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お紺、坂本龍馬と出会う

お紺、坂本龍馬と出会う


「お紺さん、またちょっと頼まれてくれないか?」

「は〜い、何です御師おんしさん?」

「母屋の座敷のお侍さん達の宴会に、色を添えてもらいたいんだが」

「三味でようござんすか?」

「ああ、結構だ。いつもすまないねぇ」

「なぁに、御師さんには一方ならぬ世話になっているんだ、お安いご用ですよ」

「良かった、どうやら土佐の田舎侍みたいでね、酔うと酒癖が悪くって。大声で歌え踊れの大騒ぎ、挙げ句の果ては、三味線は無いか太鼓はないかってうるさくってね。内はお茶屋じゃありません、って言うんだが聞いちゃくれないんだ。全く困ったもんだよ」

「ははは、こちとらその手の手合いには慣れっこだ。ど〜んとこのお紺さんに任しておくんなさい」

「そうかい、ほんと助かるよ。それじゃ、頼んだよ」

御師はそう言うと、そそくさと母屋へ戻っていった。


お紺は、津の城下で志麻と別れたその日に、伊勢の入り口、山田町に着いた。

人家九千軒と言われる山田の町は、諸国参宮の旅人が絶え間無く行き交い、雑踏は江戸大坂に比しても激しいけれど、古来神都として誰もが一度は踏みたいと願う土地故か、質素な風俗ながら気品高い佇まいを備えていた。

町の目抜通りの両側には、御師の用達処が所狭しと軒を並べており、名を書いた看板がぶら下がっている。お紺は江戸の馴染み客が書いてくれた添え状を持って、浦川太夫という御師の看板を探した。やがて見つかった用達処の手代に、添え状を見せて案内を頼んだところ、すぐに一挺の駕籠が呼ばれてお紺を浦川太夫の屋敷へと運んで行った。

お紺に添え状を書いてくれたのは江戸でも屈指の大店の主人で、度々家族や店の者たちを連れて伊勢に参っては多額の寄進をして帰ってゆく、言わば御師の上得意であったらしい。

お紺は下にも置かぬ丁重さでもてなされ、屋敷の離れに一室を当てがわれて、ゆっくりと外宮・内宮への参拝を果たしたのであった。

その後別宮・摂社などを訪ねて日を過ごし、そろそろ帰ろうかと思っていた矢先、浦川太夫に頼まれて上方の太々講の酒宴で三味線を弾いたところが大評判となり、請われて手伝っているうちにズルズルと今日に至っている。


「さて、母屋へ行ってみるか・・・」御師から借りたままになっている三味線を抱えて部屋を出た。

母屋へ続く渡り廊下へ出ると、既に騒がしい声がする。だいぶ酒が入っているらしく、お国言葉が飛び交っていた。

「関、おはん京の島原によかおなごのおるっちゅう噂やなかか!」

「おお、こん色男が。隅におけんぜよ!」

「なんば言いゆうか、おいは土佐んおなごがよか。京のおなごは気位の高こうていかん。いくら通い詰めても一向になびかんぜよ!」

「そりゃ、おんしが土産の一つも持って行かんからじゃろう!」

「今井、おんしも知っちゅうがよ。亀山社中の給金じゃ櫛の一つもよう買えやせんがよ」

「ははは、違いなか。おい高松、今度坂本さんに給金ば上げるごと言うとってくれんか?」

「関さん、そりゃ無理じゃ。いくら叔父貴でん、あん人は金には全く執着のなかお人たい。今でん人ん金は何万両と動かすくせに、自分の懐には一銭も入ってこん。逆さに振ったって鐚銭びたせん一文落ちてきやせんきに」

「そうじゃろなぁ。ま、そいがあん人の魅力じゃき、そんお人に着いて行くっち決めたおい達が貧乏なんは、しょうがなかっちゅうこつやな!」

「そうや、そうや!」

「よし、呑も!天岩戸の前で裸踊りと行こうぜよ!」

「よせよせ、おまんの裸なんぞ誰も見とうないきに!」

辺りを憚らぬ大笑いが起きる。女の話などしているようだが、声の主は皆若そうだ。

尻の青い青二才どもが、ちったぁ周りの迷惑も考えろってんだ!

