。もうすぐ一刀斎もやって来る」

慈心が言った時、一人の男が前に出て来た。

「まさか、こんなに強ぇとは思わなかったぜ」

「あ、あなた確か・・・源次!」

「よく覚えていたな」

「忘れるわけないじゃない!」志麻が源次を睨みつけた。

「光栄なこった」

「志麻、誰じゃこいつは?」慈心が訊いた。

「十三代中村屋の付き人よ」

「やはり中村屋は敵じゃったか・・・」

志麻は源次に顔を向けた。

「あなたね、ルナを攫わせたのは?」

「そうじゃねぇよ。あれは俺にとっても青天の霹靂ってやつよ」

「どう言う事?」

「俺はずっとお前ぇ達を見張ってたんだ。いずれベアト達と合流するのを確かめるためにな」

「・・・?」

「そしたら、欲深な大坂の香具師がルナと言う娘を攫っちまった。俺はしまったと思ったね、お前ぇ達が合流しなきゃその先の計画が不意になっちまう」

「計画?」

「お前ぇ達を纏めて始末するって言う計画よ」

「誰がそんな計画を・・・」

「それは言えねぇな、だが、うめぇ事にお前ぇが娘を助け出してくれた。その時思いついたのよ、この香具師を仲間に引き込めば一気に人数は倍増する。これで確実にお前ぇ達を殺れるってね」