お紺が勢い良く障子を引くと、思いの外大きな音がして座敷の中が一瞬静かになった。

中で車座になって呑んでいた男達が、一斉にお紺を振り返った。

二十歳そこそこだろうか、どの男もヨレヨレの単物に折り目の消えた袴をつけている。

一人の若者がお紺を見上げた。

「おばはん・・・誰?」

「お、おばはん!」お紺の頭にカッと血が上った。

「ちょいと、ここを何処だと心得ておいでだい?卑しくも天照大神様の鎮座まします神宮のお膝元だよ、ちったぁ行儀良く遊べないのかい!」

「おい達は好きで此処におる訳じゃないぜよ」

「そうぜよそうぜよ、ほんとなら今頃津の城下で呑んどるところぜよ」

「じゃあ、なんでここに居るんだい!」

「おばはんの知ったことか!」

「おばはんおばはん、って、わっちはまだ二十五だよ、そりゃあんたらよりちったぁ歳食ってるけど・・・」

「それみぃ、おばはんじゃなかか。それにおい達は遊びにきたとやなか」

「そうじゃ、おい達は物見遊山の他の客とは違うぜよ」

「どう違うってんだい?」

「おい達はこん日本ば『せんたく』すっために働きよるきに、そいばあの津藩の連中と来たら・・・」

「せんたく?」お紺が首を傾げた。

「そいまでじゃ!」

いつの間にかお紺の後ろに大男が立っていた。歳はお紺より多少上のようだが、身なりはここにいる若者達と大した違いは無い。無造作にまとめた髪が絡まった蔓のようだ。

「太郎、余計な事は言わんで良い」

男は静かに若者を諭した後、お紺に向かって言った。

「姐さん、こいつらが失礼ばしたようじゃが、許してやっちくれんかのぅ?」

「許すも許さないも、もう少し静かにしてくれりゃあっちは文句はありゃしません」

「そうかい、そりゃ良かった」今度は若者達に向き直る。

「おまんら、今日はご苦労じゃった。本来なら今頃は津の城下で芸者をあげて慰労会ばすっところじゃが、そいは江戸までお預けじゃ。今日んところはちきっと辛抱ばしちくれんか?」

「坂本さんがそう仰るとなら、おい達に依存はなか。もう少し静かにすっ事にします・・・みんな良かな?」

「応」若者達は素直に頷いた。

「うん、頼んだぜよ」

この男がさっき若者達の話に出てきた坂本と言う男か、と、お紺は改めて男の顔を見た。

「姐さん、こいで良かろか?」

「え、ええ・・・」

「しかし、こいつらも可哀想なんじゃ」

「可哀想?」

「うん、今日は津の港にわしらの船を停泊させる予定やったんじゃが、津藩の役人がいきなり「港を使う事相成らん!」なんぞと言いよっての。城まで直談判に出かけたんじゃが家老の秋山というのが出て来て、けんもほろろに追い返された。そいで、急遽宇治山田の港に船を回したんじゃが、この港は深水が浅ぅてのぅ、停めるのに難儀した」