「おあいにく様、私達はそんなにヤワじゃないわよ」

「そうみたいだな、だが多勢に無勢、いずれお前ぇ達にも動けなくなる時が来る」

「何言ってんのよ、もうすぐ一刀斎が加勢に来るわ!」

「それこそお気の毒だ、奴はうちの先生方に囲まれて、今頃は切り刻まれている頃だろうよ」

「一刀斎が・・・そんな」

「志麻、詭弁に乗るな、一刀斎がそんなに簡単にやられる筈が無い」

「で、でもお爺ちゃん敵がどんどん増えているわ、それに一刀斎怪我してたし・・・」

志麻に動揺の色が走る。

「一刀斎を信じろ、それより三人を守ることを考えるんじゃ!」

「シマサン、ワタシイットサイシンジマス。キットモウスグヤッテクルネ!」

「ソウデス、シマサン、シンジマショウ!」

「シマ、アキラメチャダメ!ガンバッテ!」

「わ、分かったわ、私絶対ルナを守るって約束したものね!」

その時、敵の輪の後方から絶叫が上がった。人垣がどんどん崩れて行く。

「わわ、ど、どうした!」源次が驚いて振り返った。

「うわぁぁぁ!!!!」

「あの侍ぇ生きてるぞ!」

「なんだって!用心棒が三人ともやられたってのか!」

敵がざわめき始めた。

「みろ志麻、一刀斎は無事だぞ!」

慈心の指さす先に、一刀斎の姿があった。犇く敵を撫で斬りにしてこちらに向かって来る。

「お爺ちゃん!ここは頼んだわ!」

「志麻!何をする気じゃ!」

「今が好機よ!」

「待て、無茶をするでない!」

慈心の静止も聞かずに志麻は敵に突っ込むと、あっという間に二人の敵を斬り倒した。

「バ、バケモノだ!」

それを見て敵がバラバラになって逃げ始めた。

「待て!お前ぇら逃げるんじゃねぇ!」

源次が顔を引き攣らせて止めるが、一度引き始めた潮は戻る事は無い。

「チッ!」

源次も諦めて、尻を絡げて駆け出した。

「一刀斎、そいつを逃すな!」慈心が怒鳴った。

「おう、任せとけ!」

一刀斎が源次を追いかけて走って行った。

今までの死闘が嘘のように静かになり、後には志麻と慈心それにベアト一家だけが残った。

「みんな、怪我は無い?」

「ダイジョウブ、ローラモルナモカスリキズヒトツナイヨ」

「シマハダイジョウブ?」ルナが訊いた。

「平気、ちょっと疲れただけ・・・」

よく見ると志麻の着物のあちらこちらが斬れている、しかし、幸いにも肌に達するほどの深さでは無い。

「無茶しおってからに、運よく敵が退いたから良いようなものの・・・」

「ううん、運じゃ無い。敵が動揺しているあの時が絶好の反撃の機会だったのよ」

「うっ・・・そりゃそうなんじゃが・・・」

「それより、お爺ちゃんもやるわね、やっぱり高柳源五郎より上だわ」志麻が大きく息を吐きながら言った。

「なに、高柳源五郎じゃと!なぜその名を知っておる?」

「ルナを攫った香具師の用心棒よ、浅草で居合い抜きの見世物に出ていたわ。私危うく斬られそうになったもの」

「お前、高柳を倒したのか?」

「あれ?言わなかったっけ?」

「用心棒を倒したとは聞いたが名は言わなかったぞ・・・驚いたな、奴は箱根以西では知る人ぞ知る居合の達人じゃぞ」

「そうなの?知らなかった」

「まったく、お前はどこまで強くなる事やら・・・」慈心が呆れ顔で志麻を見た。

その時、人の背丈ほどもあるすすきの穂が揺れた。

慈心と志麻が思わず身構える。

「おい。捕まえて来たぜ」

芒叢から源次を連れた一刀斎が現れた。

「一刀斎、怪我は大丈夫!」志麻が駆け寄った。

「ああ、心配ぇねぇ、ほんのかすり傷だ。もう血も固まっている」

「良かった・・・」

「お前ぇ俺の事を心配ぇしてくれてたのか?」

「そ、そんな心配なんてしてないわよ!」

「一刀斎、志麻はそいつの口車に乗って真っ青な顔をしていたんだぞ」

慈心が源次を指差して言った。

「お、お爺ちゃん!」

「そうかい、そいつぁ悪かったな、心配ぇしてくれてありがとな」

「あ、ありがとうだなんて・・・」志麻が真っ赤になって俯いた。

「ははは、高柳源五郎を倒したと言っても、志麻も普通の娘っ子じゃわい」

「お爺ちゃん!」

志麻が慈心を睨みつけた。

「おう、それよりこいつを締め上げて黒幕の正体を吐かせようぜ」

「そうじゃな、それが良かろう」

一刀斎と慈心が頷きあう。

「お、俺をどうしようってんだ?」

「素直に吐けば五体満足で返してやる、だが、吐かなければ・・・」慈心が言った。

「ど、どうすんだよ・・・」

「こうする!」

一瞬、慈心の腰間から閃光が走った。

と、思った時には刀は鞘に納まっており、状況に何の変化も起こってはいなかった。

「ふ、おどかしゃがる・・・」

源次がふっと息を吐いた途端、地面に何かが転がった。

髪がバサリと肩に落ちてきて、頭頂がスゥスゥする。

「アワワワワワ・・・!」

目の前に落ちている髷を見て源次が腰を抜かした。

「今度は髷では済まんぞ・・・」

慈心が源次の顔の前に自分の顔を突き出して、ニンマリと笑う。源次にはその顔が地獄の閻魔のように見えたに違いない。

「は、話ますぅ〜!全部話しますんで命だけはお助け〜!」

地面に額を擦り付けて必死に命乞いをしている。その肩がガタガタと震えていた。

「爺さん、ちょっと薬が効きすぎたみてぇだな」

「なぁに、このくらいしなきゃまた嘘を吐くかも知れぬからな」

「それもそうだな・・・」

一刀斎が源次の顔を上げさせた。

「じゃあ、早速吐いてもらおうか」


*******


それから半刻あまり、源次を問い詰めて分かったのは驚くべき事であった。

松金屋を襲った黒幕の正体は、なんと松金屋本人だったのである。

松金屋は最初、ベアト商会との取引で莫大な利益を上げた。ところが近年、海外におけるお茶の需要が急激に高まり良質の茶葉が入手困難になった。松金屋はベアト商会と茶の質と量に関する契約を取り交わしており、来年の末までは契約通りの茶葉を納品しなければ賠償金を支払わねばならないことになっている。松金屋は何とか質を誤魔化してこの難局を乗り切ろうとしたが、ベアトの目は誤魔化せず、返って火に油を注ぐ結果となった。そんな時、ベアトの商売敵であるグレイト商会から松金屋にある話が持ちかけられた。質の落ちた茶葉でも良いから同じ量なら倍額で取引しようと言うのだ。ただし、その為にはベアトの存在が邪魔である。ベアトさえ失脚するか死ぬかすれば契約は無効になる。そこで松金屋は、今回の自作自演の茶番を考えだしたのだった。十三代目中村屋は、大の贔屓である松金屋の頼みを断りきれずにこの芝居に一役買ったのだそうだ。ただ、グレイト商会にしても中村屋にしてもそれぞれに別の思惑があったに違いない。グレイト商会は何としてもベアト商会を潰したかったであろうし、十三代中村屋は、歌舞伎役者としての華やかさとは裏腹に、台所事情は火の車であったのだろう。そのため三者の利害が一致したと言う事だ。


「何てこった・・・」一刀斎が溜息を吐いた。「松金屋の描いた台本にまんまと乗せられちまったと言う事か」

「すまん一刀斎」慈心が唐突に言った。

「爺さん、なぜ謝る?」

「この仕事を見つけて来たのは儂じゃ、もし源次の話が本当なら残りの半金は回収出来ない事になる」

「ええっ!と言う事は百両がフイになっちまうって事か!」

「そうなるな」

「松金屋の野郎、最初っからそのつもりだったんだな。道理であっさり爺さんと志麻を仲間にする事を了解したはずだぜ!」

一刀斎が悔しげに地団駄を踏んだ。

「待って、決めつけるのはまだ早いわ。確かにそいつの話は辻褄が合ってる、でも本当だと決まった訳じゃない。松金屋さんに直接確かめる必要があるわ」

「そ、そうだな、まだ俺たちの稼ぎが不意になったわけじゃねぇ・・・」

「ワタシモ、シリタイデス。マツガネヤサンノホンシンガ・・・」ベアトが言った。

「チッ、仕方ねぇ。よし、今から松金屋に戻るぞ」

「此奴はどうする?」慈心が源次を指差した。

「ほっとけ、もう中村屋のところへは戻れまい」

「そうじゃな」


*******


辺りはすっかり暗くなっていた。草原を抜けて土手を登る。

日本堤は夜見世よるみせ目当ての遊客がゾロゾロと吉原を目指して歩いていた。

「さっきまで人っ子一人いなかったのに・・・」志麻が不思議そうにその様子を見た。

「当然さ、吉原はこれからが本番だ」

「アッ、アレハナンデスカ?」ベアトが見返り柳から吉原の大門を指差した。

衣紋坂を登り切った辺りが妙に明るくなって、人だかりが出来ている。

「チョットイッテミマショウ!」

「ベアトさんよ、そんな悠長な事している時間はねぇぜ!」

「チョットダケ、ワタシキニナルコト、ホットケナイタイプネ!」

言うより早くベアトが駆け出した。

「カレ、イイダシタラキカナイ。ゴメンナサイネ」ローラが済まなそうに謝った。

「ママ、ハヤクパパノアトヲオイカケマショウ!」

「ソ、ソウネ・・・」

「仕方ねぇ、行くぞみんな!」

全員がベアトの後を追って衣紋坂を上った。

やっと追いついた時、ベアトは呆然と立ち尽くしていた。

そこには信じられない光景が広がっていたのである。

仲之町の通りを、この世のものとは思えない豪華絢爛な行列がこちらに向かってやって来る。

「おい、あれは今をときめく白鷺太夫じゃないか!」

遊客の一人が声を上げた。

「そうだ、間違いねぇ!」

「俺たちゃ幸運だぜ!吉原一の花魁、白鷺太夫の道中を拝めるなんざ滅多にねぇこったぜ!」

「ナマンダブ、ナマンダブ、もう俺いつ死んだってかまやしねぇ!」

手を合わせて拝む者までいる。

大勢の新造や禿、太鼓打の男芸者、傾城屋の男衆を引き連れて、白鷺太夫はゆっくりと歩く。

黒塗りの高下駄で、外八字と言われる独特の歩法である。打掛を何枚も重ねた重い衣装を着てこの歩き方をするのは、例え他の太夫が真似しようとしても、生半可な修行では覚束無い。

白鷺太夫は余裕綽々で、時に澄まし顔で、時に艶な流し目を見物衆に投げた。

見物衆は夢中になって歓声を上げている。

ベアト一家ばかりか、一刀斎、慈心、志麻までもがうっとりと見惚れている。

先ほどまでの地獄のような修羅場から、天国のような光景に一瞬にして場が転じたのである。誰もが我を忘れたとしても責められまい。

「キレイ・・・」ルナがポツリと呟いた。

やがて白鷺太夫は、立ち尽くすルナの前で足を止め、ほんの僅か膝を折って首を傾げて見せた。その僅かな動作がマリア様のように優しげで、ルナはますます動けなくなった。

それから白鷺太夫は一軒の大きな茶屋へと入って姿を消した。

今夜の太夫のお相手は何処のお大尽だいじんだろう、と遊客達が囁き合いながらそれぞれの方角へと散って行く。

「モウ、オモイノコスコトハナイ・・・」ベアトが言った。

「ホントニ・・・」ローラが呟くように言う。

「気が済んだかい?」一刀斎が訊いた。

ベアトは無言で頷いた。

「よし、それじゃあ松金屋に向かうとするか」


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