「そんなに大きな船なんですか?」

「いや、蒸気船としては小型じゃが・・・」

「蒸気船!」

お紺が驚くのも無理はない、この時代蒸気船に乗るような日本人は滅多にいないからだ。

「外国の船なんですか?」

「いや、おい達の船じゃ。もっとも、大洲藩からの借りもんじゃがな」

「じゃあ、皆さん船の操縦が出来なさる・・・」

「ああ、みんな海軍操練所の出身じゃからの」

海軍操練所は去年(慶応元年)幕府によって閉鎖された。坂本は行き場を失った若者達を雇い入れ、新たな事業を立ち上げたのだと言った。

「まっこと、こいつらは踏んだり蹴ったりの目に遭わされよったんじゃ・・・」

お紺はなんだかこの若者達が不憫に思えてきた。

「よし、わかった!」お紺が叫んだ。

「なんじゃ?姐さん、なんがわかったんじゃ?」坂本が怪訝な顔をした。

「そう言う事なら、このお紺姐さんに任しときな。腕に縒りをかけてこの三味線であんた達を楽しませてやるよ!」

「おばはん、急に張り切ってどがんしたんじゃ!」

「うるさい!あんたら、さっきの勢いはどうしたんだい、今夜は徹底的に騒ぐんじゃなかったのかい!」

「おばはん、騒いでもええがか?」

「ええ、ええ、今夜はお紺姐さんの奢りだよ!」

「おお、そいつは有難いぜよ!話の分かるおばはんじゃ!」

「関、金主におばはんは失礼じゃ、姐御と呼ぼうぜよ!」

「おお、お紺姐御じゃ!」

「お紺さん、わしも混ぜてもろうて良いがかよ?」坂本が訊いた。

「もちろん!」

お紺は坂本を上座に座らせると、廊下に出て手を叩いた。

「ちょっと御師さん、酒と肴たっくさん持って来て!今夜は無礼講だよ!」

浦川太夫は母屋の柱の陰で頭を抱えた。


*******


「お紺さん、今夜は世話になったぜよ。あいつらいい気分で酔い潰れちまったが、ほんに喜んじょった」

酒で火照った躰を冷ます為、五十鈴川の辺りをそぞろ歩きながら坂本はお紺に礼を言った。

「礼なんか要りませんよぅ、わっちが勝手にやった事だから」

「いや、あいつらはあいでなかなか繊細なんじゃ、世の中の人間が自分たちをどう見ちゅうかよう知っちょる。特に頭の硬い年寄り連中からは、危険分子扱いされちゅうのを何処に行っても思い知らされるからのぅ。そいが今夜は屈託なく酔い潰れよった」

「そんな悪い人たちには見えませんでしたけど?」

「当たり前じゃ、悪いのは自分達の保身に汲々して、なんもこん国んことを考えん年寄り達ぜよ。あいつらはそんな環境の中で、必死でこん国を変えようとしちょる」

「その親玉が坂本さんって訳ですか?」

「わしはそがんつもりはなかとじゃが、いつの間にかそがんこつになってしもうた。わしゃこん国ば『せんたく』して、世界の列強と対等に付き合える国にしたかだけじゃ」

「高松さんが言っていましたよ、叔父貴は人の金は何万両って動かすくせに、自分の懐には一文も入ってこん、って」

「今は自分が儲けるより、金を持っちゅう奴を動かすとが早道じゃ。こん国を救うにはそれしかなか」

「つまり、他人を利用すると言うこと?」

「わしゃ他力本願を悪いとは思わん。自力で出来る事はたかが知れちゅう、おいは力や金を持っちゅう人間を動かして、目的を果たす」

「ふ〜ん、なんだか人に頼っているみたいでカッコ悪いわねぇ」

坂本はふと足を止めてお紺を見た。

「お紺さんは伊勢の海岸から西方浄土に向けて旅立つ僧たちのいる事を知っちゅうか?」

「ああ、補陀落渡海ふだらくとかいの事ね」

「西方浄土は海の彼方にあるじゃろ?。他力本願とは、つまりは『彼方あなた任せ』と言う意味じゃ、一個の人間が力を尽くしたら、あとは彼方におわす神仏に託すと言うことじゃな」

「結果は気にせず、自分は自分の出来る最善を尽くすだけ、と言う事ね」

「『人事を尽くして天命を待つ』それが他力本願じゃとわしは思うちょる」

「じゃあ、他力って心臓みたいなものね」

「ん?」

「だって、心臓は寝ている時だって勝手に動いていて止めることなんかできないでしょう?人の意思とは無関係だわ。わっちらはそのどうしようもないものによって生かされていると言うことなんでしょう?」

「そうじゃ!そん通りじゃお紺さん!あんた凄か人じゃ!」

坂本がいきなりお紺の手を握った。

「きゃっ!」

「す、すまん・・・つい」

「い、いえ、あっちとした事が・・・(うぶなおぼこじゃあるまいし)」

「お紺さん、あんた江戸の人じゃろ?」坂本が話柄を変えた。

「ああ、わかっちゃいました?」

「やっぱりな、あの気風きっぷの良さは田舎もんにゃ真似出来ん」

「深川でお紺と言えば、ちったぁ名の知れた芸妓ですがね」

「そのお紺姐さんが、なんでこんな所で三味を弾いちょるがじゃ?」

「いえ、そろそろ帰ろうかと思っていたところではあるんですが・・・何となく帰りそびれちゃって」

「誰か連れでもあるんか?」

「へえ、ついこの間まで・・・」

「そいはお紺さんのよか人か?」

「いやですよぅ、志麻ちゃんて言う女の子。津の御城下が実家でそこまで一緒だったんです」

「そうか・・・じゃったら船で帰らんか、今日のお礼に送っちゃるが?」

「え・・・いいんですか?」

「ええよ」

「実は一人で帰るのが憂鬱だったんですよ。もし送って貰えるんなら、こんなありがたいことはありません」

「じゃったら、明日の昼までに宇治山田の港に来るがええ。いろは丸っちゅう船じゃ。黒か煙ば吐いちょっですぐ分かるぜよ」

「わかりました、よろしくお願いします」

「じゃあ、わしゃ自分の宿に帰るき、明日は送れんごと来るがぜよ」

「はい、おやすみなさい」

坂本は後ろ姿で手を振って、五十鈴川沿いの道を下って行った。


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